ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

【平成23年 弥生の七五】 東日本大地震 3月21日

2011年03月31日 | 2011 暮らし雑感
3月21日 

巨大地震11日目 
死者8649人 21000人超


● 口数が少なくても頼もしく
 巨大地震から厳冬の9日間を牛乳2本と飲むヨーグルトなどで生き抜いた16歳の孫と80歳の祖母。
「前から口数は少ないが、たいしたやつと思っていた。今日、証明された。
頼もしく思っている」と喜びの父親。
奇跡の生存、感動が列島中を走った感じだ。 

a6:44
4号機に自衛隊が放水開始。

IAEAの専門家チームが放射線測定へ


4号機 6:37~
放水車13台から真水90トン 放水


pm2:08
緊急地震速報にあわてる。
空振りか 茨城南部で震度3。
なんとなく巨大地震の怒りもおさまっているような気がするが、一方で震度3にはもはや体が慣れている現実も怖い。

風評被害もあった千葉コスモ石油がようやく鎮火。
大きな製油所火災で26基のなかの15基が破損したとのこと。

水戸霊園の三分の一の墓石が落下、倒壊しているとのこと。
茨城の被害の様子がよく伝わってこないが、北部の被災は相当のものらしい。
潮来の地盤沈下の様子がテレビに映っていた。



pm3:55
3号機から灰色の煙
命の危機にさらされながら現場で作業する人々。
放射線被曝と隣り合わせのいのちがけという行為とも言える。
そういう日本の難局打開への覚悟と努力が与野党の議員にあるのだろうか。
国が一つになる発想を。
政局より政治を。

屋内退避の在宅患者の孤立化 範囲外の搬送を検討とテレビ報


pm6:20
2号機から白い煙
494マイクロシーベルトが1932の価に上昇。海水からは基準オーバー、126倍の放射性物質。
この煙で復旧に遅れ。
作業員も全員待避。


● 中国の野菜のほうがまだしもと
厚労省発表
茨城8市でのホウレンソウの基準値 日立で12倍。5つの市で放射性セシウム
栃木の4地域、野菜7検出すべて上回る2.85倍。

放射能、洗って落とせば怖くない、と私は思っている。
スーパーに行くと中国名が書いてある野菜は安くても買わない習慣が今までは
あったが、今後、福島、茨城産となるとその名前だけで買わなくなるということになるのか。



● 戦争の認識だから戦車出る

瓦礫除去に戦車の派遣というニュース。
すでに埼玉・朝霞駐屯地を出たという。

電源復旧の作業員は被曝危険と隣り合わせに闘っている。
原発事故の最前線は巨大災害との戦争であり、そのための闘う体制だ。

政治の場では国を挙げての力を結集した体制がとられていない。
電話で連立を呼びかけた菅も菅だが、それを拒否した谷垣も谷垣だ。
与野党とも国会議員のかれらの挙動に不信感が湧く。


● 政局を睨んで政治はあとになり
原発事故対応、経済復興、被災地、被災民救援など今回の戦争には挙国一致の体制が必要で、いつまでネジられていてはたまったものではない。

畑の作業をしながら「大沢悠里のゆうゆうワイド」を聞く。
大沢は「自民党や谷垣さんは自分のほうから大臣をやらせてくれというべき」
と言いゲストの鳥越俊太郎も賛同していた。
聞いてる私も「その通り」として春のジャガイモを植えつけた。

● 町ぐるみアリーナから加須の地へ
福島原発事故で発電所がある双葉町から、さいたまスーパーアリーナに集団避難している住民約1400人が役場ごと加須市の廃校になっている騎西高校の校舎へ移るようになるとのこと。
双葉町の半数の方々は、「原発城下町」関連の仕事をしていると町長。

校舎に畳、暖房などの準備をしている様子をテレビで知った。

着の身着のまま杉戸町へ避難している富岡町の方々は今後どうなるのだろう。

● 関東菜 風評被害も一段と
政府は、福島、茨城、栃木、群馬の知事に出荷制限を求めた。
一方で「直ちに健康に被害は与えない」という。
直ちにというのはどのくらいの期間かは言わない。
むしろ、そのニュアンスにはジワリという語感が残る。
一方、専門家の解説では、食べても全く心配いらない程度のニュアンスも残る。

政府は4県知事に出荷制限を指示しながら「いまのところ健康に影響を与えるレベルではない」とも言う。
出荷制限に言及する枝野官房長官や知事や学者はまず画面で笑って食べてみせ、国民に安心感を与えてみたらどうだ。
率先垂範ということばもある。
医者が子どもにあやすように、そういうパーフォーマンスなら大歓迎だ。

私のふるさと茨城の農業産出額は4170億円。 
全国2位の農業県で今後の風評被害が心配。

ホウレンソウ、牛乳など出荷停止で内外にひろがる巨大な波紋のほうが恐い。

● 厳冬下 出るなみださえ枯れはてる
被災の大船渡の中学校卒業式は避難所の中で行われた。
その様子がテレビに。
泥にはねられた卒業証書が痛々しい。

ガソリンのない車中で夜を明かす被災者の姿もテレビに。
「冷たい水の中に孫と同じような子どもが入っている。一秒でも早く引き上げ眠らせたい。大丈夫、絶対に復興させる。」とその人は語っていた。

このところ、涙もろくなって被災地の様子が写ると不覚にもこみあげるものがある。
雪、氷点下、十分な冬燃料もない被災地の人々はその涙さえ出なくなっている人もおられると聞く。









最新の画像もっと見る

コメントを投稿