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気まぐれ読書・映画・音楽の記録。本文に関係のないコメントについてはご遠慮させていただきます。

玉村豊男「里山ビジネス」

2008-11-08 | 新書・社会

最も割に合わないビジネスが何故成功したか?
里山という一番効率の悪い中山間地域で何故ワイナリー&レストラン経営に成功したのか。著者自らの体験で語る、愚直で素朴なビジネス観こそ、グローバル化の嵐の中の有効な処方箋である。

広大なる田野を讃えよ されど狭き田野を耕せよ ~ヴェルギリウス「農耕詩」より

 

玉村さんの最近の著書。2004年に長野東御市にオープンさせたヴィラデストワイナリーと里山でくらすということ、構想と実態と夢と現実についてわかりやすく書かれています。

先日読んだ、20年前、40代そこそこで書かれたエッセイとは、別人のようです。

食に関する情熱は変わらないのでしょうが…。玉村さんの様々な経験と知恵が、夢を実現させ成功したのでしょう。と。

 

「ブドウの果汁を放置しておけばワインになる」という人智を超えた自然界の営みに、人間がちょっとだけ手を貸してやる、というのがワインづくりの仕事。

ワインを作るブドウの木は、古い方がよい40歳50歳になって、酸いも甘いも噛み分けた、苦み走った大人のブドウの木になってからの方が、量は沢山出来ないが、滋味に溢れた奥深い味のワインになる。

ブドウと人間はたがいに微妙なずれを見せながら世代交代を繰り返す。ブドウが変わるときに人が残り、人が変わるときにブドウが残る。うまくいけば、このサイクルは永遠に持続する。

 

私が好きなのは、食卓を囲んで人々が笑い、語り、楽しい時間を過ごすこと。そして人々がそうして楽しい時間を過ごしているのを少し遠くから眺めること。

 

土から食卓まで。

生き物がどうやって調理され、皿の上にまでのぼるのか。

畑でとれた野菜が運ばれてきて、泥を落とされ、洗われて厨房に入っていく。どんな人によってどんなふうに姿を変えられて食卓にやってくるのか。その料理の肇から終わりまでを丸ごとお客さんに知ってもらいたいというのが願いです。(オープンキッチンにこだわる訳)

畑にあるモノを料理人が自分で採ってきたり、パティシエが苺やラズベリーを摘みにいったり、Gardenの世話係が花に水をやったりという風景がごく自然に見られるのは、ヴィラデストの魅力の1つ。昔から村人たちが里山で暮らしてきた当たり前の日常を、今の私達が私達なりのスタイルで、毎日繰り返しているだけ。

 

刺々しい大きな濃い緑色の葉に隠れた、翠や黄色のズッキーニの見、地面から蛇のようにくねくねと太い茎が伸びている。

支柱に巻き付きながら伸びていく、茎の途中には、ミニトマトの房がついている。同じ房につく実の色の、緑から赤へと微妙に変化するグラデーション。

その下ではルッコラやパクチー(香草)が刃先に可憐な白い花をつけています。

薄紫色のナスの花や、ビーツの葉脈の真っ赤な色彩。

イキイキとした美しい色や形、野菜が生きている姿。

 

そこでしかできないもの

そこへ行かなければ食べられないもの

同じ物でも、そこで食べるからこそおいしいもの

本当はそういうものがほしいのです。

 

観光とは風光を観ること。それも、人と自然が互いにかかわりあいながらつくりだした景色を見る。と言う意味。

特別な仕掛けは要りません。名産品も、特産物も、何もなくても、そこに嘘のない生活があればいいのです。

周囲の自然と折り合いをつけながら慎ましく営む、日本人の生活の原点とも言える里山の暮らし。そのひとつの現代的な形を、生きたミュージアムとして示すこと。

 

人は森に入ってその恵みをいただき、森は人に手を入れさせて元気になる、持ちつ持たれつの関係は、いかに長く続けられるかがポイントです。

森と人との境界線を探り、周囲の自然と折り合いをつけながら暮らすための知恵が示しているように、持続するためには拡大してはいけないのです。

 

客観的に観れば、ビジネスに長けた実業家シェフのほうが、金銭的に恵まれた人生を送る可能性が高い。ひたすら厨房に立ち続ける職人シェフはたいした収入は得られない。しかし、職人シェフはそれで満足。繰り返しの日常の仕事の中には毎日新しい発見があり、絶えず向上を求める毎日の精進の中には常に新鮮な感動がある。

自分が職人でありたいと願う人間にとっては、直接手を下してものを作ることが、与えられた使命であり、情熱を傾ける対象であり、大きな喜びを与えてくれる時間。その種の人間は、労働を義務ではなく、権利と捉えている。

仕事は自分以外の誰かに命じられて行う義務では無く、自分から進んで求める権利。

どんな仕事に従事するにせよ、働くことをそう捉えることが出来たら、私たちは仕事を通して自己実現でき、充実した人生を送ることができるのではないか。

 

世界がどんなにグローバル化して、小さいものが大きいものに飲み込まれ弱肉強食の格差社会になっても、額に汗流して毎日コツコツ働き、働くことそのものに喜びを見いだし、仕事が終わったら風呂に入っていい湯だと唸り、ワインの一杯も飲みながら愉快な食卓を囲んで大笑いする。収入がそれほど増えなくても、自分に嘘をつかずに生きていける、そんな生活の拠点を私は作りたい。そうすれば大きな国の経済が破綻しても、小さな王国の暮らしは永遠に続く。

www.villadest.com

 

 



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