
田辺聖子が行き着いた人間の生き方。
人間とは・・の思い込みが必ず変わるオトナのエッセイ。
だまし、だましの中から人生の希望が生まれる。田辺聖子が到達した「ほな」と「そやな」の生き方哲学。
生きていくために必要な二つの言葉、ほな、とそやね。別れる時はほな、相づちには、そやねといえば、万事うまくいくという。本書は田辺ことばと共に楽しめる究極の人生の哲学満載である。
「ほな」~接続詞でほんなら、それなら、ということ。じゃあねという語感。人は逝くときも、<ほな>と人生に別れを告げるのがよろしい。人生でいちばんいい言葉である。
「そやな(そやね)」~相手の言に反復するために使う。夫婦円満、ひいては世の中を融和させる究極の言葉。
最近、しっくり来る本に出会っていなかったから。やっぱり、田辺さん好きだな。源氏物語の口語訳も、田辺さんで読みました。この本でも、夫婦や男女間の人間関係において、幾つか源氏を折り込んで語られます。
私の両親より、年上の女性だし、この本を書かれたのも、亡き母よりいくつか上の年齢なのに。だけど…。なんだか、とっても親しい友人の様な気持ちになります。たぶん…、感覚が似たところが共感もてます。一般的な男性から好感を持たれるタイプとずれちゃって、独特なのかもしれない。でも、私はそこが、魅力。だと思います。多くの同世代女性と、感覚は、ずれても…。田辺さんとはしっくりいきそう~~。
とにかくアフォリズムの好きな田辺さん。次から次へと浮かんでくる格言集は痛快そのもの…。そして1つ1つ関西弁で読み解くのだが、さっすが~~。ううん。分かってらっしゃる。ラ・ロシュフコーの箴言集も、太宰も芥川も真っ青…。だれも、田辺さんを止めることできないです。
ああ~おもろかった~。実に満足。とってもスッキリしました。どんなに辛いことがあったって、そやねって、あたしバカだもんね。まっいいさ。さらり、かわせる人生でありたい。
<ま、人生はだましだまし保っていくもの、ゴチャゴチャしているうちに、持ち時間、終わるよ>
そやね。ゴチャゴチャ気にせず行ってみよう、明日があるさっ。
面白おかしい家庭というのは、あり得ない。平和と、面白おかしいこととは両立しないから
下品な人が下品な服装、行動を取るのは、これは正しい選択であって下品ではない。
しかし下品な人が、身にそぐわない上品なものをつけているのは下品である。
また、上品な人が、その上品さを自分で知っているのは下品である。
反対に、下品な人が、自分の下品さに気づいていることは上品である。
上品、と言うものは、何でも初めて出くわす、というような、慣れぬ風情で対応することである
パニクりまくるのは、パニクりまくってみせる相手がいるからであり、よよと泣くのは泣いて見せる相手がいるからである
男は犬に似ている。
場所ふさぎでカサ高いわりに、甘エタで、かまってやらないと淋しがってシャックリをする。 シャックリ(精神的なもの)=体調の違和感を訴えたり、これ見よがしに不興を見せびらかす
男は嘘をつけない代わり、黙っていられるという特技がある。男は隠し事の大家だが、それは正直という特性と背馳しない
女は嘘が巧いが、そのくせ、隠し事を黙っていられないという矛盾した特性がある。そしてその正直は、女の場合、美徳にならないところに特性がある。
これ 借りてこよっ
ほな・・・って 確かにいい言葉やなぁ
なんか 二文字やのに 余韻がいっぱい漂う言葉で やわらかい?優しい? そんな感じ
そやな・・・もいいね
ちょっと 今日から 余分に使ってしまいそうやわ~^^
私は、使いたくても使えないなあ。
でも気持ちだけ、そういう感じで生きていきたいなあ。
先日、親戚から、新米が送られてきました。
お礼の電話をしましたが
ほな、おおきに、ってやんわりとした関西弁は、癒されるわ~~。
ほな。。。