一組の男女が迎えた最後の夜。明らかにされなければならない、ある男の死。それはすべて、あの旅から始まった――。運命と記憶、愛と葛藤が絡み合う、恩田陸の新たな世界
一組の男女が暮らしたアパートの最後の1晩の心理、葛藤が描かれている。
密室で、じりじりとお互いの感情、思惑をどこか、隠しつつ相手の出方を捕らえていく、これは結構スリルとサスペンスで、読んだが最後、目が離せない…。
恩田さんの作品は、いつもそうですが、読みやすいのに、人間の心理の不思議さを読み解く鋭い感性そして、さらりとくどくなく、読み進めるときの緊張感を感じる。
何よりスキなのは、印象に残る言葉が多く、余韻に浸れます。
だって、タイトルからいつも惹きつけられますよね。
・明るい春の光。青葉の輝き、遠くから彼女が走ってくる。
・あの明るい緑、曇りのない幸福な緑は小間でも目に焼き付いている。あんな日は二度と来ない。あれは紛れもなく、私の人生の春だった。
・どのみち、僕たちは逃れることは出来ない。罪とは何だろう。誰かを好きになることだろうか
・運命の悪戯。良くある言葉だ。しかし、私達にとって、それは笑って済まされない言葉だった。
・彼の目が宙を泳ぐ時、私はいつも木洩れ日が揺れるのを見る。ちらちらと揺らめく光の中を、私達が言葉にせず押し殺してきた感情と欲望のかけらが、一瞬影のように横切っていく。木洩れ日の下には、深い淵があって、濃い緑色のミズノそこに多くの魚たちが蠢いている。魚たちは時折水面近くまで上がってきて尾びれを翻したりするが、いったいどれくらいの魚が棲んでいるのか、彼らがどんな姿をしているのか見ることは出来ない。
…これは、魚=自分ら含め人間の比喩ですが、深いです。
・実沙子の事を考えると「安全」な感じがした。平穏で、清潔で、「正しい」気持ちになれた。彼女は僕のシェルターだった。しかし、ふと、心にもやもやした濁ったものが鎌首をもたげた。果たして、彼女の処に行った時、僕は本当に「安全」な暮らしが出来るのだろうか、ひやりとする。
危険に満ちた生活を送っているときはシェルターに入りたいと恋い焦がれているけれども、実際に危険が去ってからもシェルターに入り続けている、やがて、苦痛になるのではないか。「安全」な生活が日常となった時に、僕はその平穏さに耐え続けていくことが出来るのだろうか。それは不吉な予感、直感ともいっていい。
・もうじきこの波はあなたの足元を洗い、あなたは愕然とする。やがてあなたは気付くのだ。女の居場所が本当はこの海の中であったと。海の中でもがき、溺れ、水を飲み、時に漂い、泳いだり潮の流れに逆らったりする営みこそが、自分の持って生まれた性の本質だと。
・真実は何より大切なのだろうか。僕が知っている限りでは-本当のことは人を傷つける。ただのちっぽけな「事実」ですら破壊力は十分で、凡人のささやかな人生が吹っ飛んでしまうことだってしばしばだ。ましてや「真実」などというものに至っては、その残酷さは想像するに余りある。 僕と彼女の間に「真実」はあったのだろうか。
・さまざまな陰謀が企てられた夜は終わりをむかえ、公明正大な朝が来る。朝というのは人を正気にさせ、全てを日常に引き戻す。数時間前に重大に思えたことがちっぽけなものになり、怪しく輝いて見えたものが安っぽく色褪せて見える。
・木洩れ日が綺麗。ここはまるで海の底みたい。魚が水面を見上げると、こんな感じなのかしら。
ちらちらと緑色の光が揺れる。水底から、水面の光を見上げる3人。その目には揃って無邪気な憧憬が浮かんでいる。決して触れることの出来ない遙かな水面。彼らは届かぬ光を黙って見つめている。決して訪れることの出来ない彼らの未来を。
それにしても、ラストにいたる彼女は、怖い。冷ややかで、真実と朝日と共に、愛は終わりを告げる…。
・いつも直感の優れている彼女。僕よりも先に、真実にたどり着く彼女。冷静で、論理的で、落ち着いている彼女。