春雷
夢うつつ状態だった夜明け前、障子の向こうの稲光と一緒に”春雷”を聞く。開演する”春とふ季節”を告げるかのように。それから又うつらうつらして・・。
よし!それじゃ正直に話そう。
実はこの間から右足の付け根の部分に、痛みのような、痺れのような、そんな違和感が発生して暫く歩けないで居たんだよ。2000歩位で、1キロちょっとで不気味な鈍痛に見舞われるものだから、心が委縮してしまってね。何しろ痛みには滅法弱い。
凄く調子が良かったんだ。8000から10000は平気に熟せて、余裕でルートを変えて愉しんだり、時折60分を凌駕して見たり、後ろ向きやZigzag歩行も試したりしていたんだ。寧ろ、ウオーキングと云うより歩きを楽しんでいたんだよ。
けれど、浮かれていたある日突然、”好事魔多し!!”の諺に遭遇する。そう、まるで月に叢雲、花に嵐のようにね。
それで一気に気分も沈み、気骨も衰え、気概も薄れてしまったんだ。”過ぎたるは猶及ばざるが如し”全くもってその通り。
此の世は何事も”中庸”こそ大事。そんな事は既に理解の範疇なのに、幾度惑わされることか。繰り返し、何度陥る落とし穴であることか。
最早、辿るべき道程も、確かなinochiの寄る辺も、潤沢にあるとは言えぬこの歳にして尚、恥ずかしながら自分を律し得ぬ、今だ無智の途上にあるとは・・。R6(2024)弥生26 万甫
足の付け根のいたみ、歩くの辛いですね。
無理されずお大事にしてくださいね🍀
予想外のことで全く知らず申しわけありません。貴兄の脚の痛み一日も早く消えますよう願っています🙏 またいつものように元気に歩かれている姿心に描いています🎵
「ウオークーーウオークは余生を因り良く生きる為の老いの仕事なのだと 近頃はそういう認識でいる 平日の午前十時の漫ろ歩きも 日の暮れの夕景を しみじみと味わうのも 真昼間に一昔前の映画鑑賞に浸るのも 些かの自己嫌悪にも陥らず 自虐の妄想に歯軋りすることもなく それが当たり前の様に ゙時の流れに身を任ぜられている悠々自適の日時 それは多分に 年の功による偏重思考の故かも知れぬが・・(詩24)」
「肉体の力で生きてゐるのではない。生命(いのち)で生きてゐるのだ。生命が脱けたら肉体は死んで了ふ。(智慧の言葉)」
ほぼひと月近く安静を保ったので
今は5000でも大丈夫に為りましたが
何しろこの歳ですから
自重することを覚えなきゃ!です
夢現で聞いた春雷でしたが
今日は明るい昼間にも何度も
春の嵐でしたね
慎重に日々を過ごしたので
痛みは無くなりました
いつも心配して頂いて有難うございます
歳取るとやっぱり”無事此れ名馬”ですよね
何かもっと大変なことが「起きない」ための警告だと考えて、気をつけてゆっくりゆったりお過ごしくださいね😌
ブロ友さんからの心遣いや気遣い
長い間続けている事への褒美のような
或いは、小さな奇蹟を体験しているような・・
ありがとう!!