野山と田園の画文通信・漫画家【とよだ時】の山中徘徊記
山のふみあと日記
山の伝説【ひとり画展】「北ア・鷲羽岳の若者」
某年6月26日(日曜日 天気・晴れのち小雨)
「北ア・鷲羽岳の若者」
江戸時代、越中富山藩主が黒部源流の山々を調査した奥山廻りの記
録に「鷲ノ羽ヶ岳」とありこれが鷲羽の文字の最初の記録という。
当時鷲羽岳は、越中、信濃、飛騨の三国境の山(三俣蓮華)を中心
にまわりの山々の総称だったらしい。
江戸後期の1808(文化5)年ごろから東側の壮大な峰を「東鷲羽岳」
として、いままでの広義の鷲羽岳から独立させます。残った鷲羽岳
は、当然いまの三俣蓮華岳のことになります。
これが明治以後、登山者の誤解で混乱し、いまはその東鷲羽岳とい
っていた山を鷲羽岳と呼んでいます。
ある年の8月半ば、鷲羽岳山頂で山小屋の弁当をほおばる若者がい
ます。はるか遠くにかすむ白馬岳から縦走してきて、今日で9日目
だとか。
これから槍穂高から西穂高へまわるのだと元気に出発していきまし
た。
・長野県大町市と富山県富山市の境
▼詳しい【本文】と【イラスト】は下記からどうぞ。
http://toki.moo.jp/merumaga/gooblog/gooblog.html
★作者の本(CD-R本):山の伝説、いなかの神さま、歳時記ほか
http://toki.moo.jp/baiten/cd-books/cd-books.html
★仕事部屋へもどうぞ
http://toki.moo.jp/shigoto/
「北ア・鷲羽岳の若者」
江戸時代、越中富山藩主が黒部源流の山々を調査した奥山廻りの記
録に「鷲ノ羽ヶ岳」とありこれが鷲羽の文字の最初の記録という。
当時鷲羽岳は、越中、信濃、飛騨の三国境の山(三俣蓮華)を中心
にまわりの山々の総称だったらしい。
江戸後期の1808(文化5)年ごろから東側の壮大な峰を「東鷲羽岳」
として、いままでの広義の鷲羽岳から独立させます。残った鷲羽岳
は、当然いまの三俣蓮華岳のことになります。
これが明治以後、登山者の誤解で混乱し、いまはその東鷲羽岳とい
っていた山を鷲羽岳と呼んでいます。
ある年の8月半ば、鷲羽岳山頂で山小屋の弁当をほおばる若者がい
ます。はるか遠くにかすむ白馬岳から縦走してきて、今日で9日目
だとか。
これから槍穂高から西穂高へまわるのだと元気に出発していきまし
た。
・長野県大町市と富山県富山市の境
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