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 キューポラのある街

2020年11月28日 | 未分類
  https://www.youtube.com/watch?v=d6k2ybo7Ac8&ab_channel=YouTubeMovies

 歳を食うと、昔のことしか書けなくなる。これは事実だ。
 とりわけ1990年代以降の、テレビ番組とか、歌とかゲームとか、小説とか、社会運動とかは、何もかもちんぷんかんぷんで、私の脳内は、1970年代以前で占められている。
 新しいものが入ってこないのだ……。

 だから映画のことを言われても、私が理解可能なのは、1970年代前半くらいまで、歌も同じだ。
 1962年に公開された、吉永小百合主演の「キューポラのある街」は、私が小学生の頃の映画で、学校で上映会をやったような気がする。
 確か、以前はネットで全編を見られたような記憶があるが、今は、著作権とか、新自由主義の金儲け規制が厳しくなって、60年も前の映画に高い金を払わねば見せてもらえなくなっている。

 この映画が特筆されるのは、一つには「在日朝鮮人帰還事業」の宣伝映画みたいな役割があって、たぶん、この映画にそそのかされて、何万人という在日者が北朝鮮に帰還し、大半が激しい差別を受けて強制収容所に入れられ、生きて帰って来られなくなったこと。
 つまり、社会党や共産党、マスメディアがこぞって協賛し、北朝鮮による在日者大虐殺に手を貸したのだ。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%B8%B0%E9%82%84%E4%BA%8B%E6%A5%AD

 北朝鮮帰還事業の事実上の主宰者は、岸信介総理大臣と槙枝元文日教組委員長である。
 https://plaza.rakuten.co.jp/mz5na/diary/200702050001/

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%99%E6%9E%9D%E5%85%83%E6%96%87

 https://www.sankei.com/west/news/150502/wst1505020012-n1.html

 今から見れば、世界最大の麻薬(ヘロイン)密売組織である昭和通商を作って、朝鮮・満州の全財産を麻薬と引き換えた岸信介と、日教組を事実上、右傾化させて崩壊させた、特高憲兵出身の槙枝元文が、日本の在日者を根こそぎ北朝鮮に送り返して、ほぼ全員を収容所で殺戮した事業だったわけで、これは、戦後史の闇の中で絡まり狂った毛玉のようなもので、どんなに理解しようとしても理解しきれない究極のカオスなのだ。

 私の子供時代は、日本社会は、こんな不可解なカオスのなかにあって、「キューポラのある街」は、そのなかで庶民の断面をリアルに見せてくれて、日本中が、同じような貧しさと苦しさのなかにあったから、広く深く共感された映画だった。

 舞台は川口市の工業地帯で、当時は零細鋳造事業が密集していて、日本の公害のデモンストレーションのような地域だった。
 https://ameblo.jp/shimonose9m/entry-12241979425.html

 東海地方でいうなら、碧南市とか東海市とか瀬戸市なんかのイメージで、街のいたるところに殺風景な零細工場が建ち並び、必ず大きな煙突があって、24時間もくもくと黒煙を上げ続けている。
 碧南や瀬戸は、日本最大の窯業地帯で、昔はB重油を空気噴射させて釜のなかで高温を出す焼成炉を稼働させていた。私は、その重油の運搬をしていたことがある。

 東海市は、新日鉄やら愛知製鋼やら大同製鋼やら、たくさんの製鉄産業が立ち並んでいて、人々の呼吸器を蝕むスモッグの絶えることがなかった。
 実は、私の住んでいた名古屋市中村区も、大同製鋼やら中部鋼鈑やら、愛知製鋼やらの巨大な工場が隣接する中川区に密集していて、その煤煙が、伊勢湾からの南風に乗って、どんどん流れ込んでいた。

 だから私は、幼い頃から喘息に悩まされていて、おかげで激しいアトピー体質になった。今、間質性肺炎に苦しんでいるのも、当時のアレルギー体質の下地があるからだ。
 うちの数軒西側には、確か森川鋳造所という工場があって、その西は日通の車庫だった。家の前の狭い通りは終日、日通の大型トラックが通り抜けていた。

 鋳造所から、溶鉄炉の排煙と、六価クロムが大量に出ていて、母親は洗濯物も干せないと嘆いていた。布団も洗濯物も室内干ししかできなかった。
 子供たちは激しい喘息に悩まされた。
 当時の公害スモッグに満ちた環境汚染を思い出すと、「キューポラのある街」の薄汚れた灰色の映像が、リアルに昔を思い出させるのだ。

 名古屋市南部公害は、1960年代、大同製鋼・東海製鉄による排煙から「柴田喘息」として知られ、四日市では、石原産業やモンサント、三菱化成などが凄まじい煤煙公害を常態化させ、四日市でも名古屋市南部でも、呼吸器疾患による公害病の死者数は400名を超えている。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E6%97%A5%E5%B8%82%E3%81%9C%E3%82%93%E3%81%9D%E3%81%8F

https://www.erca.go.jp/yobou/saiban/nagoya/

私は中村区だったが、名古屋市南部から伊勢湾から内陸に向けて吹く海風があって、おそらく名古屋中で被害のない地域は存在していないだろう。
東海地方全体の、こうした公害病による死者は、少なく見積もっても数万人は下らない。私も、子供時代に名古屋にいなければ、現在、アレルギー体質から起きた間質肺炎苦しむこともなかったと思う。

 昔のことを思い出すと、風景はいつでも灰色だった。キューポラのある街予告編リンクを見れば、現在50才代以上の人々は、あの当時の、凄まじい大気汚染を思い出すに違いない。
 https://www.youtube.com/watch?v=VNdulzWO99g&ab_channel=%E3%80%90%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%80%91%E6%97%A5%E6%B4%BB%E9%85%8D%E4%BF%A1%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB

 当時、空は灰色だと子供心に思っていた。学校で絵を描いても、空を青く書く子供などいなかったような気がする。
 田舎に行って(祖母の故郷の白川町)空を見上げて、「空は青いんだ!」と知ったくらいだ。青い空が猛烈に感動的だった。
 そして、白川町の空気の素晴らしさ。まだ半世紀前の話だ。
 https://www.youtube.com/watch?v=Awh_0IsP-XU&ab_channel=NTDTVJP

 たくさんの公害犠牲者の屍の上に、大気汚染追放運動が生まれ、石原産業や三菱化成大同製鋼などが激しく糾弾され、少しずつ改善してはいったが、企業の姿勢は、人間の命よりも金儲け一辺倒で、今の中国共産党の独善政策と何ら変わりないものだった。

 結局、企業が追い立てられるように公害防止に取り組んだ理由は、実は身内の被害者からの圧力だった。
 工場内部でも激しい悲惨な被害が続出していたのだ。経営者自身が被害に遭わなければ、資本主義のメカニズムが変わることはない。

 今、企業を退職した人たちが、空気の良い田舎に移住を求める本当の理由は、実は子供の頃からの都市における大気汚染の記憶から、長い時間をかけて「空気のきれいな田舎に住みたい」という潜在的要求を膨らませ続けてきたからだろう。
 田舎には、「人の安全で快適な生活」という幻想が隠れているのだ。

 だが、実態を知れば、過疎の田舎でも、必ずしも「最上の大気」が約束されているわけではない。」
 まずは、①ゴルフ場などが、巨大な噴霧器を使って除草剤(ラウンドアップ)や農薬を大規模に散布し、それが住宅街に流れてくる。これは、非常に深刻な健康被害を生みかねない。

② 「クリーンセンター」なるゴミ焼却施設が各地に建設され、50~100メートルの巨大な煙突を作って、排煙を流しているので、それが数十キロも離れた遠方の、きれいな大気のはずの森を汚染している。
 私の住んでいる中津川市蛭川でも、この数年、やたらと鼻くそが貯まるようになった。これが呼吸器に悪影響を与えている疑いがある。ちょっと原因がわかりにくいのだが、おそらくクリーンセンターの排煙による疑いがある。これは3000度以上の超高温焼却炉にすれば防げるはずなのだが……。

③ 自衛隊や米軍などの軍用機が、ケムトレイルという汚染物質を上空で散布している疑いがある。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1269.html
 民間機でも、余分な燃料を田舎の上空で散布している疑いがある。

④ 現在、政権が、どうしようもない権力主義のバカばかりなので、科学的議論が通らなくなっていて、事実上の竹中平蔵政権が、竹中ら特権階級の利権のために民衆の健康被害を一切考えない愚かな政策を実行している(リニア新幹線が代表だ)

 「田舎に行けば、すばらしい空気」という甘い考えは、もう通用しないかもしれない。