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認知症の恐怖

2025年08月02日 | これから何が起きるのか?

 私の物忘れが激しくなって、数分前に置いた場所を忘れてしまうようになったのは、たぶん60歳くらいではなかったかと思う。
 50歳くらいのとき、文章を書いているときに固有名詞が出てこなくなった。 文章を作るのに、パソコンの検索が不可欠になった。人と話すときは、「あれそれ」という指示代名詞ばかり多用するようになった。
 不思議なことに、人と直接会話をしているときだけは、固有名詞が滞りなく出てきた。

 70歳を過ぎた今では、自分が病的な物忘れになってしまったことを自覚した。
 鍵やスマホなど、必要なものを忘れないように机の上に出しておいても、忘れて出かけてしまう。財布を忘れて取りに戻るなどしょっちゅうだ。
 挙句、スマホをスーパーに置き忘れて、大変なことになった。
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6207400.html

 電話のなかでも固有名詞を思い出せなくなった。
 まるで大山詣だ。そして、これは自分が認知症を発症しているのだと確信するようになった。
 https://www.youtube.com/watch?v=CsU1A3Bt6SU&ab_channel=BGE

 私は物心つく前の2歳のころ、玄関前で転倒して尖った石に頭をぶつけ、額の真ん中の骨が陥没した。
二十歳前にバイクで転倒して頭蓋骨骨折、大脳委縮という診断を受けた。
 MRI検査で海馬が委縮していると言われ、記憶力に問題が出ている。
 古典ギターを弾いていたのだが、楽譜を覚えられないのだ。だからプロのギタリストになる道も断たれた。
 こうした脳の古い障害が認知症の原因の一つになっているのは間違いない。

 父もまた、80歳ころ、アルツハイマー型認知症と診断されていたので、遺伝的な問題もあるだろう。
 父は、インパール作戦に従軍したとき、機関士免許を上官にねたまれて散々殴られたことが認知症を加速させていた。

 こうして考えると、70歳になって、体に古傷を持たない人は少ないような気がするし、全身ボロボロになっているのは、私だけでないような気もする。
 脳にダメージを負っている人も、少なくないだろう。やはり脳を損傷している人は認知症が重くなるのかもしれない。

 私の場合は、代わりにというわけでもないが、連想能力が発達し、一つの命題に対し、瞬時に無数の連想が湧くようになった。たぶんだが、ものごとの本質を的確に掴むことができるようになった。
 例えば、私の場合、記憶よりも連想によって、何が問題の本質なのかを素早く理解できる能力があると思う。

 前回、世界の主役として君臨しはじめているITとAIの複雑なバーチャル世界に対して、多くの人のAIへの畏怖にもかかわらず、それは金儲けのために開発されたものであり、利用されている本質は、金儲けと性欲しかないという意味のことを書いた。
 だから、無数のきれいごとがちりばめられていても、結局、金儲けと性欲に帰結するのだから、決して、無限の複雑さに幻想を抱いてはいけないと言いたかった。
 
 「物事の本質」を知るというのは、理論や権威をありがたがることではない。直観と連想のなかで、共通点を見極め、エッセンスをまとめることだ。
 みんな対象の複雑さや、偉そうな先生様の権威に騙されて、簡単なはずの本質を複雑でわかりにくいものと決めつけて、自分から真実を遠ざけているのだ。
 コンピュータの世界は、とりわけ複雑さに騙されて、簡単な問題を理解できない人が多い。

 脳の機能が衰えても、物事の本質を見抜く、確実性のある直観力があれば、なんとか生きてゆくことができると、私は思う。
 私も、いつまでブログが書けるかわからないが、とりあえず文章を読んでもらえているうちは、認知症を抱えながらも、意味のある情報発信ができると思っている。

 その認知症だが、我々の想像を絶するような大変なことになっている。
 https://www.taiyo-seimei.co.jp/net_lineup/taiyo-magazine/longlife/003/index.html
 2025年、今年、70歳以上の5人に1人が認知症になると予測されているのだ。 すでに認知症の日本国民は、700万人以上だという。
 私は、食品添加物や農薬汚染、それにフクイチ事故の放射能汚染を疑っている。
 https://www.jrias.or.jp/books/pdf/201410_TRACER_TANAKA_HOKA.pdf

 日本が、弱者をきちんとケアしてくれる国なら、それほど大きな問題になるわけではないが、残念ながら、政治家の大半が「新自由主義」に洗脳されてしまっていて、金儲けがすべてと勘違いし、弱肉強食の淘汰社会を是としているから、弱者はますます弱くなり、強者はますます強くなる社会なのだ。
 すでに、日本は認知症患者に寄り添ってくれる国ではなくなっている。

 つまり、認知症になっても誰も助けてくれない。地方の老人は見捨てられ、免許証まで奪われ、公共交通機関も廃止され、結局、大都会の老人施設を頼るしかないほど追い詰められている。
 このままでは、「役に立たたない者は死ね!」という優性保護思想の社会が必ずやってきて、「認知症老人を安楽死させる」社会システムが成立するにちがいない。

 実際に、安楽死先進国のオランダ・ベルギー・スペイン・スイス・カナダ・コロンビアなどでは、安楽死が導入されてから、次々に規制が緩められ、今では、子供の障害者や、安楽死の必要性を証明しなくとも、本人の意思だけでも安楽死可能になっていて、今後は、本人の意思も必要ない、「役に立たない者は死ね!」社会、究極のディストピア社会がやってくるのは確実だろう。

 嘘と思う人もいるかもしれないが、すでに80数年前、ナチスは、「国の役に立たない」と認定した障害者40万人をガス室に送り込んで「安楽死?」させた。
 日本でも、障害者を強制的に中絶させ胎児を殺害したり、不妊手術を強制したりした。しかも、戦後、その優生保護法を上程したのは、社会党の国会議員だった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%84%AA%E7%94%9F%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E6%B3%95

 今でいえば、れいわに大西恒樹議員がいて、安楽死法案を出すようなものだ。
 以下は、NHK党の立花らが安楽死を推進した文書。統一教会が関係している。
 https://seijiyama.jp/pdf/koho/20190721_25sanin_hirei.pdf
 このままでは、私のように認知症リスクに危機意識を持っている人が激増し、必ず安楽死推進社会になってしまうのだ。

 数年前に、我が家の近所で、行方不明者の広報が出た。私より若い主婦が家を出て行方不明になったのだ。
 それはマイナス8度にもなる朝の情報だった。だから、家に帰れない人が生き延びる可能性は少なかった。結局、彼女は数年たっても発見されていない。
 私は、広大な森林地帯で彼女を探すためにドローンを購入したかったが、情報が閉鎖されていたので諦めた。今は個人情報保護法の下、詳しい事情が聞けないのだ。
 
 勝手な想像を言えば、中高年女性が家を出るときは、夫に問題があることが多い。妻を大切にしている夫の家族が、行方不明になる可能性は小さいと思う。
 夫婦関係の悪い、思いやりの薄い家族関係での老人は、心を閉ざし、自分の死を願うようになり、やがて強い鬱病になってしまう。
 すると、どんどん認知症が進行してしまうのだ。

 私自身が、間質性肺炎を罹患し、激しい鬱病になって思考能力が衰え、認知機能がどんどん衰退していったプロセスを自覚している。
 私の場合は、近所Aという人物の嫌がらせに、さんざん苦しめられたことで、報復の意思から、山歩きの運動を重ねて、少しずつ復活した。
 認知機能の回復に一番役立ったのは、たぶんギター練習を再開し、細かい指のトレーニングを行ったことだと思う。
 指は「第二の脳」といわれるほど、認知機能に密接に関係しているのだ。

 家族関係のなかで疎外感を感じている老人は、うつ病になりやすく、認知症が進行する。DV夫を相手にしている妻は、とりわけそうだろう。
 本人の気づかなうちに、物忘れがひどくなり、夫を愛せない、あるいは妻を愛せない家族関係では、対話が失われ、思考能力も衰えてゆく。

 私は、うつ病が激しかったころ、運転していて、突然、自分が何をしているのか、どこにいるのか、何をしようとしているのか、分からなくなるような経験があった。瞬間的なものだったが、次に、自分が何をしようとしているのかを取り戻すのに、数秒間もかかった。

 父が認知症になり、近所に散歩に出かけて、家に帰れなくなったことを思い出した。家族総出で探し回り、若い姪が公園でぼーっと座っている父を発見してくれた。
 70歳過ぎの老人を抱えている家庭では、こんなことが珍しくなくなっているのではないだろうか?
 これが、私のいる中津川の森林地帯で、厳冬期なら命はないと思わなければならない。

 私も、最近、夢の中で、街のなかを彷徨っている自分の姿が頻繁に見えるようになった。
 私の好きな古い下町の密集風景のなかを、私はトボトボと歩いているが、いつまでたっても目的地につかない。それどころか、自分がなぜ歩いているのかもわからない。どこにいるのかもわからない。
 私は公園のベンチに腰掛けていて、気づかないうちに夜になっている。

 私の場合は、本当の孤独老人なので、誰も私を心配してくれる人がいない。自分の生きる目的、やるべきことが見えなくなったときは、それが終焉なのだ。
 誰も私に声をかけてくれない。なすすべもなく、夜が更け、やがて私は意識を失ってゆく。

 今、一年で17000人の徘徊老人が行方不明になっているという。
 https://www.cocofump.co.jp/articles/byoki/94/
 うち、99.3%が一週間以内に保護されるが、残りの0.7%、つまり、200名がそのままこの世から消えてしまう。
 私のように、心配してくれる家族のいない孤独老人は、とりわけその確率が高いと思う。そして、寒冷地なら、ほとんど死んでしまう。
 
 私は、特別に恵まれない悲惨な状態なのだろうか? たぶん違う。
 新自由主義の弱肉強食社会では、半世紀前のように、困っている人に手を差し伸べる人は少ない。
 大都会の、多くの居住者が徘徊老人の運命に関心など持たない。人に優しくしたいとも思わない。だから、自分が何をなすべきなのか、見当識を失った老人は、死を待つ以外ない。

 それが今の日本社会なのだ。
 こんな社会の行く末は、間違いなく「安楽死社会」しかないのだが、本当に安楽死させてくれるとは限らない。せいぜい塩化カリウムを注射して、心臓を止める程度かもしれない。あるいは、ナチスのようにトラックの排気ガスで「安楽死」させたり、チクロンBガス室に投げ入れたりするのかもしれない。
 そんな社会に、誰がした!