ケインズの時代。1929年に世界恐慌が起きた。アメリカで株が大暴落し、これが世界に広がっていった。
大恐慌が起きた原因は、1914年から1918年、欧州で第一次世界大戦が行われた。戦時中、欧州で作っていた工業製品や農作物を、アメリカで作るようになった。
このため、アメリカの景気は大活況を呈した。第一次大戦が終結しても、疲弊していたヨーロッパはその役割を担うことができず、アメリカは世界経済の中心であり続けた。
1920年代に入ってからはアメリカ国内の都市化が進み、住宅需要、道路整備、自動車産業にも追い風が吹いて、大変な好景気が出現した。米国企業の株はバブル的に暴騰していった。
株を買う動きは、アメリカ人の投資家だけでなく、世界中に広がった。戦争で疲弊している国の株を買うよりも、調子の良いアメリカの株を買ったほうが儲かるように思うのは当然である。
しかし、ここで、「景気が良すぎて不景気を招く」という「恐慌」現象が起きて、アメリカの戦争バブル経済が崩壊し、余剰生産物が返品の山を築くことで、大不況に突入することになる。
ちょうど今の安倍政権がやっているの同じように、当時の古典経済理論では、「商品が売れなくなれば労働者の賃金を減らし、リストラする」ことで、政府が何もしなくても市場自体による合理的な調整が行われるという屁理屈で、政府は一切、経済に介入せず、労働者は職を失って路頭に迷い、商品を購入するような余裕がなくなったため、不況の再生産が続いた。
ここで重要な視点は、古典経済学では、資本家の自由な意思に委ねれば、市場が勝手に景気調整に成功するという妄想が蔓延し、商品経済と景気の本質が、労働者の小さな購買力の積み重ねによって支えられているという本質を見抜く者がいなかったことである。ニューディール大恐慌を引き起こした原因は、安倍晋三や竹中平蔵のような経済の本質を理解できない愚昧な人物が国家経済を管理していたせいといえよう。
1929年10月24日、後にBlack Thursday(暗黒の木曜日)と呼ばれるようになるこの日、ウォール街のニューヨーク証券取引所で株価の大暴落が発生した。
国民は大慌てで倒産の危機に晒された銀行から預金を引き出し、銀行は倒産。銀行が融資していた企業も倒産、企業に仕事をもらっていた工場も倒産……とドミノ倒しのように影響が広がった。
投資家にもの凄い数の自殺者が出て、失業率が25%にまで上昇した。
アメリカは世界経済へ強大な影響力をもっていたため、この大恐慌は世界中を混乱の渦に陥れた。
1933年に大統領に就任したフランクリン・ルーズベルトは「ニューディール政策」を実施した。
それまでアメリカは、原則、政府の市場介入を否定する古典派経済学の理論に従って、自由主義的な経済政策をとっていたが、ここからは政府が積極的に市場に介入する方針へ転換した。
ケインズ経済学は1936年の主著「雇用・利子・貨幣の一般理論」の出版を契機に世界的にケインズ学派として台頭するのだが、その数年前から、経済不況に対して国家による介入を行わなければ立て直すことができないと主張し、これらの理論が、アメリカ政界での支持を集め始めていた。
経済に対する国家的管理というのは、反トラスト法を撤廃、カルテルという企業連合を推奨。これが重要だが、企業を政府の監視下に置いて、生産量の調整をした。
労働者の最低賃金を保証し、彼らの団結権や団体交渉権を認めている。
ケインズは、史上はじめて、古典経済学が認めなかった、「労働者による購買力が需要を生み出し、景気を支える」という理論を政策として実現するよう働きかけた。
需要こそ経済のすべてである。需要を支えるのは資本家でなく、底辺の労働者の購買力であるという本質を明らかにしたのである。
ただし、この時期、当時、広大な植民地を保有していたフランスやイギリスを軸に「ブロック経済」という輸出入の囲い込みが行われ、日本・ドイツ・イタリアがブロックから排除されたことで、これらがファッシズム化して第二次世界大戦の原因となってゆく。
日本が東アジア全体を侵略併合しようとした理由は、まさに、他国ブロックに依存する必要のない日本ブロックを確立しようとしたためであった。
ケインズは、大恐慌を解決するため金融政策(利子率の引き下げ)や経済政策(公共事業など政府が経済のためにお金を使うこと)を主張し、ルーズベルトやトルーマンにも大きな影響を与えた。
それまで、世界中の国で赤字国債を発行して経済を回復させようなんて考えはなかったが、ケインズの理論では、政府がお金を使って雇用を生み景気を回復させればいいという新しい発想を提起した。
公共事業で底辺の国民に金が回るようにし、購買力を上げることで、経済の最底辺を活性化することが、真の需要を回復させる王道であると主張したのである。
ケインズは大金持ちへの租税負担を増やすべきだと考えた。
これを累進課税という。一般的な人は、貯金もするけど食費や家賃、洋服代や学費などで給料の大半は使ってしまう。一方、金持ちは消費もするけど生活に余裕があるので貯金も大きい。
それなら、金持ちから税金をとり、その税金を失業者の生活費にあてた方が経済は良くなると考えた。失業者の人や生活に困っている人に分け与えて食費などすぐに消費してもらった方が景気回復に直結するのである。
この点を、安倍や竹中の耳元で、鼓膜が破れるまで怒鳴り続ける必要があるだろう。
ケインズは銀行の利子率を下げることも考えた。利子率が良くてその利子だけで生活ができるとしたら貯金を下ろさない。逆に利子が低ければ、銀行にお金を預けていても得をしない。金利が安いから借りるには有利。
となれば銀行からお金を借りて新しい事業を興そうっていう人も出てきて景気の上昇に役立つという仕組みだが、これはケインズ時代と違って、現代の金融国家主義では、大金持ちが投機に走るだけで、大衆の所得上昇には役立たないという結果を招いている。
公共事業での景気回復も効果が薄れてしまった。道路が整備されていない場所に大きな道路をつくれば、その周辺に商店ができたりして活気づき経済効果は大きかったのだが、もう必要な道路は日本中出来てしまって、新たに道路をつくっても経済効果は小さい。
ニューディール大恐慌では、失業率がアメリカで25パーセント、ドイツで40パーセントを記録するなど、先進工業国全体が長期にわたる深刻な不況に見舞われた。
従来の新古典派経済学の常識(現代の新自由主義経済学も、古典派経済学のコピーといってもいい)では、民間人の自由な競争に任せれば市場メカニズムが働いて自動的に均衡がもたらされるはずであった。
失業者がたくさん出たならば、失業者達も今雇われている労働者達もみな雇用のために競争して安い賃金を受け入れるので、賃金が下がっていき、企業は前よりもうかるようになって雇用を増やすので、やがて失業は解消されるはずであった。
ところが実際には「大不況」の中でいつまでたっても失業はなくならなかったのである。
ケインズは、市場に任せたままでは、労働者の賃金は下がり続け、全般的な需要不足が起こり、失業者が大量に出たまま経済が落ち着いてしまうと指摘した。
全般的な需要の水準によって、経済全体の生産水準が決まり、経済全体の雇用水準も決まるのであり、これを「有効需要の原理」と言う
だから、政府が公共事業などの政策をとって財やサービスへの需要を増やしてやれば、雇用も増えて失業はなくなっていくということになる。
それまでの新古典派経済学によれば市場は民間人の自由に任せておくべきで、政府が手出ししてはならないということになっていた。それに対してケインズはこのように政府による経済への積極的介入政策を提唱したわけだから、これは従来の経済学上の常識からの大きな転換であった。
【ケインズ理論の歪曲】
ケインズ死後、この理論はたちまち世界中に広がり、「ケインジアン」と呼ばれるその信奉者達によって現実の政策に影響を与えていくようになる。すなわち、民間の自由に任せる「小さな政府」ではなくて、不況になったら不況対策を取る「大きな政府」があたりまえのことになった。
ところが、ケインジアンたちは、ケインズ理論に対する本質的な誤解・曲解に満ちていた。
有効需要不足で失業がなくならずに経済が落ち着いてしまうのは、価格がスムーズに動かないから、とりわけて賃金がスムーズに下がらないから(「貨幣賃金率の下方硬直性」)というのが原因だと言うのである。これは、古典派経済学者の亡霊がケインズ理論乗っ取ったかのようで、経済原理とは、社会的需要から発生するという根本が矮小化されたわけである。
需要不足でも価格が下がれば、安くなったなら買おうと需要は増えてくるだろうし、失業が出ていても賃金が下がれば、企業は雇用を増やすだろう。価格や賃金が下がらないから悪いと言うわけだ。
ケインジアン達は、価格や賃金は下がらないものだと受け入れて、政府支出の増加や貨幣供給の増加で有効需要を増やして失業を無くす政策を推進したのである。
ところが彼らのこの前提からくる政策が失敗してしまったのが、1970年代のスタグフレーション(不況下のインフレ=景気も賃金も下がり、物価だけが上昇してゆく)であった。
普通は好況のときにインフレ(物価上昇)になり、不況のときにはデフレ(物価下落)になる。ところがこのころは、不況なのにインフレになるという奇妙な現象に見舞われたのである。すると、不況で失業者が増えたからと言って有効需要拡大政策をとっても、ちっとも失業は減らず、インフレが悪化するばかりになってしまった。
2019年の日本でも、デフレを超えて物価上昇傾向が進み、もちろん賃金は上がらない、文句のないスタグフレーションである。これは消費傾向が、社会全体の雰囲気に左右されること。すなわち、人々は「人を見て購買欲を高める」、安倍増税を恐怖して消費を抑制する、いわゆる雰囲気経済の意味が自民党・新自由主義者たちに理解できないことが原因になっていると私は思う。
ベトナム戦争下のスタグフレーションでケインジアン達の信用は失墜し、新古典派の流れをくむ、マネタリスト、サプライ・サイド・エコノミスト、合理的期待形成学派といった反ケインズ派の理論が力を持った。
ネオコン=フリードマンらは、政府は経済のことから手を引き、市場メカニズムに任せるべきだとして、再び「小さな政府」を主張した。
人間の真の自由は金儲けの自由、格差差別の自由だと主張した。そして現実の経済政策も、1980年代以降、規制緩和、民営化、財政削減といった反ケインズ的路線が世界中で進められていったのである。これを「新自由主義」と言う。
賃金がスムーズに下がらないから失業が起きるなどという解釈は、ケインズ以前の新古典派が30年代大不況を見て言っていた説明とまったく同じである。
新古典派は、だから賃金引き下げに抵抗する労働組合を攻撃して賃金がスムーズに下がるようにしろと主張していたのである。まさにこの通りのことを80年代以降の新古典派式の政策もやった。(フリードマンの支持者であったニクソン・レーガンらである)
ケインズはこのような説明を批判して自己の学説を打ち出したはずではないのか。
ケインズが本当に言っていたことは、価格や名目賃金がどんなにスムーズに下がっても失業はなくならない、いやその方が事態はむしろますます悪化するということである。
以上、参考にした文献
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/yougo_keynes.html
https://rekisi.info/keinnzu.html
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概括的に述べれば、経済学は1930年前後の、ケインズ理論によって大きな革命を迎えた。
それまでの古典派・新古典派経済学は、あくまで資本家の利権を守るための理論であり、「労働者に利益を還元する」なんて発想は、身の毛もよだつ「アカ」の暴力的主張であり、資本家の権利を侵すものであると捉えられていた。
しかし、ケインズは、資本家たちの利己主義的妄想に、真正面から楔を打ち込んだ。
繰り返される不況=恐慌の原因について、マルクス主義経済学の視点を取り入れ、需要こそが経済の母であるとし、需要を定めるのは、資本家の供給力ではなく、底辺の労働者の購買力であると断じた。
もちろん、こうした労働者本位制のような経済学説は、マルクス経済学では常識以前の常識なのだが、アメリカでは、資本家の地位絶対視の価値観があったため、この種の学説議論は毛嫌いされ、社会的排除を受けてきた。
それは現在でも顕著で、ケインズの労働者購買力優遇が、どうにも面白くない勢力が幅をきかせているため、戦後でも、経済学説はケインズの否定がなければ読まれない風潮があり、ネオコンから新自由主義へと発展しいた右翼勢力で顕著である。
とりわけ80年代レーガン政権では、フリードマンの新自由主義学説が、ゾンビのように古典経済学を蘇らせ、中曽根康弘・竹中平蔵らによって日本に持ち込まれた。
フリードマン=竹中平蔵の新自由主義を短い言葉で表せば、「金儲けの自由、格差の自由」こそ、人間の本源的自由であって、大きな政府を作って経済に国家的介入を行えば、すべて失敗し、無統制にして国家関与を拒否すれば、市場の自律原理によって、経済は順調に進展するというものである。
レーガン・中曽根・サッチャーらによって世界に拡散した新自由主義経済は、まさに古典経済学の焼き直しであり、資本家の利益を守るためだけのものだが、2000年前後から世界的潮流となり、グローバルスタンダード、金融国家主義経済として世界を制覇している。
これが何を招くのかといえば、2007年に起きたサブプライムローン破綻による世界的恐慌であり、この原因は国家による経済関与を拒否して、自由にマネタリング=デリバティブを前面に飾った虚構経済による、世界の自律経済の根源的破壊であった。
そして今、2019年、ドイツ銀行と中国経済破綻により、2007年の100倍以上の規模での、人類史最大の世界大恐慌が避けられない状況となっている。
こんな ブログを書いている理由は、指呼の距離に近づいた世界大恐慌で、為替も貿易も停止し、世界中が大混乱に陥れられる事態を目前にして、何が原因で、こうした事態を招いているのか考えていただきたいからである。
大恐慌が起きた原因は、1914年から1918年、欧州で第一次世界大戦が行われた。戦時中、欧州で作っていた工業製品や農作物を、アメリカで作るようになった。
このため、アメリカの景気は大活況を呈した。第一次大戦が終結しても、疲弊していたヨーロッパはその役割を担うことができず、アメリカは世界経済の中心であり続けた。
1920年代に入ってからはアメリカ国内の都市化が進み、住宅需要、道路整備、自動車産業にも追い風が吹いて、大変な好景気が出現した。米国企業の株はバブル的に暴騰していった。
株を買う動きは、アメリカ人の投資家だけでなく、世界中に広がった。戦争で疲弊している国の株を買うよりも、調子の良いアメリカの株を買ったほうが儲かるように思うのは当然である。
しかし、ここで、「景気が良すぎて不景気を招く」という「恐慌」現象が起きて、アメリカの戦争バブル経済が崩壊し、余剰生産物が返品の山を築くことで、大不況に突入することになる。
ちょうど今の安倍政権がやっているの同じように、当時の古典経済理論では、「商品が売れなくなれば労働者の賃金を減らし、リストラする」ことで、政府が何もしなくても市場自体による合理的な調整が行われるという屁理屈で、政府は一切、経済に介入せず、労働者は職を失って路頭に迷い、商品を購入するような余裕がなくなったため、不況の再生産が続いた。
ここで重要な視点は、古典経済学では、資本家の自由な意思に委ねれば、市場が勝手に景気調整に成功するという妄想が蔓延し、商品経済と景気の本質が、労働者の小さな購買力の積み重ねによって支えられているという本質を見抜く者がいなかったことである。ニューディール大恐慌を引き起こした原因は、安倍晋三や竹中平蔵のような経済の本質を理解できない愚昧な人物が国家経済を管理していたせいといえよう。
1929年10月24日、後にBlack Thursday(暗黒の木曜日)と呼ばれるようになるこの日、ウォール街のニューヨーク証券取引所で株価の大暴落が発生した。
国民は大慌てで倒産の危機に晒された銀行から預金を引き出し、銀行は倒産。銀行が融資していた企業も倒産、企業に仕事をもらっていた工場も倒産……とドミノ倒しのように影響が広がった。
投資家にもの凄い数の自殺者が出て、失業率が25%にまで上昇した。
アメリカは世界経済へ強大な影響力をもっていたため、この大恐慌は世界中を混乱の渦に陥れた。
1933年に大統領に就任したフランクリン・ルーズベルトは「ニューディール政策」を実施した。
それまでアメリカは、原則、政府の市場介入を否定する古典派経済学の理論に従って、自由主義的な経済政策をとっていたが、ここからは政府が積極的に市場に介入する方針へ転換した。
ケインズ経済学は1936年の主著「雇用・利子・貨幣の一般理論」の出版を契機に世界的にケインズ学派として台頭するのだが、その数年前から、経済不況に対して国家による介入を行わなければ立て直すことができないと主張し、これらの理論が、アメリカ政界での支持を集め始めていた。
経済に対する国家的管理というのは、反トラスト法を撤廃、カルテルという企業連合を推奨。これが重要だが、企業を政府の監視下に置いて、生産量の調整をした。
労働者の最低賃金を保証し、彼らの団結権や団体交渉権を認めている。
ケインズは、史上はじめて、古典経済学が認めなかった、「労働者による購買力が需要を生み出し、景気を支える」という理論を政策として実現するよう働きかけた。
需要こそ経済のすべてである。需要を支えるのは資本家でなく、底辺の労働者の購買力であるという本質を明らかにしたのである。
ただし、この時期、当時、広大な植民地を保有していたフランスやイギリスを軸に「ブロック経済」という輸出入の囲い込みが行われ、日本・ドイツ・イタリアがブロックから排除されたことで、これらがファッシズム化して第二次世界大戦の原因となってゆく。
日本が東アジア全体を侵略併合しようとした理由は、まさに、他国ブロックに依存する必要のない日本ブロックを確立しようとしたためであった。
ケインズは、大恐慌を解決するため金融政策(利子率の引き下げ)や経済政策(公共事業など政府が経済のためにお金を使うこと)を主張し、ルーズベルトやトルーマンにも大きな影響を与えた。
それまで、世界中の国で赤字国債を発行して経済を回復させようなんて考えはなかったが、ケインズの理論では、政府がお金を使って雇用を生み景気を回復させればいいという新しい発想を提起した。
公共事業で底辺の国民に金が回るようにし、購買力を上げることで、経済の最底辺を活性化することが、真の需要を回復させる王道であると主張したのである。
ケインズは大金持ちへの租税負担を増やすべきだと考えた。
これを累進課税という。一般的な人は、貯金もするけど食費や家賃、洋服代や学費などで給料の大半は使ってしまう。一方、金持ちは消費もするけど生活に余裕があるので貯金も大きい。
それなら、金持ちから税金をとり、その税金を失業者の生活費にあてた方が経済は良くなると考えた。失業者の人や生活に困っている人に分け与えて食費などすぐに消費してもらった方が景気回復に直結するのである。
この点を、安倍や竹中の耳元で、鼓膜が破れるまで怒鳴り続ける必要があるだろう。
ケインズは銀行の利子率を下げることも考えた。利子率が良くてその利子だけで生活ができるとしたら貯金を下ろさない。逆に利子が低ければ、銀行にお金を預けていても得をしない。金利が安いから借りるには有利。
となれば銀行からお金を借りて新しい事業を興そうっていう人も出てきて景気の上昇に役立つという仕組みだが、これはケインズ時代と違って、現代の金融国家主義では、大金持ちが投機に走るだけで、大衆の所得上昇には役立たないという結果を招いている。
公共事業での景気回復も効果が薄れてしまった。道路が整備されていない場所に大きな道路をつくれば、その周辺に商店ができたりして活気づき経済効果は大きかったのだが、もう必要な道路は日本中出来てしまって、新たに道路をつくっても経済効果は小さい。
ニューディール大恐慌では、失業率がアメリカで25パーセント、ドイツで40パーセントを記録するなど、先進工業国全体が長期にわたる深刻な不況に見舞われた。
従来の新古典派経済学の常識(現代の新自由主義経済学も、古典派経済学のコピーといってもいい)では、民間人の自由な競争に任せれば市場メカニズムが働いて自動的に均衡がもたらされるはずであった。
失業者がたくさん出たならば、失業者達も今雇われている労働者達もみな雇用のために競争して安い賃金を受け入れるので、賃金が下がっていき、企業は前よりもうかるようになって雇用を増やすので、やがて失業は解消されるはずであった。
ところが実際には「大不況」の中でいつまでたっても失業はなくならなかったのである。
ケインズは、市場に任せたままでは、労働者の賃金は下がり続け、全般的な需要不足が起こり、失業者が大量に出たまま経済が落ち着いてしまうと指摘した。
全般的な需要の水準によって、経済全体の生産水準が決まり、経済全体の雇用水準も決まるのであり、これを「有効需要の原理」と言う
だから、政府が公共事業などの政策をとって財やサービスへの需要を増やしてやれば、雇用も増えて失業はなくなっていくということになる。
それまでの新古典派経済学によれば市場は民間人の自由に任せておくべきで、政府が手出ししてはならないということになっていた。それに対してケインズはこのように政府による経済への積極的介入政策を提唱したわけだから、これは従来の経済学上の常識からの大きな転換であった。
【ケインズ理論の歪曲】
ケインズ死後、この理論はたちまち世界中に広がり、「ケインジアン」と呼ばれるその信奉者達によって現実の政策に影響を与えていくようになる。すなわち、民間の自由に任せる「小さな政府」ではなくて、不況になったら不況対策を取る「大きな政府」があたりまえのことになった。
ところが、ケインジアンたちは、ケインズ理論に対する本質的な誤解・曲解に満ちていた。
有効需要不足で失業がなくならずに経済が落ち着いてしまうのは、価格がスムーズに動かないから、とりわけて賃金がスムーズに下がらないから(「貨幣賃金率の下方硬直性」)というのが原因だと言うのである。これは、古典派経済学者の亡霊がケインズ理論乗っ取ったかのようで、経済原理とは、社会的需要から発生するという根本が矮小化されたわけである。
需要不足でも価格が下がれば、安くなったなら買おうと需要は増えてくるだろうし、失業が出ていても賃金が下がれば、企業は雇用を増やすだろう。価格や賃金が下がらないから悪いと言うわけだ。
ケインジアン達は、価格や賃金は下がらないものだと受け入れて、政府支出の増加や貨幣供給の増加で有効需要を増やして失業を無くす政策を推進したのである。
ところが彼らのこの前提からくる政策が失敗してしまったのが、1970年代のスタグフレーション(不況下のインフレ=景気も賃金も下がり、物価だけが上昇してゆく)であった。
普通は好況のときにインフレ(物価上昇)になり、不況のときにはデフレ(物価下落)になる。ところがこのころは、不況なのにインフレになるという奇妙な現象に見舞われたのである。すると、不況で失業者が増えたからと言って有効需要拡大政策をとっても、ちっとも失業は減らず、インフレが悪化するばかりになってしまった。
2019年の日本でも、デフレを超えて物価上昇傾向が進み、もちろん賃金は上がらない、文句のないスタグフレーションである。これは消費傾向が、社会全体の雰囲気に左右されること。すなわち、人々は「人を見て購買欲を高める」、安倍増税を恐怖して消費を抑制する、いわゆる雰囲気経済の意味が自民党・新自由主義者たちに理解できないことが原因になっていると私は思う。
ベトナム戦争下のスタグフレーションでケインジアン達の信用は失墜し、新古典派の流れをくむ、マネタリスト、サプライ・サイド・エコノミスト、合理的期待形成学派といった反ケインズ派の理論が力を持った。
ネオコン=フリードマンらは、政府は経済のことから手を引き、市場メカニズムに任せるべきだとして、再び「小さな政府」を主張した。
人間の真の自由は金儲けの自由、格差差別の自由だと主張した。そして現実の経済政策も、1980年代以降、規制緩和、民営化、財政削減といった反ケインズ的路線が世界中で進められていったのである。これを「新自由主義」と言う。
賃金がスムーズに下がらないから失業が起きるなどという解釈は、ケインズ以前の新古典派が30年代大不況を見て言っていた説明とまったく同じである。
新古典派は、だから賃金引き下げに抵抗する労働組合を攻撃して賃金がスムーズに下がるようにしろと主張していたのである。まさにこの通りのことを80年代以降の新古典派式の政策もやった。(フリードマンの支持者であったニクソン・レーガンらである)
ケインズはこのような説明を批判して自己の学説を打ち出したはずではないのか。
ケインズが本当に言っていたことは、価格や名目賃金がどんなにスムーズに下がっても失業はなくならない、いやその方が事態はむしろますます悪化するということである。
以上、参考にした文献
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/yougo_keynes.html
https://rekisi.info/keinnzu.html
***************************************************************************
概括的に述べれば、経済学は1930年前後の、ケインズ理論によって大きな革命を迎えた。
それまでの古典派・新古典派経済学は、あくまで資本家の利権を守るための理論であり、「労働者に利益を還元する」なんて発想は、身の毛もよだつ「アカ」の暴力的主張であり、資本家の権利を侵すものであると捉えられていた。
しかし、ケインズは、資本家たちの利己主義的妄想に、真正面から楔を打ち込んだ。
繰り返される不況=恐慌の原因について、マルクス主義経済学の視点を取り入れ、需要こそが経済の母であるとし、需要を定めるのは、資本家の供給力ではなく、底辺の労働者の購買力であると断じた。
もちろん、こうした労働者本位制のような経済学説は、マルクス経済学では常識以前の常識なのだが、アメリカでは、資本家の地位絶対視の価値観があったため、この種の学説議論は毛嫌いされ、社会的排除を受けてきた。
それは現在でも顕著で、ケインズの労働者購買力優遇が、どうにも面白くない勢力が幅をきかせているため、戦後でも、経済学説はケインズの否定がなければ読まれない風潮があり、ネオコンから新自由主義へと発展しいた右翼勢力で顕著である。
とりわけ80年代レーガン政権では、フリードマンの新自由主義学説が、ゾンビのように古典経済学を蘇らせ、中曽根康弘・竹中平蔵らによって日本に持ち込まれた。
フリードマン=竹中平蔵の新自由主義を短い言葉で表せば、「金儲けの自由、格差の自由」こそ、人間の本源的自由であって、大きな政府を作って経済に国家的介入を行えば、すべて失敗し、無統制にして国家関与を拒否すれば、市場の自律原理によって、経済は順調に進展するというものである。
レーガン・中曽根・サッチャーらによって世界に拡散した新自由主義経済は、まさに古典経済学の焼き直しであり、資本家の利益を守るためだけのものだが、2000年前後から世界的潮流となり、グローバルスタンダード、金融国家主義経済として世界を制覇している。
これが何を招くのかといえば、2007年に起きたサブプライムローン破綻による世界的恐慌であり、この原因は国家による経済関与を拒否して、自由にマネタリング=デリバティブを前面に飾った虚構経済による、世界の自律経済の根源的破壊であった。
そして今、2019年、ドイツ銀行と中国経済破綻により、2007年の100倍以上の規模での、人類史最大の世界大恐慌が避けられない状況となっている。
こんな ブログを書いている理由は、指呼の距離に近づいた世界大恐慌で、為替も貿易も停止し、世界中が大混乱に陥れられる事態を目前にして、何が原因で、こうした事態を招いているのか考えていただきたいからである。