gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

真実を遠ざける人々

2019年04月26日 | 未分類
 以下は、2019年、4月15日放送の大竹ラジオ、森永卓郎の主張である。
 https://www.youtube.com/watch?v=O37s71VMUrE

 森永は、日本政府によるWTO(世界貿易機関)提訴=韓国が福島県の食品を輸入禁止にしているのはWTO協定違反=という論理が、WTO上級審によって却下され、韓国が自国に放射能汚染の疑いのある食品を拒否するのは正当という裁定で決着がついたことに反論している。

 「福島県食材は、完全に科学的に検査された安全なものであり、何一つ問題はなく、韓国が拒否する理由が存在しない。」
 と断言している。だから韓国の主張には科学性ないという理屈なのだが、私は、これを聞いた瞬間に、長年の森永卓郎に対する信頼が根底から瓦解した。

 私が繰り返し書いてきたように、福島県による食材調査は、放射能汚染は存在しないという前提での、インチキ測定の連続で、まともな検査が行われているとは、とうてい思えない。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-507.html

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-723.html

 福島県の「検査」に騙されて、安全と信じて「福島を応援する」つもりで福島県産食品を食べていると、死亡率が大きく上がると紹介したばかりだ。

 「科学的」という言葉を持ち出せば、黄門様の印籠のように人々をひれ伏させる時代は、とうの昔に終わっている。
 福島第一原発事故以降は、むしろ「科学的」という言葉は不信感の代名詞といってもいいほどだ。
 フクイチ事故直後、「科学の総本山」、東大の関村直人がNHKに出ずっぱりになって、「炉心溶融は科学的にありえない」と、真っ赤なウソをつき続け、地元住民を騙して避難を遅らせて無用の被爆をさせたことは誰もが忘れない。

 そもそも、原子力産業は、原発を建設するにあたって、その危険性を「科学的」に、どう評価してきたのか?

 原子力産業は、原子炉一基のメルトダウン事故の起きる確率は「100万年~1億年に一度しかない」と「科学的」に評価し、それを超危険な原発を建設する錦の御旗にしてきたのである。
 https://genpatsu.tokyo-np.co.jp/page/detail/428

 現実には、あまり知られていない核事故であるセラフィールド・キシュティムを含め、スリーマイル・チェルノブイリ・福島第一原発の巨大事故を見れば、炉心溶融に近い、放射能巨大環境汚染の頻度は、実に10年に一度である。
(過去80年の核事故だが、福島は4基の原子炉が崩壊したので、40年分、残りは上の四つの大事故である)
 これを1000万年に一度しか事故は起きないと大宣伝してきたのが、原子力産業である。これが「科学」の正体であった。

 原子力産業による科学的な事故の頻度は、最大に見積もっても1炉心につき100万年に一度なのだから、現在運転している原子炉が443基として、2300年に一度しか放射能環境汚染事故が起きない理屈になるのだが、現状は上に説明したとおり、10年に一度であり、原子力産業は、事故のリスクを230分の1以下に見積もってきたことになる。

 https://www.jaif.or.jp/cms_admin/wp-content/uploads/2018/04/doukou2018-press_release-r1.pdf

 ちなみに、東大の関村直人が、NHKで「絶対にメルトダウンはありえない」と言い続けた根拠も、以上の屁理屈であった。
 関村の時代では、1炉心について1億年に1度の大事故リスクしかないと言い続けて原発を世界一の地震大国日本に、54基も作ってきたのである。

 「科学的にありえないはずの炉心溶融事故が10年に1度起きる」ことを前提に考えれば、フクイチ事故から8年、そろそろ、世界のどこかで、再びメルトダウン巨大放射能事故が起きるのは、約束された必然的な事態であるといわねばならない。
 地球上の443基のうち、次に事故を起こすのは、どこの原発なのだろう?

 チェルノブイリ事故やフクイチ事故で明らかになったように、たった一つの原子炉が崩壊しても、人類に対するダメージは大きい。
 とりわけ胎児への影響が大きく、メルトダウン事故一回につき、世界中で数千万人の胎児が死亡すると評価する研究者も少なくない。
 (グーグル検索から掲載サイトが排除されているため紹介できない)

 私の、長年にわたる原発の危険情報によれば、国内で大事故リスクの大きな原発は、第一に、高浜・美浜などの若狭地区の原発=これは稼働以来40年を大きく超えている老朽化の問題と、関西電力の事故に対する姿勢のひどい甘さを見てのことだ。
 第二に、伊方原発で、当初は、玄海原発の方が脆性劣化による危険性が高かったのだが、廃炉決定がされたので、今は、南海トラフ震源地に近く、津波リスクの非常に大きい伊方原発が大事故リスクが高いと判定している。

 外国では、すでにメルトダウンを起こした疑いのある中国、深圳に近い大亜湾原発。稼働以来、事故と隠蔽の連続であるとの報告が多い。おまけに中国最古の1993年稼働で、すでに27年と、加圧水型・炉心圧力容器の耐用年数に近い。
 噂によれば、過去に大規模な放射能漏れ事故を起こし、周辺地域では毎時1マイクロを超える線量で、住民の被曝に対して高額の口止め料を支払っているとの報道がある。
 https://www.epochtimes.jp/2016/12/26524.html

 もう一つは、韓国の古里原発である。1978年に稼働し、すでに40年を経ている超老朽原発で、文政権は、就任後、最初に、この原発の廃炉を約束したが、同じ敷地内に新古里原発が稼働しており、これも杜撰な手抜き工事により、格納容器のPCコンクリートに穴が開いているといわれる。
 https://matome.naver.jp/odai/2145772028451358401

 韓国の原発は、どこも手抜き工事のオンパレードで、交換部品も、正規品でなく、コストを大きく下げたまがい物が使われていると報道されていて、こんなデタラメな運営の続く原発群が事故を起こさないわけがない。

 実は、核事故としては、原子力潜水艦や原子力空母のリスクが大きいのだが、軍事機密の壁に阻まれて、情報が入手できない。
 これは、大規模環境汚染を起こして、放出された放射能をモニタリングしていて初めて分かるものである。
 このため、私は5年前から、室内ではあるが、24時間、環境放射線量をモニタリングしている。これによって、2017年9月の北朝鮮核実験の放射線を捉えることができた。

 さて、冒頭に紹介した森永卓郎の言葉「科学的」が、どれほど政治的意図によってねじ曲げられ、真実を反映できない概念かは、多くの人が思い知らされていると思う。
 翻って、今の日本に、「真実」がどれだけ価値を持っているのだろう?

 過去、数十年の経験から、私は日本の核開発=原子力事業の説明には、真実はまったく含まれていなと思い知らされてきた。
 真実を語れば、たちまち社会から排除される危険性、不合理で無益な暴走が含まれているからだ。

 その本源的な理由が、この金儲け最優先の新自由主義社会にあって、原子力=核開発というものが、巨大な利権の性格を帯びているからである。
 「金になること」については、真実性は隠蔽される。真実を隠蔽しなければ金にならないからだ。
 原子力産業=原発という分野は、そもそも中曽根康弘と正力松太郎が日本社会に導入した当初から、核兵器開発と同義語だったのだ。

 「核抑止力」という恐ろしいほどに欺瞞に満ちた概念がまことしやかに語られてきたが、「お前を殺せる武器を持ってるぞ、だから手を出すな」という屁理屈が、国際社会の戦争抑止力だと信ずる知能が、どれほど馬鹿げたものか理解できない人が多いことが私には理解できない。

 人間の本性としては、「おう! だったらやってみやがれ」となるのが人間関係の常識であって意地というものだ。
 「殺せる武器を持ってるから黙ってろ」なんて言われて引き下がるようなアホは、地球上には滅多にいないのである。
 人間社会なんてのは、意地の突っ張りあいとしての競争社会なのだから。

 こんな屁理屈が戦後社会で通用してきた本当の理由は、核兵器開発が、猛烈に金になるからであり、金が権力を保障するからなのである。
 しかし、「金儲けのために脅し合いを容認します」なんて説明は通らない。「他人を殺せる武器を持っていれば、安全である」という見え透いた究極の欺瞞によって、人々を説得するしかなかったのだ。

 とりわけ、核が人間社会に与える健康上の影響については、開発した側は自分の体験も含めて百も承知しているはずなのだが、表向きは、何も起きない、安全だとしておかないと、国民から核開発を理由に金を巻き上げることはできない。
 核の生物に与える毒性については、実際の数%程度の真実しか公表していない。
 何から何まで、ウソに満ちている。真実を語ろうとする者を、徹底的に弾圧してきた。

 その成果が冒頭に紹介した、森永卓郎による「福島の食材は科学的検査により完全に安全だ」という救いがたい屁理屈なのである。
 科学者も医者も評論家も、絶対に真実を語らないよう口止めされ、ウソで固めた屁理屈しか言わない。真実を言えば、社会から追放されるしかない。
 こうして、真実が、どんどん遠ざけられた社会が成立してしまった。

 私はインターネット時代が来れば、ありとあらゆる膨大な情報が共有されるわけだから、ウソがつけない社会が来ると信じていた。
 核開発の欺瞞に満ちたウソも、ネット社会によって駆逐されるものと信じてきた。
 しかし、そうはならなかった。むしろ逆進しているとさえ感じている。

 福島の農産物・水産物の放射能汚染は、森永卓郎のようなウソで固められ、みんながそれを信ずるようになった。
 だが、ネット上には、それが完全なウソであることを明らかにする基礎知識が山ほど置かれている。本気で調べれば、福島の環境汚染、食材汚染が致命的なものであり、福島に人は住めないという真実が誰にでも容易に理解されるはずだった。
 だが、真実は「科学」の名の下のウソによって隠蔽され続けている。
 みんなが、「エセ科学」を信じるようになって、我々のように真実の情報を語る者たちをペテン師と決めつける時代がやってきた。

 しかし、私は諦めてはいない。ネットにはウソとともに、真実もあふれているのだ。グーグルもフェイズブックもツイッターも、真実を排除し、権力の設定したウソだけを宣伝する社会になってしまったが、真実は、彼らによって隠蔽されるほど弱いものではない。

 真実は最強の情報である。ありとあらゆる情報と整合性という作用によって、真実以外は淘汰されて、最後に残るのは真実だけなのだ。
 そのとき、真実を妨害した連中の悪意も明らかにされ、人々から完全に信用を失い、二度と回復できなくなるだろう。

 私は、放射能について勝手なウソは書いていない。すべて、1970年代からの公的な情報を根拠に書いてきた。私の情報は真実である。
 もちろん、いくばくかの誤認や間違いも含まれているだろうが、それは改訂すればすむ問題だ。
 金儲けのために真実をねじ曲げ、嘘の情報で人々を騙してきた連中とは違うのだ。

 私に対しては、毎日必ず、嫌がらせを書き込まれるのだが、その中身は、見るだけで吐き気を催すようなウソばかりだ。読むような価値は皆無なので、ただちにドブに捨てるしかないのだが、よくもまあ、ここまでデタラメと知ったかぶりだけで書いていられるものだと呆れかえるしかない代物である。
 その連中が、私のブログを、「すべてデマ」を決めつけて拡散しているのである。
 しかし、いずれ真実によって彼らは駆逐される。
 そのときは高いツケを支払わされることになるだろう。