70歳を過ぎるあたりから、全身ボロボロを自覚するようになった。
朝起きた時、全身が痛む。腎臓も悪くなっているので、夜中に何度もトイレに起きるのだが、簡単に起き上がることができず、立ち上がるまで、ひどく時間がかかる。
手近にある椅子や家具につかまらないと立ち上がれない。
一つには、60歳ころから始まった老人性筋萎縮=サルコペニアも関係していると思う。私の太かった太腿は、ずいぶん細くなった。
https://activesenior-f-and-n.com/sarcopenia/outline.html
腎機能が悪いと、動物性タンパク質を摂ると腎臓が腫れあがって腰痛が起きやすくなるので、どうしても食事が植物質に偏ってゆくため、サルコペニアが加速するのだ。
未明から、背中が石板のように硬直して痛み、眠れなくこともある。
30歳代では、40Kgを超えるザックを背負って、厳冬のアルプスをスノーラケットでラッセルしながら縦走することができた。夜は雪洞を掘って寝た。
今では、5Kg程度のザックで5Kmくらい、標高差200mくらいを歩くのがやっとで、歩き始めは全身が重くて辛い。もうテントも持てない。
歩いて呼吸トレーニングしないと、持病の間質性肺炎が炎症を起こしやすくなって、夜中に息切れが起きて寝られなくなる。
間質性肺炎を発症したのは、2011年ころから、突然、周囲の池や浄化槽でユスリカが大量発生したのに対策がわからなかったことが原因だ。
眼に見えないほど小さな死骸が室内に積み重なり、それを吸い込んでアレルギーを起こしたのだ。それは最悪の喘息発作だった。
2014年には、「ブツブツバリバリ」という呼吸音が出て、呼吸能力が半分以下に落ちてしまい、死を覚悟するほどになった。
ユスリカ大発生は、それまで7年以上住んで、一度も経験したことのない事態だったので、もしかしたら2011年のフクイチ放射能降下が関係していると思った。
デミリンという脱皮阻害薬を投入するようになってから、大量発生はなくなった。しかし、今でも夏場に数回デミリンを投入している。
目に見えるか見えないか程の蚊が飛んでいると恐怖に包まれる。
https://agro.jp/nouyaku/yakuzai/i161.html
発症当時、いろいろネットで調べたところ、私の症状は、「蜂巣肺」そして「肺繊維症」に合致していて、発症から余命5年程度と思われた。
発症時に呼吸能力が半分程度に減退したのだが、以来10年間、呼吸トレーニングを積み重ねても復活はない。
このとき、もう山を歩けないと絶望して、かなりひどい鬱病になった。
主な症状としては、自分の生活や社会に関心が薄れ、部屋が汚れていても、作業場が散らかっていても、それに意識のピントが合わず、片づける気力も湧かないで、家がゴミ屋敷になってしまったことだ。
知的レベルも低下し、自分の勝手な妄想、思い込みの世界を彷徨うようになった。どうみても「異常者」だった。
こんな状態で、近所のAという老人が、我が家に泥棒に入り、車を8回もパンクさせたり、無線機など片っ端から盗み出すようになり、私の鬱病は加速し、どうしてよいかわからなくなった。
Aは、監視カメラを避ける高度なスキルのあるプロの泥棒だったので、証拠が得られず、警察(蛭川駐在)も、私の訴えが全部ウソと決めつけた。
私は中津川警察によって精神病患者と決めつけられ、郡上の慈恵会病院に連れてゆかれ、そのまま強制入院させられるところだった。
このとき、深夜にたたき起こされた播磨町在住の姉が、「自分の弟は嘘をつく人間ではない」と言って、強制入院を承諾しなかったことで、私は救済された。もし姉が承諾すれば、カッコーの巣の上に閉じ込められる可能性があった。
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5877989.html
「肺線維症」について、ネットで調べると、その治療プロトコルを知ることができた。
それは、①検査 ②診断 ③投薬 ④治療というお定まりの医療形而上学で、肺CTスキャンと血液採取による検査、肺穿刺細胞診、ステロイド投薬治療、ニンテダニブ投薬などが挙げられていた。
私は、少しだけ医学知識があったので、CTスキャンが20~30ミリシーベルトの肺被曝を起こすこと。それが肺癌のイニシエーションになる可能性があること。
肺穿刺細胞診が、急性増悪=サイトカインストームを引き起こすことが少なくないこと、ステロイド治療が、リバウンド急性増悪を引き起こす可能性があること、などを知っていた。
(余談だが、96歳の母は、肺症状を訴えたので、介護施設の医師が肺穿刺細胞診を行ってから三日後に急死した。私はこれを知り、医療殺人以外の何ものでもないと思った。介護施設側は手のかかる入所者を、このように処分排除しているのだと…)
私は、自分の症状を顧みて、医療に自分を委ねることは殺されるに等しいと確信した。私は放射線生物学を学んでいたので、30ミリシーベルト被曝の意味を思い知らされていた。医師たちは、被曝の意味をほとんど理解していない。
厚生省は、1990年に、医師カリキュラムから被曝医学を削除したのだ。
医療側は、病院が変わるたびに、同じ検査を繰り返すのだ。なかには、「医療被曝は被曝ではない」と暴言を吐く医師まで登場してきた。
文献を調べて、間質性肺炎の治療には、呼吸トレーニングがもっとも有効であると確信した。
以来、私は医療を無視し、ひたすら山道を2時間近く歩く呼吸トレーニングを繰り返すようになった。
数カ月も続けると、嫌らしい間咳が止まり、呼吸のブツブツ音も消え、息切れも少なくなった。だが、数年間続けても、失った呼吸能力が回復することはなかった。
それでも、私の治療方針が正しいことは、余命5年と書かれながら10年生きている私が証明している。
呼吸トレーニングを降雨などで三日もさぼると、ずいぶん息切れがひどくなるので、この恐怖が、山歩きを後押ししてくれた。
その間に、2020~2023年にわたる新型コロナ禍があった。
このとき、ウイルスに感染すれば、それが命の終わりを意味することを覚悟した。私は、人込みにはゆかず、繰り返されるワクチン接種勧誘に目もくれず、ワクチン接種を拒否した。
だが私は、現在まで一度も新型コロナに感染しなかった。
この意味を考えることが、このブログの主題である。
私が新型コロナウイルスに感染しなかった理由。それは、私が選択した間質性肺炎治療のための呼吸トレーニング、毎日、5Kmの山道を歩くことだったことを確信させられた。
そして、感染しなかった本質的な理由が、免疫トレーニングにあったことを確信した。
医者は病気を治せない 2025年03月24日
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6192590.html
私の呼吸トレーニングを「免疫トレーニング」と言い換えたのは、お天道様の下で山道を歩いて、体液を循環させ、日焼けし、精いっぱいの呼吸をすることが、すわなち免疫トレーニングの本質であり、ホメオスタシスの本質だからだ。
肉体の恒常性維持機能がホメオスタシスなのだが、これを担保するには、体液の循環と酸素供給が必要になる。そして免疫細胞が活性化するにはビタミンDが必要になるのだが、必ず、体表面における日光の暴露が必須条件だ。
私は、70年を超える人生経験のなかで、日焼けした病人を見たことがない。
病人が日焼けしないのではない。日焼けした人が病気にかからないのだ。
https://www.geefee.co.jp/%E5%81%A5%E5%BA%B7/%E3%83%91%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B9/%E6%97%A5%E7%84%BC%E3%81%91%E3%81%AE%E5%B8%B8%E8%AD%98%E3%81%AF%E9%96%93%E9%81%95%E3%81%84%E3%81%A0%E3%82%89%E3%81%91%E3%80%82%E5%A4%AA%E9%99%BD%E3%82%92%E6%B5%B4%E3%81%B3%E3%81%A6%E5%81%A5%E5%BA%B7%E3%81%AB
もちろん日焼けによる紫外線火傷は、皮膚癌のイニシエータになることが知られている。私も、毎日標高900m付近を歩いているので、紫外線が強く、UVクリームを塗らないと真っ黒になるだけでなく、ときにはちりちりと痛んで火傷することさえある。
だから、強烈な紫外線火傷の防除は必須だが、かといって、日光浴を敵視する君島十和子や伝説の雪女たちは、ビタミンDの活性化に必要な日光の関与を拒否することで、免疫を著しく低下させているように思える。
人類は、太陽光を浴びて育ってきたのだ。太陽光の恩恵は、そのまま免疫機能に直結していて、お日様を浴びることは癌を防除することを意味してきた。
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5958146.html
もう一度言うが、病人に日焼けした人はいない。日焼けした人は病気にかからない。
それは人間の健康の非常に本質的な部分を意味するものだ。
私はホメオスタシス=健康維持の本質は、体液の循環であると繰り返しているが、同時に、自然とともに生きることだ。
畑を作り、日を浴びて働き、汗をかいて有機野菜を自分で生産する。これによって体液が循環し、肉体の痛んだ部分を体液が補修し、ホメオスタシスが成立するのだ。
これで、私の肺線維症が、10年を経てもまだ私を殺さないでいる。
病気になれば、医療に頼って、診断や投薬、手術にすがろうとする習慣は完全に間違っている。
医療は、あなたの思っているほど信用できるものではない。医師のなかには、ぞっとするほどのサイコパスや自分の利権にしか興味がなく、患者を利用することしかしない者が少なくないのだ。
今や、「赤ひげ医者」を探すのは、まるで山で宝石を発見するほどの困難な時代になっている。
若者たちが、人を助けて喜びを分かち合うのでなく、地位や権力、権威、蓄財にしか興味を示さない時代になったからだ。
医療は患者を利用した金儲けの手段に堕落しつつある。
結局、自分を救ってくれるもの、救済の祈りを捧げる「ご神体の鏡」に映っているのは自分の姿なのだ。