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 庄内川の治水事業

2020年07月11日 | 未分類
 2018年7月7日に起きた「西日本豪雨水害」については、四国・肱川流域のいくつかのダムで、ダム水利利権に縛られて事前に調節放流を行わずに、豪雨が襲ってから、あわててダムを守るために下流域の人権財産を無視した緊急放流を行ったことで、たくさんの人命と家屋財産が失われた。
 https://yamba-net.org/42746/

 呉市の野村ダムでも同じ構図で、下流域の住民の財産を身勝手な放流によって破壊するという水利犯罪行為が行われた。
 https://yamba-net.org/43027/

 ダム管理者が、豪雨予測に対して事前放流に消極的な理由は、「電力土木事業協会」による信じがたい住民無視の利権原則が設定されていたことからである。
 http://www.jepoc.or.jp/tecinfo/library.php?_w=Library&_x=detail&library_id=180

 それは、ダムが洪水予測で事前に調節放流を行う場合、以下の取り決めに従う義務を規定している。

○事前放流した利水容量を回復させることが大前提となる。
○ダム毎に事前放流実施要領を作成し,関係利水者の同意と地方整備局長等の承認が必要となる。
○実施する場合は,関係利水者に予め通知される。
○事前放流した利水容量が回復しなかった場合は,利水事業者が機能回復のために実施した措置に対し,ダム管理者が利水事業者と協議の上,要した費用を負担する。
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http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-904.html

 引用以上 、上の意味が分かるだろうか?
 事前放流して、水量が回復しなかった場合、その失われた水利権を賠償せよと書かれているのだ。
 こんな規定があれば、ダム管理者が洪水事前放流を行いにくくなるのは自明の理だ。
 この規定によって、たくさんの下流域の人命と財産が失われたのである。
 
 この水利権を守ろうとしたことによるダム下流域住民への加害行為は、現在、裁判が行われているが、裁判所が住民側の生活を守るための判決を出して、行政・ダム発電利権者の加害性を罰する判例を示したことは少ない。
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 私の育った名古屋市の西部北部を流れる庄内川は、古来から「暴れ川」で水害の歴史が繰り返されてきた。
 尾張藩は、尾張名古屋市街地の西半分を包み込むように流れ下る庄内川について、市街地への洪水を防ぐために、「尾張側、三尺高かるべし」と、堤防の市街地側を1メートル高くする触書を出していた。

 反対側の堤防の向こうは「小田井村」であった。しかし小田井の百姓も、自分たちの田畑に洪水が流れ込むのが嫌で、堤防を嵩上げしていたが、増水が起きると、尾張藩の役人は小田井の百姓を召集し、小田井側の堤防を切り崩させて洪水を流す作業をさせた。
 こんな作業をすれば、自分たちの田畑や家屋が水に浸かってしまうので、百姓たちは、藩の命令に従うふりをしながらノロノロとした作業に終始した。

 このことで、「仕事をやるフリだけする人足」のことを「小田井人足」と呼ぶようになったと尾張藩の書物に記録されている。
  https://toppy.net/nagoya/nishi15.html

 だが、こんな非生産的な対応を繰り返していても、洪水被害の問題は解決しないので、小田井の人々は、堤防を切って自分たちの村を破壊しなくてすむよう、必死になって知恵を絞って、庄内川右岸に、たくさんの「遊水池」を作り、水嵩が増すと、最初に遊水池の堤防を切ることで問題を解決しようとした。

 この考え方が、名古屋市になってからも受け継がれ、庄内川右岸には大規模な洪水対策が数カ所に施されている。
 現在まで、小田井地区に残るのは、「洗堰・北洗堰」という大きな遊水池で、西区比良町に作られていて、手のつけられない大増水が起きたときは、この遊水池に洪水を流し込み、さらに地蔵川を経て新川に分流させて流す構造になっている。

 「新川」は今では桜の名所だが、1779年、安永大水害から、庄内川増水を逃がすための用水として尾張藩によって作られた。
 ところが、2000年9月の台風14号大増水によって、枇杷島町を中心に大規模な水害が発生したので、名古屋市は、さらに洗堰の拡張工事を行った。

 現在は、庄内緑地公園という名古屋市でも一番大きな公園緑地として開放されているが、実は、これが洪水調節池なのである。だから、大きな公園内には施設らしい施設は、ほとんど設けられていない。管理事務所も水没を前提に設計されている。

 比良にある北洗堰とともに、名古屋市を洪水から守っている核心施設である。おかげで、2000年の水害以降、大水害は発生せずにすんでいる。

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 もう一つ、全国的に知られている洪水調節施設として、春日部市の地下にある首都圏外郭放水路」がある。

  https://www.youtube.com/watch?v=G0OF7_de4Do
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%96%E9%83%BD%E5%9C%8F%E5%A4%96%E9%83%AD%E6%94%BE%E6%B0%B4%E8%B7%AF

 これも、都市空間の地下に、巨大な洪水調節機能を持たせたもので、これによって、見せかけではない、真の現代都市の機能を担保している世界的な施設である。
 https://www.fnn.jp/articles/-/13556

 歴史のある大河川生活地域は、降水量の多い日本にあって、古から水害を受け続けたことで、全国的にも、さまざまな知恵工夫が結実しているが、冒頭に紹介した西日本豪雨による大水害の場合は、発電ダムを造って、その利権を守ろうとした電力企業が、逆に大水害を発生させるという本末転倒の犯罪を犯している。

 だから、都市空間を水害から守るためには、建設利権が政治家を潤すダムではなく、発想の転換をする必要がある。

 洪水を防ぐための仕掛けは、ダムで水量調節しようと思うなら、事前の洪水予測で、調節放流が行われなければ、何の意味もない。
 ところが、「電力土木事業協会」つまり電力企業が自らの利権を守ろうとして下流域の人命財産を破壊する構図ができてしまっている。
 したがって、ダム放水に対抗して、名古屋市の洗堰のような遊水池施設や、外郭放水路のような地下宮殿が必要になってくる。

 大増水に対する備えとして、一番安上がりなのが、おそらく遊水池をたくさん作ることだと思うが、もう一つ、河川水運が盛んだった時代には、川の水深を深くして、流水容量を増やすという方法が用いられてきた。

 戦前のことだが、田端義夫が、名古屋市西区のパン屋の小僧として生活していたころ、夜な夜な、庄内橋の下で、川船の上下運航を見ながら歌を歌っていたことが知られているが、戦前までは、全国の大河川では、川船による荷物運搬が盛んだった。
 https://www.youtube.com/watch?v=iKgPJH1b6io
 これは喫水を深くするほど大きな船を通すことができたので、河川を深く掘る浚渫の仕事が盛んだった。

 この河川浚渫は、河川の流量拡大に貢献したので、洪水が起きにくくなっていたのだ。
 今は廃れてしまっているが、治水目的のための河川浚渫は、もう一度考え直して再開すべきではないだろうか?
 この浚渫で得られた砂は、最高級建材砂として高価に売れるので、決して割に合わない仕事ではない。

 https://blog.goo.ne.jp/mitu-mori1613_1941/e/176df85677b0310de3448d77797ada1c

 これによって、河川の流量が大幅に拡大し、魚類の生息条件にも貢献するので、河川の利用価値拡大という点からも、自然保護という観点からも、悪い話ではないと私は思っている。
 遊水池は、ボート競技などを盛んにする効果もあるだろう。ウナギなど川魚の養殖も可能だ。

 電力会社の利権拡大と、住民の権利と財産破壊、自然破壊しかもたらさないダム建設より、よほどマシだと思うのは、私だけだろうか?