数日前から体調を崩した。
どうにも全身が痛んで、強い疲労感で立っていられない。
この痛みは、腸閉塞の症状と似てるなと思ってたら、昨日あたりから腸が痛みだして、寝るのも大変になった。
ブログを書こうにも、頭がまったく回らず、文章がまるで出てこない。
気分転換に山に行ってみたら、一時間コースを、喘ぎ喘ぎ、何度も立ち止まって二時間もかかって、帰路も全身の痛みと疲労感で、ひどくダメージを受けた。
腸閉塞の原因は、たぶん大腸腫瘍があって、そこに粘着性の便が引っかかってスムーズに出てこなくなるのだろうと思っている。
これまでの経験から言えば、枝豆やトウモロコシ、繊維質の刺身を食べ過ぎたことなどが原因になってると思う。
医療は信用していないので、どんなに苦しくても病院には行かない。大腸(S字結腸?)に引っかかった粘着便を、どう出すか?
これが大腸を圧迫する痛みは半端でない。洗浄便座で暖かい湯を肛門にかけると、隠れていた便が出やすくなって効果が高い。
しかし、やはり微温湯で強制的に出すのが良い。人里離れたポツンと一軒家では救急車も来てくれないだろうし、やはり、自分でやるしかないだろう。
以前もらったコーヒー浣腸用のパックに微温湯を入れて風呂のなかで、何度も繰り返し洗腸すると、わずかでも出てきて、後が楽になる。
私は、腸閉塞の癖がついてて、これまで10回以上、この手で地獄のような苦痛から救われた。
病院に行ってもやることは同じで、無用の薬や注射がないだけ、自分でやる方がマシである。
痛みが完全ではないが引いてきて、パソコンに向かうと、やっと文章が書けるようになった。
これまでは、腸が痛み出してから、全身の痛みや疲労感が出てきたが、今回は先に全身の痛みが来た。
腸閉塞を起こしても、すぐに痛みを感じないが、それでも患部から強い痛み物質が産生されていて、全身を駆け巡っているのだろう。
この痛み物質は思考力を奪う。運動能力を奪う。何もできなくなるのである。寝ていても、針で全身を突き刺されているような痛みである。
医者に言えば、対症的に痛み止めを出すのだろうが、そんな問題じゃない。痛みはホメオスターシスのSOSであって、まずは痛みの原因を解決せよという指令だと思う。
数年前、一年以上にわたって、毎日、血尿とたまに血便が出ていたので、自分は癌なのだろうと確信した。
小便が出にくいので、たぶん前立腺癌で、それが大腸に転移したのかと思った。
病院に行けば手術の選択肢しかないと思うが、自分で前立腺癌を詳しく調べてみると、手術した方が生存率がはるかに低く、転移も多い。
まあ、還暦も過ぎたし、別に生きていて良いこともないので、自然の成り行きに任せることにした。
自分が見つけた方法は、アンドロキュアという薬で男性ホルモンを止めて、体を女性化してゆくことだった。(これはネット通販で入手可能)こうすれば痛風発作の予防にも役立つが、代わりに女性化乳房などの副作用がある。
しかし、医療施設に行ったことを思えば、薬代以外の金がかからない。
あとは、全身の気の循環を山歩きで活性化し、できるだけ農薬や放射能まみれの食事を避けて、規則正しい生活をするように心がけた。
その後、数年を経ても、血尿血便は再発していない。問題は、頻繁に腸閉塞を起こすことだけだ。こいつは痛いから困るんだ。
私は、もう30年以上も前から、唯物論者を放棄して、スピリチャリズムを信奉している。これも曖昧な概念だから、金儲けを目的にウソを書く人がいっぱいいて、本当に信用できるものは少ないが、おかげで、死生観が確立し、来生とカルマの原理を理解できたことから、死を恐れなくなった。
もっとも若い頃から、一人で厳冬のアルプスやクライミング沢登りをやっていて、死への覚悟はできていたから、今、死病に取り憑かれても、なるようになるさと気楽に考えることができている。
手元にある金がなくなれば、死ねばいいと軽く考えているので、あまり慌てていない。
こちらに移ってきて、いつも考えるのは、金がなくなったとき、餓死にするのか自殺にするのか? 自分の家や荷物の後始末は? ばかりで、金儲けで延命しようという発想はない。
病気で死ねれば、ありがたいことなのだ。
昨日は「ポツンと一軒家」を見ていたが、家の周囲に誰も住んでいない、何かあっても誰も助けてくれないが、自分の生まれ育った家のなかで死にたいという老人たちの覚悟を見て、感銘するばかりだった。
彼らにとっての価値とは、至れつくせりの便利な社会ではない。
自然に囲まれて、自然の一部として消えてゆく、悪あがきのない落ち着いた人生であり、人にとって本当の価値とは何か? 深く考えさせるものだった。
歴史好きの私にとっては、日高市の駒井さんが1300年前に朝鮮高麗から移住したという記録を持って、この山中に住み続けて18代、最後の住人ななってしまった姿は、本当に胸を打たれた。
駒は高麗であり、騎馬民族を意味している。
1700年前に、弓月氏が百済から大規模に日本列島に移住し、その後も奈良時代まで、百済や高麗(高句麗)からの渡来が絶えなかった記録は、百済という国家が、そのまま日本列島に移ったという事実を意味している。
その記録は、後に天武天皇らによって焚書され歴史から抹殺されているが、その事実も、騎馬民族の大規模な流入、征服王朝であるとの江上波夫の指摘を裏付けるものであった。
駒井さんの人相を見ていて、「これぞ女真族」と感嘆したのである。
女真は金・清という中国王朝を打ち立てたが、元は、高句麗(扶余)であり、哈爾浜が中心地である。
ここの人たちの人相こそ、駒井さんそのものだったのだ。
細面の醤油顔、元巨人の駒田も、似ている。彼らは、ちょうど金のヌルハチ、ホンタイジの戦闘集団の人相である。
「ああ、本当の女真族が、埼玉県の山奥=高麗川に来ていたのだ」
と私は深く納得した。
どうにも全身が痛んで、強い疲労感で立っていられない。
この痛みは、腸閉塞の症状と似てるなと思ってたら、昨日あたりから腸が痛みだして、寝るのも大変になった。
ブログを書こうにも、頭がまったく回らず、文章がまるで出てこない。
気分転換に山に行ってみたら、一時間コースを、喘ぎ喘ぎ、何度も立ち止まって二時間もかかって、帰路も全身の痛みと疲労感で、ひどくダメージを受けた。
腸閉塞の原因は、たぶん大腸腫瘍があって、そこに粘着性の便が引っかかってスムーズに出てこなくなるのだろうと思っている。
これまでの経験から言えば、枝豆やトウモロコシ、繊維質の刺身を食べ過ぎたことなどが原因になってると思う。
医療は信用していないので、どんなに苦しくても病院には行かない。大腸(S字結腸?)に引っかかった粘着便を、どう出すか?
これが大腸を圧迫する痛みは半端でない。洗浄便座で暖かい湯を肛門にかけると、隠れていた便が出やすくなって効果が高い。
しかし、やはり微温湯で強制的に出すのが良い。人里離れたポツンと一軒家では救急車も来てくれないだろうし、やはり、自分でやるしかないだろう。
以前もらったコーヒー浣腸用のパックに微温湯を入れて風呂のなかで、何度も繰り返し洗腸すると、わずかでも出てきて、後が楽になる。
私は、腸閉塞の癖がついてて、これまで10回以上、この手で地獄のような苦痛から救われた。
病院に行ってもやることは同じで、無用の薬や注射がないだけ、自分でやる方がマシである。
痛みが完全ではないが引いてきて、パソコンに向かうと、やっと文章が書けるようになった。
これまでは、腸が痛み出してから、全身の痛みや疲労感が出てきたが、今回は先に全身の痛みが来た。
腸閉塞を起こしても、すぐに痛みを感じないが、それでも患部から強い痛み物質が産生されていて、全身を駆け巡っているのだろう。
この痛み物質は思考力を奪う。運動能力を奪う。何もできなくなるのである。寝ていても、針で全身を突き刺されているような痛みである。
医者に言えば、対症的に痛み止めを出すのだろうが、そんな問題じゃない。痛みはホメオスターシスのSOSであって、まずは痛みの原因を解決せよという指令だと思う。
数年前、一年以上にわたって、毎日、血尿とたまに血便が出ていたので、自分は癌なのだろうと確信した。
小便が出にくいので、たぶん前立腺癌で、それが大腸に転移したのかと思った。
病院に行けば手術の選択肢しかないと思うが、自分で前立腺癌を詳しく調べてみると、手術した方が生存率がはるかに低く、転移も多い。
まあ、還暦も過ぎたし、別に生きていて良いこともないので、自然の成り行きに任せることにした。
自分が見つけた方法は、アンドロキュアという薬で男性ホルモンを止めて、体を女性化してゆくことだった。(これはネット通販で入手可能)こうすれば痛風発作の予防にも役立つが、代わりに女性化乳房などの副作用がある。
しかし、医療施設に行ったことを思えば、薬代以外の金がかからない。
あとは、全身の気の循環を山歩きで活性化し、できるだけ農薬や放射能まみれの食事を避けて、規則正しい生活をするように心がけた。
その後、数年を経ても、血尿血便は再発していない。問題は、頻繁に腸閉塞を起こすことだけだ。こいつは痛いから困るんだ。
私は、もう30年以上も前から、唯物論者を放棄して、スピリチャリズムを信奉している。これも曖昧な概念だから、金儲けを目的にウソを書く人がいっぱいいて、本当に信用できるものは少ないが、おかげで、死生観が確立し、来生とカルマの原理を理解できたことから、死を恐れなくなった。
もっとも若い頃から、一人で厳冬のアルプスやクライミング沢登りをやっていて、死への覚悟はできていたから、今、死病に取り憑かれても、なるようになるさと気楽に考えることができている。
手元にある金がなくなれば、死ねばいいと軽く考えているので、あまり慌てていない。
こちらに移ってきて、いつも考えるのは、金がなくなったとき、餓死にするのか自殺にするのか? 自分の家や荷物の後始末は? ばかりで、金儲けで延命しようという発想はない。
病気で死ねれば、ありがたいことなのだ。
昨日は「ポツンと一軒家」を見ていたが、家の周囲に誰も住んでいない、何かあっても誰も助けてくれないが、自分の生まれ育った家のなかで死にたいという老人たちの覚悟を見て、感銘するばかりだった。
彼らにとっての価値とは、至れつくせりの便利な社会ではない。
自然に囲まれて、自然の一部として消えてゆく、悪あがきのない落ち着いた人生であり、人にとって本当の価値とは何か? 深く考えさせるものだった。
歴史好きの私にとっては、日高市の駒井さんが1300年前に朝鮮高麗から移住したという記録を持って、この山中に住み続けて18代、最後の住人ななってしまった姿は、本当に胸を打たれた。
駒は高麗であり、騎馬民族を意味している。
1700年前に、弓月氏が百済から大規模に日本列島に移住し、その後も奈良時代まで、百済や高麗(高句麗)からの渡来が絶えなかった記録は、百済という国家が、そのまま日本列島に移ったという事実を意味している。
その記録は、後に天武天皇らによって焚書され歴史から抹殺されているが、その事実も、騎馬民族の大規模な流入、征服王朝であるとの江上波夫の指摘を裏付けるものであった。
駒井さんの人相を見ていて、「これぞ女真族」と感嘆したのである。
女真は金・清という中国王朝を打ち立てたが、元は、高句麗(扶余)であり、哈爾浜が中心地である。
ここの人たちの人相こそ、駒井さんそのものだったのだ。
細面の醤油顔、元巨人の駒田も、似ている。彼らは、ちょうど金のヌルハチ、ホンタイジの戦闘集団の人相である。
「ああ、本当の女真族が、埼玉県の山奥=高麗川に来ていたのだ」
と私は深く納得した。