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家と国

2018年07月16日 | 未分類
2018年7月16日12時15分追記

正午現在、普段視聴できないNHKが写っている これは大阪地震M6.1の数日前と同じ現象

原理は、震源地から縦型Eスポと呼ぶ、垂直成分を持った電離層が生成され、これに電波が反射するため、普段視聴できないChが写ると考えている



この縦型Eスポの提唱者 仙台の小林康晴氏の警告も書き込まれている





http://tokaiama.minim.ne.jp/keijiban5/clipbbs.cgi



震源地は関西方面の疑いがある

十分に警戒されたし

地デジ波はEスポと無縁との人を小馬鹿にした偉そうなコメントがあったので、追補



確かにEスポはVHF300Mhz帯まで確認されているが、地デジの500MHz帯では確認されていない

しかし、本来は、100Mhz帯までしか反射されないといわれてきたが、特別に電離層密度が上がればVHFも反射するということが書かれている。

だが、アマ無線の経験でいえば、ダクト伝播以外に、430帯で明らかにEスポ伝播としか思えない交信も確認している。

つまり、電離層の密度がUHF帯まで反射できるほどに上がればUHFのEスポだって成立するわけだ。



電離層について、大半の無線家は教科書に書かれているスポラディックE層の知識しかないが、JA7HOQ小林氏は、30年以上前から、大きな地震の前に、理論値では説明できない異様なほど電離密度の高い電離層が成立することに気づいていて、これに縦型Eスポと名付けた。

これは震源地から電離された微粒子、例えばラドンなどの雲が大量に噴出され、その表面で電波が反射されるのである。この電離層が異様に高いのでVHFだけでなくUHFも反射する可能性があり、例えば、我々は1995年1月の阪神大震災前に、名古屋市内から関西方面と交信するなかで、どうやっても理論的に説明できない異様な現象に多数でくわした。



 まだ縦型Eスポも、権威が好きな無知な人たちによって無視されている状態で、きちんと解明されていないが、500Mh帯の地デジ波でさえ反射する可能性が、観測的事実から存在が明らかになっているのである。

 これを小馬鹿にして嘲笑するだけのアマ無線家がいるとすれば、愚かなことだ。観察と実験、再現の科学的精神のない気の毒な人たちというしかない。







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 人が集まって生活していれば、そのグループで縄張り=テリトリーを作るのが人間の習性である。



 最小単位の夫婦ですら、性欲をギラつかせた男たちから妻を守るため=というか性的独占関係を保全するため、一つの家族として、他の社会的人間関係からの独立を宣言して、家族の生活テリトリーを守ろうとする。



 これが、血縁の一族郎党も含めて、単位が増えれば「大家族」になり、血縁を無視して、大きな集合体になれば「共同体」ということになり、昔は「邑」=村集落 という単位になり、さらに、江戸時代で言えば「オラが国」という郷土意識のテリトリーを作り出し、やがて「日本国家」という巨大な単位となった。



 テリトリーを意識の上に成立させたなら、今度は、それを守るための実力手段や掟を考えるようになり、組織としての規律まで成立してゆく。

 組織は個人から出発するのだが、やがて、大きくなるごとに個人を強く束縛する存在に変わってゆくのだ。



 人間の意識がテリトリーを作り出すときは、必ずテリトリーを侵そうとする者の存在を前提にして成立している。



 最小家族=夫婦にあっては、妻を犯そうと狙う男たちである。

 共同体にあっては、利害対立する他の共同体であり、例えば中国の客家という共同体では、戒闘という習慣が根付いていたため、他の共同体に襲われて皆殺しにされることがあったので、「円楼」という強固な円形の砦の中で生活した。

 日本における「邑」という単位でも、中国から渡来してきた弥生人の末裔である瀬戸内沿岸部の人々は、円楼に似た強固な砦を作って、邑どうしの激しい争いに備えた。



 朝鮮半島から渡来してきた騎馬民族(女真族)の末裔たちは、大和王朝を成立させてから源平藤橘と呼ばれた武家階級になるのだが、彼らには「一所懸命」という共同体思想があって、一つの砦=城のなかで血縁一族が生活し、利権を守り抜くという伝統が強固だったので、騎馬民族の子孫たちは、今でも城を尊び、作りたがる習性がある。



 しかし、鎌倉時代に起きた元=高麗による元寇という歴史的大事件が、日本における国家意識を強力に作り出したともいえるだろう。



 それまで、鎌倉幕府が日本を統一したとはいっても、相手は国内の、アイヌであったり、御家人になることを拒否した土着の古い豪族程度で、地球上最大の元帝国に攻められるなど完全な想定外であったから、偶然、台風によって元を追い返すことができたものの、これによって、鎌倉幕府北条氏は、世界のなかでの日本国家を、初めて強烈に意識させられることになった。



 奈良時代にも、遣隋使・遣唐使で分かるように、国際的な関係が存在したが、それは戦争をもたらすものでなく、平和的な交易の範囲であったから、ことさら国防を意識させられたのは、おそらく元寇が初めてだったのだ。



 日本国家としての、対外侵略に備えた軍隊や、民族のアイデンティティに至るまで、元寇のもたらした国家意識は、想像を超える強烈な刺激であったといえよう。

 北条氏は御家人たちを動員し、九州に軍事的防衛戦を築かせ、国軍を組織しようとしたが、資金力も乏しく、従来の戦功報償さえ満足にできなかったことで、御家人たちも困窮し、鎌倉幕府の崩壊を導き、やがて後醍醐天皇による建武の新政へとつながってゆく。



 後醍醐や、その後の足利氏、室町幕府にあっても、元寇という巨大な事件の影響から「日本国家」という、平安時代には、あまり意識されなかった概念が浸透していた。



 室町後期~戦国時代、今度は、ポルトガル商人が種子島に着いて鉄砲を売り渡し、次にザビエルが来て、日本にカトリックをもちこんだ。

 日本からも、支倉常長がローマに渡航し、細川ガラシアの物語がオペラになってマリーアントワネットが鑑賞するなど、いよいよ国際化が際限なく進むかのように思えた。



 ところが秀吉の時代、カトリックの進出を危惧する事件が起きた。

 ポルトガル商人らが、日本の娘たちを奴隷として大量に本国に連れ帰る事件が起きた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E8%B2%BF%E6%98%93



 これを知った秀吉が、カトリックの奴隷交易に激怒して、宣教師らを追放し、さらに家康も、ポルトガルの本当の目的が日本侵略であることを知って、鎖国政策に踏み切った。

 これにより、日本の国際化に歯止めがかかり、国際化を拒否することで、日本国という概念にも大きな変化が生じていった。



 本稿は歴史講座が目的ではない。



 国家という意識が、どのようにして、我々の心に刷り込まれ、本当はありもしない観念上の虚構にすぎない「国家」が、どれほど我々の心を束縛し、巨大な悲劇をもたらし続けているのかを明らかにしたいのだ。



 イマジンやイムジン河の歌詞が語っているように、国境なんてものの実体など、宇宙のどこにも存在しない、完全な虚構であり幻想、あるいは妄想にすぎない。

 鳥や虫や動物たちは、何一つ制約を受けることなく、自由に国境を無視して生活しているのであって、人間だけが「国境」という名の妄想=強迫観念に束縛され、愚かな損失を重ねている。



 「国境」が成立する理由は「侵略」が存在するからである。

 「他国が攻めてくる」という恐怖が、国境を定めて、他国民が入ってこられないシステムを作ろうとするのである。

 逆に言えば、「侵略」が人間社会から消えたときが「国境」あるいは「国家」の命日であるということになる。



 私は、若い頃から、国境や国家の問題を考えてきて、どうしたら国という嘘の存在=虚構をなくすことができるのかと問い続けてきた。

 理由は、国家という存在が、私の自由な意思を徹底的に邪魔し、不愉快な思いをさせ続けているからである。



 そうしてたどり着いたものは、他国民が、自分たちに敵対する存在でなくなったとき、「侵略」の意味も失われ、同時に国家の存在理由も失われるという結論である。



 昨日、私は名古屋市内(権現通)の711コンビニに入って、若く美しい女性店員たちが、全員、中国語とベトナム語でかしましく会話をしている光景に衝撃を受けた。



 何を思ったかというと、これほど外国人が大量に日本社会に流入してくれば、日本人というアイデンティティが失われ、日本国を形作っている、たくさんの要素が意味を失い、まさに「地球社会」に変わろうとしているのだということである。



 彼女たちは全員、とても美しく、素晴らしくスタイルが良かった。だから、日本人の若者たちも、きっと夢中になってしまうだろう。

 そうして、たくさんの混血児が生まれてきて、やがて混血という概念さえ、我々の言葉から失われてゆくのではないだろうか?



 日本列島に住む人々の数割が、中国、ベトナム、インドネシア、タイ人によって構成され、さらに北朝鮮が崩壊した後は、莫大な難民も入ってくるだろう。

 このとき、自民党や極右の連中の思惑である「美しい日本」 「強い日本」 「大和魂」 なんて妄想は、何一つ意味を持たなくなるのだ。

 

 あと十年もしてごらん、美しい外国人の女性たちは、日本の若者と交わり、みんな子供を抱えているにちがいない。

 もう、中国語もベトナム語も忘れて流暢な日本語で会話しているに違いない。元々、弥生人は上海に近い蘇州から渡来してきたことが分かっているのだから、日本人との差、違和感など誰も感じないだろう。



 そうして、「日本てなーに?」という時代が必ずやってくる。もう国家や民族のアイデンティティを主張する意味がないのだ。中曽根康弘が語った「単一日本民族」なんて、どこにもいないのだ。

 こうなれば、国家を区別する意味なんてどこにある?



 もう国境なんて、何の意味ももたない時代が、そこまでやってきていることに気づくべきである。

 日本政府はフクイチ事故による劇的な人口減少を隠すため、大量の移民政策に舵を切った。



 https://mainichi.jp/articles/20180710/dde/012/010/017000c



 https://hbol.jp/168632



https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32870350R10C18A7PP8000/



 これは、日本という国家を根底から崩壊させるもの、日本国を地上から消してしまう意味を持っている。

 これを実現しようとしているのが、極右の自民党、「美しい国、単一日本民族を目指す安倍晋三政権」であるというのは、なんたる皮肉であろうか?



 しかしながら、中国という国が他国を乗っ取る常套手段は、華僑などで大量の移民を行い、やがて土地などの権利を得て実権を取得し、国家そのものを強奪するという手口で、チベットやウイグルでそれが行われた。

 それらが国内で議論されるようになれば、また軽薄な移民政策の再考も求められることになるだろう。



 例え、そうであっても、日本の国際化、国家としての希薄化が止まることはないだろう。

 中国が他国の侵略に血眼になっているスキに、今度はインドが中国に侵入して、中国が他国を乗っ取ったのと同じ手口で、中国が乗っ取られてゆくのだろうと予想している。



 結局のところ、ユダヤ人国際金融資本の言うこところのグローバリズムとは、まったく別の意味で、人種や民族、国境・国家の壁は消え去る運命なのだ。

 国家は死滅する宿命なのである。



 今の子供たちが大人になるころには、もう誰も単一民族としての日本民族など口にする者はいなくなるだろう。

 それを言う者は、日本民族が、本当は驚くほど他民族による混血国家であることを知らないのだ。



 はっきりわかっていることだけでも、6000年以上前、黒潮に乗って南方の海洋族がやってきて、沖縄人やアイヌ人になった。

 2500年前、呉越戦争に敗北した呉の民が、大量の船で北九州や朝鮮南岸に漂着し、定住をはじめ、米作農耕を定着させた。



 1700年前、弓月氏(秦氏)が、数万人という人数で百済から国ぐるみ日本に移住してきた。彼らは秦や漢の教養を持ち、日本の支配階級となった。

 いつの頃か、オロチョン・オロッコという沿海州の民族の一部もまた、日本列島の北西地方(秋田・青森・渡島)に移住してきた証拠もある。



 日本列島民は、これらの混血であり、それを日本人と総称していたにすぎない。

 そして、現代、中国・ベトナム・フィリピン・タイ・インドネシア・カンボジア・ミャンマー・ブラジルなどの人々も大量に日本に移住し、日本人としての定住を始めている。



 こうして、やがて日本という概念は歴史上のものとなり、国境も失われてゆくにちがいない。

 単に虚構にすぎない、国境も、民族の象徴しての天皇制も、そして死刑制度も力を失って消えてゆくことが宿命なのである。