昨日の500系「のぞみ」がっかりより一夜明け、天気の良い岡山で朝は岡山城と後楽園へ行ってきました。
まずは岡山城へ。岡山城は宇喜多直家が築城し、その子の秀家の居城でしたが、宇喜多秀家が関ヶ原の戦いで敗れて島流しとなり、その後小早川秀秋が入りましたが、小早川秀秋は世継ぎもなく早世したため、以後は池田家(織田家家臣であった池田恒興の系列)が明治維新まで岡山城に住んでいました。ちなみに、岡山の地名は、岡の上に立てられた城であるこの城から名付けられたそうです。
岡山城の天守は太平洋戦争時の岡山空襲で焼失しており、現在の天守は後に鉄筋コンクリートで立て直した物です。姫路城が白鷺城とも言われる白い城であるのに対して、岡山城は烏城とも呼ばれる黒い城です。
岡山城。旭川側から撮影
平成5年の発掘調査で見つかった、宇喜多家時代の石垣
空襲でも運良く焼けずに残った月見櫓。国の重要文化財
岡山城。黒い城と言うことで、個人的には松本城を思い出す
若干時間が早くて、天守に入れなかったんですが、まあ鉄筋コンクリートだし別にいいかということで、次は後楽園へ向かいます。
後楽園は岡山城から旭川を挟んで反対側にあり、日本三名園の一つ(あと2つは金沢の兼六園と、水戸の偕楽園)と言われる庭園で、訪れたのは初めてです。朝でかつ冬ということもあってか、人影はまばら。庭園は芝生の場所が多いのですが、この芝も冬でだいぶ茶色い。どうやらこの庭園は春から秋に来るべきのようでした。
茅葺き屋根の建物が残る庭園内
池や川の多い庭園で、池では寒さで朝靄も見られた
ほぼ純和風の庭園
木製の太鼓橋
庭園内にいた鴨?
奥にビルさえ見えなけりゃなあという感じ
戦災後の昭和31年に、中国から送られたタンチョウヅルを飼育し始め、現在も数羽が飼育されている。このタンチョウヅルがけっこう大きな声で鳴くので、最初は何事かと驚くことも
後楽園側から見た岡山城。後楽園は、明治維新後に池田家から岡山県に売却され、岡山県の管理となった
庭園内には梅林もあったのだが、ほとんどまだ咲いていない。東京よりも開花が遅いようだ
一通りぐるっと見て回りましたが、それなりにきれいだし、冬じゃなく春なり秋成に来ていればなあという感じでした。まあ、空いてましたんで、見て回るのは楽でしたが。
後楽園から岡電の城下電停まで戻り、岡山駅へ向かいます。またも運良く、9200形「MOMO」に乗車できました。
岡山駅前電停で撮影。岡電の電車も、高知や豊橋のようにもっとJRの駅に隣接して欲しい
この後は同行している父の希望で倉敷の町を見に行くことになりました。次回は倉敷の美観地区を歩いた話です。
倉敷駅
まずは岡山城へ。岡山城は宇喜多直家が築城し、その子の秀家の居城でしたが、宇喜多秀家が関ヶ原の戦いで敗れて島流しとなり、その後小早川秀秋が入りましたが、小早川秀秋は世継ぎもなく早世したため、以後は池田家(織田家家臣であった池田恒興の系列)が明治維新まで岡山城に住んでいました。ちなみに、岡山の地名は、岡の上に立てられた城であるこの城から名付けられたそうです。
岡山城の天守は太平洋戦争時の岡山空襲で焼失しており、現在の天守は後に鉄筋コンクリートで立て直した物です。姫路城が白鷺城とも言われる白い城であるのに対して、岡山城は烏城とも呼ばれる黒い城です。
岡山城。旭川側から撮影
平成5年の発掘調査で見つかった、宇喜多家時代の石垣
空襲でも運良く焼けずに残った月見櫓。国の重要文化財
岡山城。黒い城と言うことで、個人的には松本城を思い出す
若干時間が早くて、天守に入れなかったんですが、まあ鉄筋コンクリートだし別にいいかということで、次は後楽園へ向かいます。
後楽園は岡山城から旭川を挟んで反対側にあり、日本三名園の一つ(あと2つは金沢の兼六園と、水戸の偕楽園)と言われる庭園で、訪れたのは初めてです。朝でかつ冬ということもあってか、人影はまばら。庭園は芝生の場所が多いのですが、この芝も冬でだいぶ茶色い。どうやらこの庭園は春から秋に来るべきのようでした。
茅葺き屋根の建物が残る庭園内
池や川の多い庭園で、池では寒さで朝靄も見られた
ほぼ純和風の庭園
木製の太鼓橋
庭園内にいた鴨?
奥にビルさえ見えなけりゃなあという感じ
戦災後の昭和31年に、中国から送られたタンチョウヅルを飼育し始め、現在も数羽が飼育されている。このタンチョウヅルがけっこう大きな声で鳴くので、最初は何事かと驚くことも
後楽園側から見た岡山城。後楽園は、明治維新後に池田家から岡山県に売却され、岡山県の管理となった
庭園内には梅林もあったのだが、ほとんどまだ咲いていない。東京よりも開花が遅いようだ
一通りぐるっと見て回りましたが、それなりにきれいだし、冬じゃなく春なり秋成に来ていればなあという感じでした。まあ、空いてましたんで、見て回るのは楽でしたが。
後楽園から岡電の城下電停まで戻り、岡山駅へ向かいます。またも運良く、9200形「MOMO」に乗車できました。
岡山駅前電停で撮影。岡電の電車も、高知や豊橋のようにもっとJRの駅に隣接して欲しい
この後は同行している父の希望で倉敷の町を見に行くことになりました。次回は倉敷の美観地区を歩いた話です。
倉敷駅
新幹線の開業前後で熊本方面へはもう一度行きたいところです。
fukuchan様のblog更新もお待ちしております。
最近は取材に行けていないのですが、熊本駅東口の市電軌道移設工事がいよいよ佳境に入ってきています。東口に建設中の「大屋根」の中へ市電を進入させる形に軌道が変更され、そこから建設中の国の合同庁舎前を通り田崎橋へ至るという感じになります。センターポールも設置されてきており、これから芝生軌道も姿を表すものと思います。西口も駅舎が完成し、これから駅前広場の建設が開始されるようです。東口も西口も公募のデザイナーさんがデザインされたもので、熊本らしいデザインになるようです。東口の在来線駅舎は安藤忠雄さんがデザインを担当されていらっしゃいます。こちらの完成はまだ先にはなりますが・・・。
新幹線高架にも架線が張られてきています。新幹線車両基地もそろそろ完成です。また時間があるときに取材に出掛けようと思います。