特に僕が高校三年の頃出会ったA・Nさんに対しては酷いものでした。彼女は二歳年下の女子高生で僕の友人M・Dの妹の友人でした。僕は高校最後の夏休みに四人組でM・Dの伊豆の別荘へ泊まらせてもらったのですが、そこへ彼女たち四人組もやってきたのです。その他にお互いの高校の文化祭にも行ったし、できたばかりのディズニーランドへも行きました。けれども、僕は素直になれず、受験のためと偽ってグループ交際から離脱したのでした。僕の恋愛妄想の種はこの時蒔かれました。
恋愛妄想の大失敗をしたのは僕がすでに社会人になっていた二十六歳の頃のことです。これによって僕の異常性が周囲に認知されることになるわけですが、僕は日本社会に「ストーカー」という言葉が広まる時代に先駆けて図らずもそのようなことをしてしまったのでした。
別れてから八年も経つのに僕は一九九一年十月二十七日の月曜日の夜に突然彼女の自宅へ訪問し告白したのでした。彼女の住所は電話帳から狭山市に住む彼女と同じ名字の家へ電話をかけ、「Aという名前でA女子高を出ている人はいないか」と尋ねまくって調べました。そして、彼女の住所が分かると今度はゼンリンの住宅地図を片手に場所を確認しました。しかし、僕が彼女の家へ訪ねて行った時にはすでに彼女には彼氏がいて(幻聴が言った通りだ!)、数日後には結納を控えている身でした。それでも、今言っておかなければ一生後悔すると思った僕は「(僕と)結婚して!」とプロポーズしたのでした。
結果は散々で、彼女の弟に羽交い絞めされたり、「二度と来るんじゃねえぞ!」と怒鳴られたりしました。駆けつけた彼女の婚約者とは彼女には二度と会いに来ないという約束をしてしまいました。僕はこの大阪出身の彼が同じく大阪出身の職場のH・Nさんと関係していると思いました。そして、彼女は僕を守るため敢えて冷たい態度を取ったのだと解釈してしまいました。でも、車内から全世界に向けて僕に起こっていることを訴えて(僕の声は拡声器を使ったように響く)帰宅すると、彼女から電話があったそうで、両親は今度僕が訪ねてきたら警察を呼ぶとまで言われたそうです。よほど気味悪がられたようです。変な宗教にでも入っているのではないかと疑われたそうです。しかし、それも仕方ありません。僕はベルゼバブ(悪魔の頭の名)がどうのこうのと言って彼女を説得しようとしたのだから。
なぜこんなことになってしまったのか。彼女とは八年間音信不通でしたが、実は僕の中では関係は続いていたからです。なぜなら、受験勉強をしている頃も大学生活を送っている頃も夜な夜な彼女の声が屋外から聴こえてきたからです。彼女は他の数名と共に僕を非難しているのですが、僕は彼女が僕を非難するのは愛情の裏返しからだと解釈していました。彼女は僕を愛しているのですが、僕が高いところへ行ってしまったので僕を貶めて自分のところまで引きずりおろそうとしているというわけです。
でも、残酷に思われましたが、僕は一度もそれに応じませんでした。彼女が処女だと確認できないうちは相手にしたくなかったのです。男と女はヴァージン同士で結婚すべきであり、結婚してからも貞操は守らねばならないというのが僕のこだわりでした。
それにしても、なぜ彼女はいつまでたっても告白してこないのだろう。そう訝った僕はある日、彼女の住所から勝手に狭山事件を連想し、彼女は地区出身者ではないかと疑ったのです。そこで、所沢市の図書館で関連本を探したら、日本の地区が載った本を見つけたのです。そして、パラパラとページをめくってみると、なんとそこに僕の母の実家がある村が載っているではありませんか。ここから僕の関係妄想は発展します。僕の父方の名字は姓氏辞典で調べたら桓武天皇の流れを汲む家柄だったので、僕には天皇との血が流れているのだ、僕にはこの二つを統合する使命があるのだと思い込んでしまったのです。こうなると、もはやマンガですが、本人だけは本気でした。
母にこの話をしたのはかなり後になってからですが、確かに村の外れにそのような家が数軒あったと教えてくれました。病気になった母を看てくれた看護婦さんもそのような人だったけど、優しくて、全く普通の人だったそうです。
差別される者の悲しみは精神病になって少し分かるようになりました。何より固定されてしまうことが辛いのです。善いことをしても悪いことをしてもあいつは何々だからと決めつけられる不自由さ。心ある人なら分かってくれると思います。
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