<日本人とタヌキ>
最後に、タヌキという動物と日本人の関係について話したいと思います。タヌキは私たちになじみの深い動物で、昔話にもよく登場します。「かちかち山」はよく知られた昔話のひとつですが、実はおそろしい話です。これは室町時代くらいの古い話と考えられています。あるとき、タヌキが畑を荒らすので、起こったおじいさんが捕まえて、おばあさんに「こいつを狸汁にしろ」と命じます。ところがタヌキはうまいこと言っておばあさんをだまし、逆におばあさんを殺して汁にします。これを食べさせられたおじいさんはこのことを知って仇をうつことにします。それでウサギに相談し、ウサギは仇をうつことにします。お金をもうけようとタヌキにマキをとりにいこうと誘い、マキを背負ったタヌキの火打ち石で火をつけようとします。おかしな音に気づいたタヌキが「なんの音だ?」と聞くと、ウサギは「ここはかちかち山で、かちかち鳥がないてるんだ」とごまかし、そのあと本当にマキに火をつけてタヌキに火傷をおわします。その上、痛みに苦しむタヌキに「火傷にはこの薬がよい」といって唐辛子をすりこんで、さらに痛みを与えて苦しませます。そして、別の日にまた金儲けをしに漁に出かけようと誘い、自分は気の舟にのり、タヌキを泥の舟にのせて、溺れさせ殺してしまうという話です。実におそろしい、むごい話です。このことから室町時代にはタヌキは人々に憎まれていたことがわかります。
もうひとつよく知られた話に「分福茶釜」があります。これは江戸時代の群馬県の話で、貧しい若者がタヌキを捕まえたのですが、かわいそうになって逃がしてやります。タヌキは命の恩人になんとか恩返しをしたいと、「茶釜になりますから売ってください」と申し出ます。ある寺にお茶にこった和尚さんがおり、高く買ってくれました。ところが和尚さんがお湯をわかそうとすると、タヌキは熱さに耐えかねてタヌキにもどってしまいます。ところが体の一部は残ったままのおかしな姿になりました。そこでタヌキは私を見世物に使ってくださいといい、これが受けて若者は大金持ちになり、恩返しができましたという話です。つまり、江戸時代にはタヌキは化かす動物になったが、化け方が不十分で、たとえば娘に化けても尻尾を残すなど、どこかドジな愛すべき動物というイメージを持たれるようになります。
そして現在、タヌキは「ポンタ」、「ポン吉」と呼ばれ、無邪気でお人好しの少年というイメージをもたれるようになっています。
私がおもしろいと思うのは、タヌキ自身は変わっていないのに、イメージは時代とおもに変遷してきたということです。これは日本人自身が変化したということです。農民は作物を荒らす動物を憎みます。しかし太めで愛嬌のある姿から、どこかドジな動物というイメージが加わり、平和で豊かな時代になると、まったくの罪のないかわいいキャラクターになったといえます。
タヌキが化けるときに「ドロン」と巻物に呪文をとなえるとされますが、私は首相官邸にドローンが飛ばされながら、1週間ほど見つからなかったと報じられたとき、なんだかあれはタヌキが「ドローン」と化けて、犯人は日本中で大注目の話題になると思ったのに、だれも気にもしなかったということが、タヌキの尻尾みたいで、おかしさを感じました。
というわけで、タヌキは日本人そのものを投影する鏡のような存在なのかもしれません。そうであれば、玉川上水にタヌキがすんでいるということの意味はますます大きいように思われます。同時に、だからこそ、玉川上水にタヌキがいなくなるというようなことはしないようにしないといけないとも思います。
玉川上水の「ポケット」である津田塾大学にタヌキがいることが確認されました。津田塾大学の中庭はなかなかすてきで、学生さんがくつろぐ場になっていますが、私は彼女たちの心のなかに「このキャンパスにタヌキがいる」と思うことは大きな意味があるように思います。日本中が都市のようになった現代、私たちは自分たちの生活空間は人間だけがいればよいものだと思い込み、ほかの動物に思いを馳せることがなくなっています。しかしそれは傲慢なことであると同時に、寂しいことでもあり、また本来の人間の生きる感覚とは大きく違うものであると思います。私は玉川上水でタヌキを調べることに、日本人と野生動物のかかわりという大きな意義を見出そうと思います。
津田塾大学の中庭とくつろぐ学生
最後に、タヌキという動物と日本人の関係について話したいと思います。タヌキは私たちになじみの深い動物で、昔話にもよく登場します。「かちかち山」はよく知られた昔話のひとつですが、実はおそろしい話です。これは室町時代くらいの古い話と考えられています。あるとき、タヌキが畑を荒らすので、起こったおじいさんが捕まえて、おばあさんに「こいつを狸汁にしろ」と命じます。ところがタヌキはうまいこと言っておばあさんをだまし、逆におばあさんを殺して汁にします。これを食べさせられたおじいさんはこのことを知って仇をうつことにします。それでウサギに相談し、ウサギは仇をうつことにします。お金をもうけようとタヌキにマキをとりにいこうと誘い、マキを背負ったタヌキの火打ち石で火をつけようとします。おかしな音に気づいたタヌキが「なんの音だ?」と聞くと、ウサギは「ここはかちかち山で、かちかち鳥がないてるんだ」とごまかし、そのあと本当にマキに火をつけてタヌキに火傷をおわします。その上、痛みに苦しむタヌキに「火傷にはこの薬がよい」といって唐辛子をすりこんで、さらに痛みを与えて苦しませます。そして、別の日にまた金儲けをしに漁に出かけようと誘い、自分は気の舟にのり、タヌキを泥の舟にのせて、溺れさせ殺してしまうという話です。実におそろしい、むごい話です。このことから室町時代にはタヌキは人々に憎まれていたことがわかります。
もうひとつよく知られた話に「分福茶釜」があります。これは江戸時代の群馬県の話で、貧しい若者がタヌキを捕まえたのですが、かわいそうになって逃がしてやります。タヌキは命の恩人になんとか恩返しをしたいと、「茶釜になりますから売ってください」と申し出ます。ある寺にお茶にこった和尚さんがおり、高く買ってくれました。ところが和尚さんがお湯をわかそうとすると、タヌキは熱さに耐えかねてタヌキにもどってしまいます。ところが体の一部は残ったままのおかしな姿になりました。そこでタヌキは私を見世物に使ってくださいといい、これが受けて若者は大金持ちになり、恩返しができましたという話です。つまり、江戸時代にはタヌキは化かす動物になったが、化け方が不十分で、たとえば娘に化けても尻尾を残すなど、どこかドジな愛すべき動物というイメージを持たれるようになります。
そして現在、タヌキは「ポンタ」、「ポン吉」と呼ばれ、無邪気でお人好しの少年というイメージをもたれるようになっています。
私がおもしろいと思うのは、タヌキ自身は変わっていないのに、イメージは時代とおもに変遷してきたということです。これは日本人自身が変化したということです。農民は作物を荒らす動物を憎みます。しかし太めで愛嬌のある姿から、どこかドジな動物というイメージが加わり、平和で豊かな時代になると、まったくの罪のないかわいいキャラクターになったといえます。
タヌキが化けるときに「ドロン」と巻物に呪文をとなえるとされますが、私は首相官邸にドローンが飛ばされながら、1週間ほど見つからなかったと報じられたとき、なんだかあれはタヌキが「ドローン」と化けて、犯人は日本中で大注目の話題になると思ったのに、だれも気にもしなかったということが、タヌキの尻尾みたいで、おかしさを感じました。
というわけで、タヌキは日本人そのものを投影する鏡のような存在なのかもしれません。そうであれば、玉川上水にタヌキがすんでいるということの意味はますます大きいように思われます。同時に、だからこそ、玉川上水にタヌキがいなくなるというようなことはしないようにしないといけないとも思います。
玉川上水の「ポケット」である津田塾大学にタヌキがいることが確認されました。津田塾大学の中庭はなかなかすてきで、学生さんがくつろぐ場になっていますが、私は彼女たちの心のなかに「このキャンパスにタヌキがいる」と思うことは大きな意味があるように思います。日本中が都市のようになった現代、私たちは自分たちの生活空間は人間だけがいればよいものだと思い込み、ほかの動物に思いを馳せることがなくなっています。しかしそれは傲慢なことであると同時に、寂しいことでもあり、また本来の人間の生きる感覚とは大きく違うものであると思います。私は玉川上水でタヌキを調べることに、日本人と野生動物のかかわりという大きな意義を見出そうと思います。
津田塾大学の中庭とくつろぐ学生
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