気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

幼い頃の孫とおじいちゃんとの話   別称:爺孫手帳

2015-03-25 00:14:09 | エッセイ

 私こと、爺の初孫は娘の息子である。それから三年後に孫娘を授かる。幸せな爺である。

 孫息子の父親はアメリカ人であるから所謂世間で言うハーフである。孫息子は今のところ二重国籍で、いずれ何方かの国籍にしなければならない。一言で簡単に言うが本人にとっては苛酷な試練であると思う。

その孫息子との交流を想い起こしながら筆記し続けて見ることにした。

孫息子との初顔合わせは、1999/10にひとりでサンフランシスコに飛び、SF国際空港からGoldenGateBridgeを渡りRote100ハイウエイを北へ上ったNovatoの広い公園のコート中にあるメゾネットタイプの住まいであった。丁度、生後7か月になっていた孫は前歯の下二本が生え大きな声を発し家の中を所狭しと這いずっていた。

 或る日、爺の飲むコップを下方から首を上に曲げて視線を寄せて来たりと全てに関心を寄せる。 母親の乳を飲み終えてるのに・・。

 娘が仕事場である日本語学校で仕事をしている間、爺がベビーシッターをする。学校のある日本人町は、サンフランシスコの坂道にある。乳母車で散歩する処ではないとは言わぬがbetterではない。とて、選択の余地はない。 散歩をして時折り乳母車を止めて装備の確認と笑顔を見て至福を楽しんでいた。 一方、孫息子も爺が居るか居ないかの確認をするのかの如く良く振り向き顔を確認された。(間違わないでね~と、老いぼれは信用できないと言わんばかりに~。)

2000/6に赴任先のつくばから自宅に戻った機会に再びひとりで顔と声を聞きたく飛んだ。今度の処はRainbowBridgeを渡ったAntiochである。

Antioch に越した頃には、歯が8本も揃い、奇声を発しながらヨタヨタと立歩き始めていた。日没が9時と遅く、近くの公園で孫息子を抱き上げて、遠くに置き歩かせて嫌われたりもした。

 娘は仕事に行く時、面白いことに、娘自身も育った婆の教えるLabo英語劇の日英CDを車の中で常時、孫息子に聞かせていた。孫息子は不思議にも何時間でも静かに聴いてくれる魔法のCD だった。

 まだ1歳の孫息子。読んで欲しい本を手に爺の前に来て、クルリと背を回しお尻を向けて後すざりして爺の膝に座る。日本語の絵本である。爺は日本語しか読まない。(娘から爺の英語の発音を聞かせたくない。)NHK のドラマ「葵」しかも朗読の部分を何故か静かに聴き入る。 日本語の語りが好きなのか・・しかも、ここは米国でまだ1歳・・・。    そして、音楽が鳴るとどうしても腰が動きリズムをとる。二つの国の血が騒ぐのか。

それから2001/3の8か月後にまた会った。2歳を迎えていた。ヒヤリングは日本語も英語も理解しているが、話す方はまだ短い単語で表現をしている。

「No」「はい」「ほしい」怒った時に指を差して[you]など日英語が混在している。

 娘が帰省中に緊急入院。婿を呼び寄せ急遽米国へ戻った時、爺の家に2歳の孫息子がひとりで残った。3か月後、爺婆とで娘のいる所に送り届けた。悲しい思いをさせたが、日本語の発達は進んだ。だって、日本語しか話させない。英語は婆は良くても爺の発音はNoGood。そして、無事に孫娘が誕生した。      

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿