気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

ジョン万次郎の足跡を訪ねる旅・・・・・ 「アメリカ・ジョン万祭り」の編

2018-04-15 23:29:42 | エッセイ

 ロンドンからのUA804便が1時間遅れで成田国際空港に到着とのこと。     ロビーお茶券を貰い妻とふたりしてお茶をして出発時間待ちをしたのを憶えてる。     こうして、2011年の9月26日にワシントンDCに入った。              この地は、留学中だった娘の成人の祝いに駆け付け宿泊ホテルの一室で寂しいが父娘ふたりだけの心温まる暖かい祝杯をしたのを憶えている。

 そのこんどの旅は家族旅行でもなければ、観光旅行でもない。 日本と米国で隔年に開く「ジョン万次郎友好協会」の米国で開催される「ジョン 万祭り」に参加する旅である。「ホイットフイールド船長の家」の保存にご尽力された故日野原重明先生の100歳の誕生祝賀晩餐会も組み込まれた旅てもあった。  

 「ジョン万祭り」の式典はフエアヘーブン市の市民会館で開催され、「友好協会」の故日野原重明先生を始め総領事の挨拶、そして、中浜家の故4代目夫人からは流暢な英語でのご挨拶。 会場内には、いろいろな催事が並び、英語教育ラボのコーナーで「折り紙指導」のボランテイア、更に、友好協会の地区代表の医師二人の協力を得て来場者の英語の名前の音読みを漢字に置き換え、それを毛筆で和紙に墨書きに書き換えていた。何時しか漢字の持つ意味を問われ、何時しかそれに答えているうちに、その言葉の意味を翻訳し本人に説明し手渡をしていた。地元の若い女性らに漢字の持つ魅力と墨の持つ魅力に興味を持ち列を作るほど盛況だった。        

 屋外の舞台では友好会ノメンバーによる和太鼓や空手などに加え、高知市の土佐清水から来米した日本人職員8人も加わり日本の祭りの音頭が流れ、ハッピ姿の数十人が市内を練り歩きジョン万祭りに華やかな彩りを添えていた。また、室内の舞台でも大和太鼓をハッピで身を包み連打している姿があった。 眼を瞑って耳を澄ますと、ここは高知市とまごうばかり。 路上には日本と同じ夏祭りの屋台が出店して賑わっていた。 

 フエアヘーブンの街は万次郎がいた当時、300隻の捕鯨船が出入りし全盛期であった。 修復保存され資料館となったホイットフイールド船長の家の窓からは100年以上も住み続けている古い家並みが見え、どんなにか、9000キロ彼方の日本への望郷の念を思い計ったことか。 どんな境遇にもめげず明るく精一杯努力し、運命を味方にしていった万次郎。 彼を受け入れ隣人愛を教えたホイットフイールド船長。 ふたりの気高い精神は今もなお、万次郎を敬愛するフエアヘーブンの人たち中に生き続け、人種や国境を超えた友愛の絆も、日米両家の子孫の方々が引き継がれることでしょう。 

 最後に、故日野原重明先生は100歳の誕生日晩餐会を歴代の米国大統領が会食するホワイトハウス近くの食事処で行われた。 帰国が真近な頃、お元気な、お姿で指揮棒を手に同席者全員で日本の懐かしい歌を合唱した。   

終わり