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「ちびさん」のご主人

ねこ好きなお父さんの気ままな日記です。
最近は、お城の他に甲冑と火縄銃に嵌まっております

京都・滋賀歴史旅~彦根城に登城する~

2011-05-07 22:53:35 | 写真
前回長蛇の列にたじろぎ、“登城”をあきらめた彦根城天守。

GWのピークも過ぎたとあって、ゆっくりと“登城”できました。



早速中へ。





この梁の巧みな使い方。
ここ彦根城は近江の名族京極高次が築いた大津城からの天守を始め、佐和山城から佐和口多門櫓(非現存)と太鼓櫓門、小谷城から西ノ丸三重櫓、観音寺城からや、どこのものかは不明とされているが太鼓門、などの移築伝承が多くある。要するにコスト削減と工期短縮が狙いだったようです。

内部は外観からは想像できないほど広いです。


この天守閣、城によく見られる通し柱が有りません。
それゆえに、これだけの広さが確保できたのかと....。


これ、なんでしょう?

千鳥破風に設けられた、隠狭間の入り口。
さすがにこの中までは見られませんでしたが、BS朝日の番組“三津五郎....”では
中に入ってました。
うらやまし~。

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京都・滋賀歴史旅~その3~

2011-05-06 22:18:31 | 写真
さて3日目。朝食後早速次目的地に...。



さて、ここはどこでしょう?

久しぶりの“安土”です。

今回は安土城跡には上りませんでしたが、そばにある安土城考古学博物館で総見寺の秘宝を見てきました。
残念ながら、信長像までは展示されていませんでした。
平成20年まで行われていた発掘調査も終了し、展示内容も少し変っていました。

その後、“さざなみ街道”を北上。
信長が“竹生島”に出掛けた際に琵琶湖畔の道を馬で駆け抜けた道(?)
そんな想像を巡らせながら、彦根市内に。

早速こんなものを見つけまました。


“戦国りきしゃ”自転車タクシーです。座席後ろには“ひこにゃん”のぬいくるみ?

前回は時間の関係で“彦根城博物館”(表御殿)のみを見たのですが、今回はここで一泊。
まずは、“玄宮園”へ


江戸時代初期の延宝6年(1678年)に彦根藩4代藩主井伊直興が整備したといわれる。江戸時代後期の文化10年(1813年)には第11代藩主井伊直中の隠居屋敷として再整備され、今日に近い形に整えられたといわれる。玄宮園は御殿部分の「楽々園」に対して名付けられたものであるが、この呼称がいつ頃から用いられるようになったかははっきりしない。
現在“楽々園”は改修工事の為に入れませんでした。
完成は平成24年とのことです。

その後、“彦根城博物館”へ

こちらでは国宝“彦根屏風”を見てきました。会期は5月17日までです。




 彦根藩主井伊家に伝えられたため、「彦根屏風」の名があり、近世初期風俗画の傑作として高く評価されている。制作は江戸時代寛永年間(1624~44)と考えられており、舞台は、当時の京の遊里(ゆうり)と推定されている。
 各人物は、屏風の山折りと谷折りの形態を活かし、それぞれが緊密な対応関係にあり、そのさまざまな姿態とともに、計算されつくした完成度の高い構図をとっている。また、人物の髪筋や衣装の文様等、線描と賦彩は精緻を極め、一種生々しい印章を与える。
 三味線、双六(すごろく)、恋文、画中画の屏風絵は、漢画の伝統的画題である琴棋書画(きんきしょが)の見立てであり、屏風絵は室町時代末期を下らない本格的な漢画の技法をとる。
 落款(らっかん)はないが、卓越した素養と手腕を持つ狩野派の絵師の手になると考えられているそうです。

その後、登城いたしました。

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京都・滋賀歴史旅~その2~

2011-05-05 23:36:50 | 写真
早朝はだった天気も、次第に

さあ今日は上賀茂神社(正式には、賀茂別雷神社(かもわけいかつちじんじゃ))の“賀茂競馬(かもくらべうま)”です。





競馬(くらべうま)が上賀茂神社で行われるようになったのは、1093年まで遡ります。
それまでは、宮中の武徳殿で天下泰平と五穀豊穣を願って行われていました。
長い歴史の中で、兼好法師、足利義満、織田信長などが観覧した記録も残っているそうです。

古式に則り、菖蒲の根合わせなどの儀が行われたあと、舞楽装束をつけた騎手(乗尻:のりじり)が6番勝負で馬を駆ります。
赤い衣装の左方と、黒い衣装の右方の2組に分かれて競いますが、最初の勝負は必ず左側が勝つことになっています。
「昔、宮中で菖蒲の根の太さを賭ける遊びをしていたところ、左側の女官は賀茂の神様にお祈りをし、右側の女官が石清水の神様にお祈りをしました。結果、左側の女官が勝負に勝った」という故事に因んだ神事であるためです。


左方“打毬楽“の装束


右方“狛桙”の装束

2番以降は真剣勝負!


観客はこの勝敗に賭けて、農作物の出来具合を占っていました。左方が勝つと、その年は豊作になると言われています。

それにしても、すごい迫力です。
あっという間に、カメラのファインダーを駆け抜けていきます。

全部で6番行われます。

今年の最終の組み合わせは、最年少の“乗尻”とベテランの対戦でした。
結果は、「持(じ)」同着でした。
最終結果、左方の3勝1敗2分け。

「今年はこれから良くなっていくでしょう。」ということです。

面白かったです。はじめて観ましたが、また来年も見たくなるそんな一日でした。

京都はこの後今月15日の“葵祭”へと向かいます。


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京都・滋賀歴史旅~その1~

2011-05-04 23:50:07 | 写真
ことしのGW、ここ最近遠出が多かったのですが、今年は京都・滋賀を3泊4日で巡ってきました。

初日、朝7時に岡山出発

順調に吹田を通過しましたが、大山崎のあたりから渋滞に。

結局、京都南ICまで10キロのあたりで、完全に渋滞につかまり、ノロノロ運転。
1時間かかって京都南ICを降りました。

まず最初に訪れたのは、法華宗 大本山妙蓮寺



ここは春の特別公開で長谷川等伯一派“鋒杉の図”が公開されていました。

ただしここは作品保護の関係上ガラス越しの拝観でした。

画像は撮影禁止の為購入の絵はがきで



“鋒杉の図”



“松桜の図”

今年に入って、等伯は3か所目です。

京都という街は至る所に国宝や重文がありますね~
訪れるたびに新しい発見やら驚き、感動があります。

その後、曼朱院門跡へ




そして知恩院


ここでは、三門の内部公開をやっておりました。
普段は非公開の場所ですが、春と秋には公開しているそうで、この三門は2代将軍秀忠が建立。
構造は入母屋造本瓦吹(いりもやづくりほんがわらぶき)で、高さ24メートル、横幅50メートル、屋根瓦約7万枚。その構造・規模において、わが国現存の木造建築として最大の二重門で、外に掲げられている「華頂山」の額は、大きさは畳二畳以上にもなります。
 
内部はもちろん撮影禁止です。

これは、知恩院HPより

全く外光を遮断している為、極彩色の残る内部でした。

1日ではここまでが限度、明日の上賀茂神社“賀茂競馬”(かもくらべうま)に備えて早めにホテルに入りました。

さて明日はいよいよ、“賀茂競馬”(かもくらべうま)です。


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たけべの森 枝垂れ桜

2011-04-17 22:17:06 | 写真
昨日予定していたように、お手製のお弁当を持って、“たけべの森公園”へ行ってきました。



久しぶりの“お弁当”を持ってのお出かけでした。
気持ちいい~、お弁当美味しくいただきました。

天気もまずまずでしたが、ソメイヨシノはすでに散り始めており、枝垂れ桜がとてもきれいでした。
ここたけべの森は、1万本の桜があり、県内でもかなり長い期間“桜”が楽しめるスポットです。



ドウダンツツジの濃いピンクとの対比が綺麗な、枝垂れ桜。

今回は上手く“桜”のピンクが表現できたかな?





一昨日の雨でかなり散ってはいますが、まだまだ十分お花見を楽しむ事が出来ました。

“お弁当”のあと、ワラビを探して、斜面を散策。
1時間近く、山歩きをし“山菜ごはん”ができる程度のワラビをとってきました。

明日は、ワラビの入った山菜ごはんだそうです。

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烏城の櫻

2011-04-11 23:54:52 | 写真
ここ数日かなり暖かく、櫻も見ごろを迎えています。
ただ岡山県下でも震災を考慮してこの時期にあるイベントがかなり自粛されているようです。

いつもの珈琲豆屋さんに行く途中に、「烏城(岡山城)」をのぞいてみました。
こちらの櫻も見ごろを迎えておりました。



城と櫻、画になります。







先日のBSで放映されていた「秀吉の愛した桜 醍醐寺」で櫻の語源をこのようにいわれておりました。
春に里にやってくる稲(サ)の神が憑依する座(クラ)だからサクラである。
昔から、神様の喜んでいただくために花見をするとか....。

今年は烏城近くの旭川の河川敷も、夜間のライトアップは中止となり提灯の飾り付けもないそうで、写真を撮るには余計なものが入らずに良いようです。

桜の開花時期前後から、私、例年どおり....花粉症です。
櫻の時期は好きなのですが、どうも花粉.....ハックション~。

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念願の等伯と対面

2011-02-13 22:34:40 | 写真
今朝は昨日はうって変わって穏やかな天気です。
昨日までの北風と雪はどこへやら...。

今シーズン初めてのスキーと考えていたのですが、先週やった“ぎっくり腰”の恐怖からか断念。
今週は、おとなしく....。




できませんでした。




朝10時前に自宅を出発。
一路、京都へ。

世の中3連休の最終日、渋滞を覚悟していたら全く渋滞なく。
2時間半で目的地に到着。

着いたところは、真言宗智山派 総本山智績院



ここに、桃山時代に全盛期であった狩野派に対抗し、独自の画風を確立した長谷川等伯とその一派によって描かれた障壁画があるのです。


これは複製画(レプリカ)です。

本物は同じ境内にある、宝物館に。
こちらは、撮影禁止。


「楓図」長谷川等伯筆


「桜図」長谷川久蔵筆

どちらも、智績院のHPより。

拝観料500円で国宝が間近で見られるのです。
じっくりと鑑賞してきました。

「桜図」の久蔵(等伯の息子)の方が、等伯(父)よりも優しい感じがするのは、私だけでしょうか。
充実した時間でした。

さて、この智績院到着後から気になっていた事が....。
紋が桔梗なのです。


“桔梗”紋といえば...光秀?

確認してみたいが、お寺の方を出会わない...

うろうろ.....

やっとのことでお寺の方を見つけ聞いてみると。
“桔梗”紋は加藤清正公の紋、智績院創建に関わりがあるとのことでした。

加藤清正の家紋は“蛇の目”が有名ですが、“桔梗紋”も使っていたのは初耳。どうも、
清正が肥後に赴くにあたり、秀吉は前年に改易(かいえき)した讃岐(さぬき)の尾藤知定(びとうともさだ)の武具・調度一切を清正に与えたようです。
その尾藤家の紋が「桔梗」。清正は桔梗紋の入った武具・調度をそのまま使い、自分の家紋にしたのです。また、清正は旧尾藤家の家臣300名余りを、自分の家臣として召し抱えたようです。
(熊本城HPより)

帰りにすぐそばの京都国立博物館のミュージアムショップで、昨年春に開催された「長谷川等伯400年」展の図録を買って帰路につきました。

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今週末が見ごろ?

2010-11-23 00:43:31 | 写真
この日曜日、龍野公園に行ってきました。
昼過ぎに出掛けた割に思ったほど混雑もなく、スムーズに到着しました。

あらかじめ調べておいた、龍野公園は紅葉見頃という事でしたが、すべてが紅葉しているようではなかったです。

多分今度の週末あたりが“紅葉谷“あたりは“紅く”色づいているかもしれません。

それでも、部分的にはかなりきれいでした。


“紅葉谷“入り口の紅葉


“聚遠亭”の紅葉

今回もの手作り弁当を持ってのお出かけでした。
景色のいいところで食べるおにぎりは、大変美味しいございました。

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姫路城修理、見学施設

2010-11-19 23:31:52 | 写真
この間からこのような番組を発見!



歌舞伎俳優の坂東三津五郎さんのナビゲートで各地の城を巡る1時間番組。

本日は“姫路城”でした。
毎週、通常は非公開の場所が一か所は必ず紹介され、確実の“姫路城”は乾小天守内部の映像でした。

さて現在は平成の大修理に入っていますが、来年の3月26日から「平成の大修理」を見学できる施設がオープンすることに決まったようです。

ただしばらくの間は混雑が予想されるために姫路市として1日に見学できる定員を約2千人に設定する方針だそうです。

この情報は、朝日新聞姫路判に出ておりました。

どうやら見学できる個所は、南側の7階8階部分に設けられるようで、漆喰塗り作業などが見学できるそうです。

今のところ姫路市のHPでは団体客の予約が間もなく始まるようで、個人での見学申し込みはもう少し先のようです。



何度見てもやはり“姫路城”は素晴らしいお城です。

冒頭に紹介した「日本の城 ミステリー紀行」

来週は「彦根城」 そして再来週12月3日は「安土城」の予定だそうです。

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矢掛宿場まつり~備州岡山城鉄砲隊 その2~

2010-11-16 22:31:04 | 写真
矢掛宿場まつり、“備州岡山城鉄砲隊“演武の続きです。

まずは50匁大筒



静寂....




放て~

そして100匁大筒
これらの大筒は、主に構築物を破壊するのに用いられました。


この緊張感がとてもいいですね。



一斉射撃



すごい迫力です。

ここのところ、“備州岡山城鉄砲隊”の演武をみる機会が増えていますが、この静(緊張感というか空気感)と動。
の対比に惹かれるものがあります。
日常生活ではちょっと体験できないものかもしれませんね。

“備州岡山鉄砲隊”の今年の演武はこの矢掛で終了です。
そして、鉄砲隊の皆さんは今頃機上の人でしょうか?
今年に締めくくりは、ポルトガル遠征だそうです。

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