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「ちびさん」のご主人

ねこ好きなお父さんの気ままな日記です。
最近は、お城の他に甲冑と火縄銃に嵌まっております

奥州・平泉の旅 建築編Ⅱ

2013-05-04 23:17:48 | 城、城跡、歴史
3日目は朝から、達屈窟へ

延暦20年(801年)、征夷大将軍であった坂上田村麻呂が、ここを拠点としていた蝦夷(アテルイ)を討伐した記念として建てた堂。正式名称は、達谷窟毘沙門堂といいます。

平泉の南西約6キロメートルに位置し、北上川の一支流太田川を西にさかのぼると、谷を分岐する丘陵尾根があり、その先端部に現在の天台宗達谷西光寺がある。達谷西光寺境内の西側には、東西の長さ約150メートル、最大標高差およそ35メートルにおよぶ岸壁があり、その下方の岩屋に懸造の窟毘沙門堂が....。


鳥居をくぐると右手に見えるのが、毘沙門堂

「岩にめり込んだお堂だね~」
「めり込んだって...でも確かにめり込んでるね」





中はさすがに撮影禁止。

立派な毘沙門天が置かれておりました


毘沙門堂、本当に岩にめり込んだように建てられています。
その証拠がこの写真。建物半分の頭上は“岩”がむき出しです。

写真はありませんが、毘沙門天の頭上は完全に岩肌のみ。洞窟の中のような感じでした。


このお堂、何度も火災に遭い、

慶長20年(1615年)には、伊達政宗により再建。されたりしておりますが、現在のお堂は
昭和36年(1961年)に再建された5代目のお堂です。


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奥州・平泉の旅 建築編

2013-05-02 22:14:02 | 城、城跡、歴史
GWも後半戦。前半の29日から、岩手県・奥州へ行ってきました。

伊丹空港から仙台空港へ、約1時間20分。
そこからレンタカーで1時間半で、平泉・中尊寺へ

まずは、腹ごなしに“元祖ひと口もち膳”をいただきました。


伊達藩時代より多彩なもち料理が伝わるもちの里、岩手県南一関地方の料理。

一口サイズのもちを、いろいろな味で楽しめる一品でした。
この地方では、祝い事、慶事には必ず出てくる料理だそうです。

では一路、中尊寺へ。


弁慶堂


金色堂
天治元年(1124)の造立で現存する唯一の遺構。
中央の須弥壇の内に初代清衡公、左の壇にニ代基衡公、右の壇には三代秀衡公の御遺体と四代泰衡公の首級が納められているそうです。


高館義経堂



源義経終焉の地とされるところで、北上川に寄り添うように立つ高台にありました。
奇しくも、平泉を訪れた29日は、義経公の命日、前日でした。

翌日は、“歴史公園 えさし藤原の里”へ
こちらは、20年前の大河ドラマ「炎立つ」のロケ地決定に合わせて作られた施設で、時代考証の基づいた平安期の建物群で、たっぷり一日かけて廻ってきました。






清衡の館




岩手県・奥州市は今が桜の見ごろ、岡山とは約1カ月程度差があるようです。
今年は、桜を見る機会が多いです。

清衡の館ではこんなことも...。


あちらこちらで、しだれ桜やソメイヨシノが見事咲いておりました。



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四月六日(城の日)だそうです。

2013-04-06 16:50:57 | 城、城跡、歴史
今日4月6日は、城の日だそうです。
そんな日にちなんで、今年は“美作国建国1300年”で、沢山のイベントが1年間にわたって行われるようです。

美作国とは現在の岡山県北東部にあたります。この地域は古来から製鉄の盛んな土地で、
たたら製鉄が行われていたところです。また畿内から出雲に通じる交通の要所であったため、713年備前国(びぜんのくに)より、英田郡、苫田郡、勝田郡、久米郡、大庭郡、
眞島郡の6郡を分けて、美作国が誕生したそうです。

そんな、「美作国建国1300年」のイベントにこのようなイベントがあるそうです。



どうやら期間限定で、津山城を復元するそうです。



在りし日の津山城、石高の割にはかなりの規模の城だあったとか。
果たしてどのようの城がおみ見えするのか、今から楽しみです。

その津山城で、明日12時から“岡山城鉄砲隊”の火縄銃演武が行われます。

このブログを書きつつも、明日の準備をいたしております。

いよいよ、明日です。かなり緊張してまいりましたぞ~

お近くの方は是非お越しくだされ~。


「天気の方はいかがかな?」

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能島城跡

2013-02-11 21:51:27 | 城、城跡、歴史
村上水軍博物館の前の港から、能島城跡→船折瀬戸→見近島→伯方・大島大橋を巡る、所要時間約40分の、“潮流体験”クルーズというものがあります。





能島城跡のある能島は、無人島で通常は船で接岸する事は出来ないそうです。
それでも少しでも近くで見たい!
という事でこの“潮流体験”クルーズ乗船しました。

受付では、ほとんど人がおらず...。
「まあ、この寒さの中でクルージングする人はやっぱり、私だけ...?」

と思いながら、出発まで時間待ち。

いよいよ乗船時間になると、どこからともなく乗船客が...。40人乗りのクルーザーはほぼ満員に。

いよいよ出発です。



陸地ではそれほど感じなかった“風”がとても冷たく感じました。

目指すは、“鯛崎島”
そしてその後ろに見える“能島”



あのフロイス『日本史』では、日本最大の海賊と称された能島村上氏の拠点城郭です。

確かに潮の流れが複雑かつ急です。


40人乗りのこのクルーザー、何度もエンジンを止めて潮の流れに船を任せておりましたが、いとも簡単に潮に流されていきます。


この崖の上あたりが、発掘調査では東南出丸


この“能島”岩盤を削ったり、埋め立てを行なったりして平坦面を確保しており、一般的な山城とはかなり違っています。


写真左端の坂の上あたりが、三の丸になるそうです。


北側の船だまりに見られる、“武者走り”
おそらく、ここに城を築いた当時は、島全体にこの武者走りがあったのでは?

年に一度くらいの割合で、発掘調査現地説明会を行なっているようです。
村上水軍博物館のHPをチャックしながら、一度現地説明会に参加してみたいものです。

すぐ目の前に“城跡”があるのに、上陸できない歯がゆさよ~。

春の桜の時期には、土日限定で上陸できるとか...どこかに書いてあったような...。

でもな~、花見客でいっぱいなのも考えものでしょうか...。

下船後、カレイ山展望台から俯瞰で見てきました。




“能島”


“鯛崎島”

築城当時は“能島”と“鯛崎島”は橋でつながっていた形跡が残っているそうです。

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昨日は本当に冷えました

2013-02-09 20:05:52 | 城、城跡、歴史
昨日は本当に冷えました。底冷えというのでしょうか、めちゃくちゃ寒かったです。
県北部ではかなりの積雪のようです。

新聞のスキー場欄を見るたびに、「行きて~」と思うのですが、今シーズンはどうも、仕事のからみやら、タイヤ交換の時期をかなり逸してます。

明日は、出光の情報誌に出ていた、“しまなみ海道”の大三島と大島に行ってこようかと思っております。

近くにいて知らなかったのですが、大三島には“大山祇神社 ”なる社があり、そこの宝物館にはかなりの甲冑・武具などの国宝、重文があるそうで、HPで確認しただけでもこんなに!

国宝 禽獣葡萄鏡(斉明天皇御奉納)
国宝 澤瀉威鎧(越智押領使好方奉納)
国宝 赤絲威鎧・大袖付(源義経奉納)
国宝 紺絲威鎧・兜・大袖付(河野通信奉納)
国宝 紫綾威鎧・大袖付(源頼朝奉納)
国宝 大太刀 銘 貞治五年丙午千手院長吉
国宝 牡丹唐草文兵庫鎖太刀拵(護良親王奉納)
国宝 大太刀 無銘 伝豊後友行(大森彦七所用)
重文 紺糸裾素懸威胴丸(太祝安用の女、鶴姫着用)
他多数。

一度行ってみたくなりました。

また、大島には村上水軍博物館があるようで、因島の水軍城には依然言った事がありますが、こちらも今回は重いめてその存在を知りました。

近くの展望台からは、能島村上水軍の居城、“能島城”のある島も一望できるとか。



出掛けてみる価値がありそうなので、明日はそちら方面に出掛けてきます。

この記事はまた明日にでもアップします。

また、高梁市歴史美術館では、3月3日まで“高梁のよろいとかたな”の企画展が開催されているようで、こちらにも興味あり。

週末はけっこう出歩き倒しておりまする~

でも、スキーも行きたい....。

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新たなる本、発見!

2013-02-04 19:54:47 | 城、城跡、歴史
休日の昨日、近くの古本屋まで自転車で...。

行けば必ずのぞくコーナーで、今まで無かった本を発見しました。
前にも書きましたが、古本屋って、何だか宝探しのようです。



今回購入の本は、
   
  歴史群像名城シリーズの“大坂城”
  別冊歴史読本“戦国合戦図屏風”    の2冊。

“大坂城”の方は、豊臣・徳川の天下人2人の築いた“大坂城”をCG復元で詳しく見せてます。

“戦国合戦図屏風”は、24点の屏風を詳しく解説されています。
屏風を眺めるだけでもかなり面白い本になっています。

ただ、風俗考証など、すべてが描かれた様に正しい訳ではないようです。
屏風に描かれた甲冑なども簡略化されていたりし、作者の、そして発注者の意図が大きく反映されていたりします。


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太閤さん、どう思われてますか?

2013-02-02 20:42:50 | 城、城跡、歴史
城跡や城を検索中にこのような記事を発見!しました。



どうやら、今年の6月に大阪城西の丸庭園に於いて“モトクロス”の大会を行なうことになったようです。



 豊臣時代の西の丸造成は天正十四年(1586)の外郭築造工事の一環として行われました。西の丸は本丸と並んで大坂城の表舞台としての役割を果たしていた場所で、大和大納言・豊臣秀長の屋敷がここにあり、秀吉の天下行政の一環を担う迎賓館として使用されていました。

という事は、地中にはいろいろな遺構が眠ってますよね~。
一応調査結果はそれらのものには影響はほぼ無いとの見解だそうですが...。

ほぼ....ですよね~。

微妙な調査結果?

主催する飲料メーカーのこだわりでこのような世界的に有名な場所での開催を売りにしているイベントのようですが、何も、文化的遺構の真上で...と思うのは私だけでしょうか。

許可をした文化庁ですが、このようなコメントも出されています。


近藤誠一文化庁長官は17日、「このようなイベントを通じて大坂城跡の文化的価値が正しく伝わるのか、事後検証してほしい」と注文を付けた。

できれば、城外に...してほしかった。

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豊国神社、唐門(国宝)

2013-01-23 23:55:13 | 城、城跡、歴史
宝物館を出ると、目につくのが国宝の唐門



総欅造りで創建当時は彫刻などに金箔が使われていたと伝えられているそうです。

という事はこちらの門の彫刻も...金箔



秀吉ならではとでもいいましょうか...。

伏見城の遺構といわれる唐門です。



そして、豊臣家の運命を決定づけたといっても過言ではない(家康の“いちゃもん”(失礼)とでも言いましょうか)
釣鐘です。





「君臣豊楽」「国家安康」

歴史の書籍では見た事がありましたが、実物は今回初めて見ました。
それにしても、良くこれを見つけたよな~。

このあと、すぐそばにある智積院にて、一足早く桜を愛でてきました。


長谷川久蔵(等伯の息子)の櫻図


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館山城の鯱鉾

2013-01-13 22:04:29 | 城、城跡、歴史
今日のYahooニュースの見出しをみて何事?と思ってしまいました。

天守閣からしゃちほこ落下

どこかというと、千葉県館山市館山にある“館山城”(八犬伝博物館)の鯱鉾が胴体と尾びれ部分に分断されて、尾びれ部分(重さ5キロ)が落下したようです。


写真向かって左の天守屋根


折れて落下した部分

それにしても、誰一人として怪我がなかったことが幸いだったと思います。

原因は、胴と尾びれをつないでいた銅線の腐食とか。

ところでこの館山城ですが、1580年(天正8年)、里見義頼によって館山城が築城。その後、1614年(慶長19年)に里見氏は突如改易となり、館山藩は取り潰しとなりました。
表向きの理由は「勤務怠慢」だったそうですが、甥の忠義同様に大久保長安事件による連座ではないかとも言われているそうです。

ちなみにこの“大久保長安事件”とは、江戸幕府成立後、幕府内部では大久保忠隣とその与力といえる大久保長安を中心とした武断派と、本多正信・本多正純を中心とした文治派が互いに派閥を形成し、幕府内部における権力をめぐって激しく闘争。
 忠隣は家康の青年期から仕えた武将で、徳川四天王に劣らぬ武功を挙げた人物であり、正信は家康の側近としてその知略において幕府創設に貢献した人物である。忠隣には長安や本多忠勝、榊原康政といった正信にかねてから反感を抱いていた武断派が与し、正信には正純や土井利勝、酒井忠世といった徳川氏の家老的存在が与していた。

いつの時代もこのような権力闘争があるんですね~。
でも、里見家はどうもそのとばっちりを受けたのでは?

で、この際に館山城も廃城、破却されました。その後は天守は存在せず陣屋を構えて、稲葉正明が治めたようです。

現在の天守は、昭和57年に作られた模擬天守で、犬山城をモデルに作られた様です。

この館山城には、南総里見八犬伝の錦絵などが展示されているようです。



歌川豊国・貞秀画「大日本六十余州之内安房 里見の姫君伏姫」(館山市立博物館蔵)


歌川国貞画「里見八犬伝狗草紙之内 芳流閣上図」(服部仁氏蔵)

2008年には、愛媛県美術館と千葉市美術館で“八犬伝の世界”展が開かれました。
その時に2枚目の錦絵は実物をみました。

もう5年近く前の事なんですよね~

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備前藩史談

2013-01-10 23:58:12 | 城、城跡、歴史
先日、近くの古本屋でこのような本を見つけました。



岡山県出身の荒木祐臣氏の著書。
郷土史を多く書かれた方のようです。

今回のこの本は昭和51年に出たもののようです。

タイトルの通り、宇喜多、小早川、池田の時代に起きた歴史的事件を取り上げた、構成になっています。

古本屋でパラ見したときに目についたのは....

小早川藩時代の...“狂乱の秀秋、○○たまを蹴られて死ぬ”(爆)

内容は、小早川秀秋の死因についての噂話ですが、どれも一国の領主としては、いかがなものか....という内容です。
しかしこのようなうわさが流れるという事は、よっぽどひどい藩政を行なっていたのでしょうか?


宇喜多、池田時代の歴史的事件も興味深く読む事ができる1冊です。


最近は普通の書店よりも、古本屋の方が面白い本に出会えるようで時間があれば入り浸っております。

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