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長浜城跡(伊豆)

2015-01-18 | お城・天守

静岡県沼津市にある「長浜城跡」(通称:城山)に登城しました。

滋賀県にある長浜城とは全く別のお城で、戦国時代に関東を治める北条氏の
水軍基地としてのお城として機能していたと推測されています。






この「長浜城」は山城の特徴を持った水軍基地となっていて
全国的にも珍しいスタイルです。
コンパクトでありながら特徴的で見応えのある城跡となっています。

最近に整備されたようで、綺麗な解説コーナーや階段や柵などがしっかりしています。
駐車場の横の階段を登って行くと土塁や空堀などの跡を見ることができます。

この長浜城跡の整備は、一時期にあったなんでもコンクリートで作ってしまえ!
というような方法ではなく、城跡の形を極力残しながら見学しやすくなっているので
お城ファンにとても共感できる部分でもあります。





更に登って行くと第二曲輪が現れます。
ここには以前、三井家の別荘があったそうですが昭和40年代に取り壊され現在はなく、
柱穴などの発掘作業がすすめられ建物跡が柱で表現されています。
この柱をみるとなかなか立派な建物があったことが想像できます。




第二曲輪の横に復元された櫓がありここを登ると最上段である第一曲輪に登ることが
できます。

第一曲輪に登ると内浦湾を一望でき、どこに船があるのかということも
しっかりと確認できました。
当日は天気もよく富士山もしっかりとみることができました。



この「長浜城」で最も感心した部分は、この最も高い第一曲輪に来た時に
気づくことができました。
湾を一望できることも一つですが、第一曲輪から湾に向かって3段に下る腰曲輪です。

山城であるこの形状を維持しながら、走って腰曲輪の脇をおりると1~2分程度もあれば
湾にでることができます。


(頂上の第一曲輪から下る数段の腰曲輪)

これは、湾内に敵を発見すれば一瞬にして出撃することができて
逆に守備に徹する場合は、各腰曲輪により山城のような防御を可能にする
オールマイティーのような作りになっていました。

もちろん長い籠城を考えるような場所ではないので、籠城の機能は弱いと思いますが
ここにはその必要がなく、前線としての機能に徹した素晴らしいお城(砦)で
あったことが伺えました。

大きな天守もないのであまり目立たない城跡ですが
その機能美と尖ったコンセプトに感動した一日でした。
いつか対岸より「長浜城」を見てみたいとおもいました。






河村城跡

2014-01-15 | お城・天守

神奈川県山北町にある「河村城跡」に登城しました。

河村城は、歴史は古く平安時代末期に河村秀高により築かれたとされています。
その後時代を経て最終的には、北条氏により武田信玄の攻撃に備えた城として
重要な位置づけにありました。

廃城は、1590年の豊臣秀吉の小田原征伐により落城し、
そのまま廃城となっています。
河村城に地理的にも相模、駿河、甲斐の三国が近くに交差する重要拠点で
大きな天守は備えておらず、最前線の実践的な要塞でした。



武田氏に包囲されたこともあり
北条氏による改修は何度も行われたようで天然の要塞の防御力に追加して
北条氏得意の堀、「畝堀」を見ることが出来ます。
今回の登城もこの「畝堀」を見るためといっても過言ではありません。

この北条氏特有の大規模な「畝堀」を見学できるのは、
ここ「河村城」と「山中城」くらいかもしれません。
現在は、河村城歴史公園として整備されています。



「河村城」へは御殿場線山北駅から国道246号線の高架をくぐり
成翁寺のわきの道を少し上がると簡易的な駐車場の様なスペースがあり
そこに車を止めて徒歩で山頂まで登っていきます。



実はここに来る前に、東側にある県道74号線に河村城への案内看板があり
いかにも車で行くことができそうな看板ですが、
車では全く到着することができませんでした。(登城される方はお気をつけください。)

コンクリートで整備されている遊歩道を上がっていくと
少しづつ勾配がきつくなり土の坂と階段をのぼり山頂へ向かっていきます。
勾配のきつい階段をみると少しぞっとしますが整備されているので運動靴くらいの
装備であれば登城可能です。



階段坂を登って行くと茶臼郭と本城郭との分かれ道が現れます。
右の階段坂を登れば茶臼郭となります。



この茶臼郭に登ると、目当てであった「畝堀」を上から見学することができます。
整備後の姿であると思いますが、しっかりとした堀となっています。



この「畝堀」上からみていると単純に登れるような気がしますが、
茶臼郭から降りてしたから見上げてみると簡易的にみえていた堀が別の物のように
見えます。
実際に駆け上がってみたのですが、かなりキツイ!
(畝堀を2つ程度登っただけで戻りました。)
もちろん登ることに集中したら攻撃を避けようがありません。
すでに登った跡が幾つかあり、お城ファンは皆やってしまう行動なのだと実感。
茶臼郭や本城郭の方に登り切った跡はありませんでした。
(挑戦してダメであった跡はありましたが。)





素直に遊歩道を本城郭の方に歩いて行くと山頂に到達します。



山頂はしっかりと整備されていて河村城歴史公園という名にふさわしい
状態になっています。
山頂からは、小田原城や足柄城などの方面もわかりやすく記載されていました。



本城郭から蔵郭(くらぐるわ)の間には大きな堀切(ほりきり)がありました。
両方から木橋で行き来できるようになっています。
この堀切は、堀の底も含めて5回もの作り直しがされた跡がみつかっています。
最前線であるがゆえに何度もしっかりと手直ししていることが伺えます。



木橋を渡り先に向かうと
発掘作業中で今後もさらに整備されそうな感じでした。



畝堀が特徴の「河村城跡」ですが
もとになかった天守を作るなどの過剰な整備はせず、全体的にできる限り
もとの状態を想像させてくれる整備となっていました。

興味のない方には面白くない公園かもしれませんが、お城ファンにとっては
なかなか見応えのある城跡「河村城歴史公園」でした。
整備が進んだらまた登城しようと思います。




駿府城

2013-03-16 | お城・天守

静岡県静岡市にある駿府城跡(別名:府中城)に登城しました。

駿府城は現在天守はなく主には堀や復元された
東御門や巽櫓(たつみやぐら)などがあります。



駿府城の天守は、1896年にすべてなくなっていて、(そのころには天守台のみで
建物自体はなくなっていたそうです。)詳細な資料がなくので本当の天守が
どのようなものであったか絵などを元に想像するしかないようですが
東御門・巽櫓の中によく出来た模型と図が展示されていました。



あくまで想像でしかないのですが、駿府城の天守はとてもめずらしく
四隅に二重櫓が建てられ、四角に囲まれた壁のなかに天守があったようです。
天守がすっぽりと壁に囲まれているということになります。とても珍しいです。



天守が囲まれているということは、戦闘のみの天守ではないということです。
この天守や櫓に住まう機能があったのでしょうか?

そしてこの模型から想像するとかなり大きな天守であったことが伺えます。
デザイン的にはどこかの城に少し似ているような感じもありました。
当時の大工頭が江戸城、二条城、名古屋城を担当していたということで、なにか共通な
ものを感じるのかもしれません。
江戸城天守を見たことはないのですが江戸城天守想像図になんとなく似ているような。
(実際のところはわかりませんが、)

駿府城跡は現在公園となっていて市民の憩いの場ともなっているそうです。
天守台等もないので広い敷地になっていました。
公園の中には徳川家康の銅像もひっそりとありました。



まだまだわからない事が多い駿府城ですが
今後の研究がすすんでいくと、今考えているよりももっと凄いお城であったことが
伺えるような気がしました。


 


清州城

2013-01-08 | お城・天守

愛知県清須市にある清州城に登城しました。
清州城の天守閣は、1989年にRC造で建設された望楼型3重4層の模擬天守閣です。



実際の天守閣の正確な資料が残っていないため、
現在の天守閣は想像で築城されたデザインとなっています。
瓦などの装飾も豪華なイメージに作られていました。
信長ゆかりの城ということもあり金と赤で少し安土城を意識しているのでしょうか。
基本デザインは犬山城に似ていて装飾を安土城に似せた??ようにも思えてきます。





天守閣内部は展示コーナになっていて最上階はお約束の展望スペースとなっています。
清須市内一望とまでは行きませんが五条川を眺められるよい景色でした。



実際の清州城の天守閣は目の前を流れる五条川の対岸に存在していたそうです。

その対岸には実際に発掘された石垣の一部が復元公開されています。
この地の地盤が軟弱であったため石垣の下に松材を敷いた
「梯子胴木」(はしごどうぎ)と呼ばれる特殊な構造になっています。
発掘現場からは液状化現象の跡もみられたようでした。
石垣の積み方は、通常の「野面積み」です。






夕方になると五条川にかかる真っ赤な大手橋と赤い欄干の映える天守閣が
とても美しく見える清州城です。
史実を全く無視した天守閣ですが、これはこれでいいのではと思わせる清州城でした。





岐阜城

2012-10-30 | お城・天守

岐阜県にある岐阜城(稲葉山城)に登城しました。
天守閣自体は昭和31年に復興された
鉄筋コンクリート造、独立式の望楼型三層四階の構造です。



この天守閣は、まさに山城という言葉そのままに金華山の山頂に築かれていて
登城するには、ロープウェイで山頂付近まで登る必要があります。
(もちろん徒歩でも登れるそうですが・・・)
ロープウェイはガラス張りになっていて岐阜の町並みや周囲が見渡せる状況に
なっています。



ロープウェイで山頂付近に到着するとリス村や展望レストランなどの施設があります。
その横は通りすぎて天守閣へとむかいます。
少し登ると第一の門「天下第一の門」が現れます。
旧三の丸付近に復元された門ですが信長にちなんで天下という言葉がつけられたそうです。



難攻不落の城と知られ「美濃を制すものは天下を制す」という言葉があるとうり、
岐阜城を甘くみていました。
天下第一の門をくぐっても階段や坂を登る登る!
てっきりロープウェイで山頂付近まで登ればすぐに天守閣に到着すると思っていました。

同じような「楽だろう」という感覚で、ハイヒールで登城されている女性やご高齢の方など
かなりキツそうな感じで休み休みしながら登っている方もいらっしゃいました。
登城されるかたはスニーカーをおすすめします。





細い道を上がっていると木の隙間から少し天守閣がみえてくるので少し元気に
なるのと、遠くて小さくみえる天守閣にまだまだと思いながら進みます。



岐阜城の石垣は、この近畿地方によくある少し赤い色をした石を使用した「野面積」。
石垣自体は積み直しですが、信長時代のものを積み直して使われたとのこと、
復元とはいえ重要です。





岐阜城の天守閣自体は、昭和に流行ったコンクリート造の復元ということもあり
内部も完全に鉄筋コンクリートの雰囲気ばっちりです。

天守閣内部では、甲冑や武具などの展示物があり狭い天守閣内ながら工夫して
展示してある感じが微笑ましいです。
3階には信長が座っている木造のモデルなどもあり(模倣品)周囲に人がいなかったの
で少し不気味な感じでしたが信長ファンにはたまらないのではないでしょうか?

展示部の基本が信長に関するものが多かったように感じます。
やはり信長のキーワードに人が集まるのですね。





天守閣最上階は、展望台となっていて
美濃平野を一望できる大パノラマ! このパノラマをみる為にここに来ても良いくらい。
この平野を手中に収めれば天下がとれるのがわかります。





登城するのに少し大変だった金華山でしたが、
戦国時代の要所でもあるこの地を実感でき、とても納得させられた岐阜城登城でした。

 


名古屋城

2012-10-24 | お城・天守

愛知県名古屋市にある名古屋城(別名:金鯱城)に登城しました。

名古屋城の天守は、1959年に鉄筋コンクリート再建された復興天守閣。
お城フリークには悪名たかい外付けエレベーターや天守閣内がテーマパークの
ようになっていたり木造の天守閣から比べると現代よりになっています。
(木造での再建計画もあるようです)

色々な見方がありますが
連結式層塔型5層5階地下1階の大きな天守閣は圧巻です。
大きい。近づくとより大きく豪華なことがわかります。
この大きな天守閣と薄緑に染まる屋根と白い壁のコントラストのデザインを見るだけ
でも価値があると思います。




登城した日はとても天気がよく、金のシャチホコがピカピカと輝いていました。
設置されている鯱はもちろん模造ですが竣工当時の鯱もきっとこのようにみえたのでは
ないでしょうか。
実際には200キロ以上の純金が使用されていたそうです。
色々な盗難事件の逸話がでてくるのも頷けます。



当日は、時間がなく天守閣以外をゆっくりと見ることができなかったのですが
名古屋城は天守閣以外に櫓、倉庫、門などが文化財になっていて
実はこちらのほうが歴史的に重要な建築となっています、次回登城するさいはゆっくりと
見学してみます。



高層で大きく立派な天守閣名古屋城でした。


高島城

2012-09-17 | お城・天守

長野県諏訪市にある「高島城」(別名:諏訪の浮城)に登城しました。
現在は諏訪湖から離れたところに位置する高島城ですが
江戸時代初期の干拓事業前までは、諏訪湖に面していて水面に浮かぶように
天守閣が見えたことから浮城の別名をもち、日本三大湖城の1つのお城です。



廃藩置県により天守閣が撤去され、1970年にRC造の復興天守閣となっています。
かつては浮城の異名をもった高島城も現在は、住宅街に囲まれていて実際に訪れると
ビルの角を曲がるとすぐに復興天守閣が現れるような町中に浮かぶ城に変わっています。



築城当時の天守閣は、望楼型三層五階の平城です。
復興天守閣は幸いにも撤去される前の写真が残っており、すべて同じではありませんが
大きめの破風などのデザインは当時のイメージを再現しています。
どういう訳か切妻部分に2つであった窓を3にしてしまったり、石垣と天守閣の間に
コンクリートを流してしまったりと残念な部分も多々あります。





天守閣内部は、資料室や郷土資料館となっていて
昔の天守閣の写真や城郭の模型などがあり高島城の歴史や周辺がよくわかるように
なっています。 室内は写真撮影禁止でした。

登城当日は、午後になってしまい
冠木橋から堀をいれた天守閣の眺めは、逆光になってしまいました。
午前中の登城がおすすめな高島城でした。






逆井城

2012-08-01 | お城・天守

茨城県坂東市にある逆井城(さかさいじょう)に登城しました。
正式には、逆井城跡公園と呼ばれていて
櫓、土塀、堀など中世の城郭を再現された公園となっています。



逆井城は1577年に北条氏が築城し戦国末期の常陸方面の最前線の拠点でした。
豊臣秀吉の小田原征伐以降に廃城となりました。

天守閣は存在しませんが、時代考証に基づいた復元により
この場所にくると戦国時代にタイムスリップしたような気持ちになります。
櫓、堀、木橋、土塀など過度の装飾もなく当時の雰囲気を再現されている貴重な城跡です。



城跡公園の入口の脇すぐに二層櫓が見えてきます。
木造で建てられていて中にもはいることができます。

内部にはいると壁もしっかりと土壁となっていました。当時ここまで立派な
二層櫓があったから微妙なところですが城跡という意味では解かりやすい演出です。





物見櫓から井楼矢倉に伸びる土塀も本格的で鉄砲穴や漆喰などで白く装飾されておらず
黄土色のままの塀や少し土が崩れ落ちて下地の竹組がみえるポイント(これはただ単に
崩れただけだと思いますが)などリアルな表現です。







堀の外側からながめると、当時の城郭づくりの最先端である北条氏の凄さが伺えます。
しっかりとした守備と周囲の状況を瞬時に確認できるシステムが素晴らしいです。

立派な天守閣はない逆井城ですがお城ファンには必見の城跡でした。
また異なる季節に攻略してみたいとおもいます。


小山城

2012-07-22 | お城・天守

静岡県吉田町にある「小山城」に登城しました。
小山城は、再築された模擬天守閣で正式には、展望台小山城というそうです。



小山城は今川氏により築かれ、その後武田信玄の持城となった重要な拠点です。
実際にはこのような天守閣は過去に存在せず観光用として天守閣を建てたようです。

天守閣をみると何処かで見たことあるデザインと思っていたら
犬山城の天守を参考にしているそうです。鉄筋コンクリート造ですが
頑張って雰囲気をだそうとしている感じを受けました。



天守閣内は、模擬ということで完全にお城とはかけ離れた雰囲気の資料展示室と
展望台となっており武田氏のゆかりの品などがいくつか展示してあります。

なかでも甲冑と日本刀に力をいれているようで、立派なものも展示されています。
観光客がだれもいなかったのでゆっくりと見学をしてきました。







展望部分に登ると吉田町が一望できます。
天守下には、武田氏がよく用いた三日月堀(復元)がみえます。
騎馬を得意とした武田氏ならではの堀です。

曲輪の西側に三日月堀の遺構があったようですが存在に気が付かず見過ごしてしまいました。
城ファンにとっては模擬天守閣よりもこちらのほうがみどころです。









売店で小山城サイダー(中身は普通のサイダー)が売っていたので購入して小山城を
後にしました。仮想模擬天守閣ということもあり観光客もすくなかったのですが
なかなか雰囲気のある小山城でした。


横須賀城跡

2012-07-11 | お城・天守

静岡県にある「横須賀城跡」(別名:松尾城、両頭城)に登城しました。
天守閣が無いので他には観光客などおらずゆっくりと見学することができました。



横須賀城は現在、石垣、堀、土塁などが残る城跡として
国の史跡に指定されている公園です。
天守閣は、廃藩置県の後に取り壊しされてしまいました。

横須賀城の最大の特徴が石垣。
天竜川から運ばれた丸い石を用いた「玉石垣」です。
初めてみた丸い石の石垣はとてもインパクトがありました。



塀などで玉石垣を用いることはよくありますが
ここまで大きな石垣に採用されている例は少ないと思います。
丸い石をこれだけ高く安定して積み上げる技術に驚きました。

城跡ということもあり過度な装飾や後からとってつけたような建物もなく
私にとってはとても好印象でした。そのおかげか
ぼーっとみていると立派な石垣の上に櫓などが浮かんで見えるようでした。





正面から少し登るとすぐに「本丸南下門跡」のスロープがみえてきます。
ここにもあえて門を再建築しないことで城跡の雰囲気が壊れずにあるように思えます。





最上部まで登ると天守閣の跡があらわれます。天守の礎石がいつくか見えます。
かつては三層四階の天守があったようです。
ここの石垣ももちろん玉石垣でした。




天守閣跡の近くに陶器で出来た城復元模型がおいてありました。
(外に置いてあるって珍しい)
この模型をみることでより横須賀城のイメージを明確にすることができます。








天守閣跡からは周囲がよく見渡せます。
高天神城を奪還するための前線として築城された横須賀城ですが。
現在ではこちらが主役といってもいい城跡ではないでしょうか?

石垣の雰囲気がとてもよかった横須賀城でした。