紙屋さんブログ

土佐の自然を愛する親父です。

私も、先代からの、先輩からの「負の遺産」(焦げ付き未処理と、赤字体質)を背負わされていた

2015年07月18日 17時15分17秒 | 日記
 今日は朝から曇天、寝床で考えた様にかみのミカン畑七枚に除草薬を散布しに行きました。あんのじょう散布し始めた10時頃から晴天になり、約80分程で終了・・・気温が上がる前ですから、快調でした。(昼、13時頃から無風の猛烈な暑さ)ミカンの文旦、レモンは昨年なり過ぎたのか…完全な裏作です。金柑はこれから花が咲き始めます,大丈夫です。あまり暑いのでジムには14時過ぎに出かけ冷房の入った部屋で「ストレッチ」のマット運動です(除草剤散布は18リッターの噴霧器を上の道から下の畑へと三回も往復して、片方の肩で背負うので、筋肉痛になるのです)。

 東芝の「利益水増し」不正経理の責任で田中社長が辞任するようです。此の話、胸が痛いです。彼の“やった事”は絶対に許されませんが,先輩から先送りされて来た「赤字体質の会社」を必死で乗り切ろうと悪戦苦闘して、もがいていたと思うのです。“先輩から”の負の遺産!しかも其の先輩が経営陣に未だに居座っていて影響力を持っていたのです。このシガラミを断ち切る“胆力“は彼には無かったのですね。お気の毒ですが、でも良く解ります。(東芝50年前経営難時、外部の石川島播磨重工業の土光敏夫氏を社長に招聘し、再建に成功した会社です)
 
 私も、先代からの、先輩からの「負の遺産」(焦げ付き未処理と、赤字体質)を背負わされていたので良く解ります。私の会社は東芝の一部署程度の規模ですから、営業・仕入れ・店頭・倉庫・加工・経理の各部署に四六時中触れられるのです。各部署の箸の上げ下ろし迄よく見えるのです。でも、一人力み返っても駄目・・・全員総掛かり、支援者の助けが無いと駄目なんです。
 
 朝7時半には決済帳票を済ませ、8時には「その場に居る者だけで」早朝の打ち合わせ。(結果、部課長達は8時迄に自主的に出社…其の結果、8時半には全社員が自主的に業務開始) 9時前には、出先へと“単独” の新規開拓、重要先訪問の営業活動(得意先は増えて約300社・仕入れ先も増えて約50社でした。(担当のみで、部課長は連れなかった。部課長を連れると「応接室」に入れられて、狙いの「仕入部長」の机には行けないのです) 私の報酬は黒字体質のなってからも社長報酬カットは、最初のカット分を続け(社長報酬カット四回:従業員には毎年昇給・昇格継続)…結果は想像以上に早く出て、肝心カナメの「売上は計画以上」に伸ばし続けることが出来た。(負債処理をしながらでも、赤字決算は一回も出さなかった,新規開拓を続けた売上増のお陰)
 
 此処迄来ると、仕入れ先・銀行・得意先の支援が期待以上に抜群に良くなったのです、仕入れ先等のトップから「次郎長一家もどきで、林一家と・・・」云われたこともあります。・・・全て、「皆様のお陰げ様」だったのです。何回も「黒字なのにカットを止めたら・・・」と、云われたけど、自分自身の力で黒字体質に出来上がった訳ジャーではないので・・・「是の痛み」だけは忘れずに残そうと、続けていたのです。
 かみさんがニコニコしながら・・・「社長になったら、お給料が上がると思っていたのに、逆に下がっている。専務時代の方が多いのは何故?」なんて笑われた時がありました・・・カットが二回重複(負の遺産処理・”黒字決算でも”株主への社長責任)した一時期もあったのです。
 
 「越前和紙」の産地・福井県越前市の岡本小6年生29人が16日、同市新在家町の「越前和紙の里パピルス館」で、「卒業証書」の用紙となる和紙を漉きました。来年3月16日の卒業式で各児童に自分がすいた卒業証書が手渡されます。 同小で35年前から続く恒例行事で、児童らは5年生から学校近くの畑で原料のコウゾを栽培するなど準備をしてきたものです。良いですね・・・津野町もやれば良いのに?やりませんね。津野町の楮は「赤楮」で、とびっきり品質が良いのですが、楮生産者は引退続きで、ヘグル(小刀で皮を削ぐ)おばあさんも居ないし、手漉き農家も閉鎖です。