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田中利典師の「日本の桜、吉野の桜」/『奈良大和路の桜』(淡交社刊)より

2023年03月22日 | 田中利典師曰く
2015年3月、淡交社から「奈良を愉しむ」シリーズとして『奈良大和路の桜』が刊行された。共著者は田中利典師、岡本彰夫師、岡野弘彦氏、桑原英文氏、菅沼孝之氏という錚々(そうそう)たる顔ぶれである。同じシリーズには『奈良大和路の紅葉』がある(2014年10月刊)。
※トップ写真は、ウチの近隣公園のヤマザクラ(コロナ禍の2020.4.5に撮影)

田中利典師はご自身のFacebook(3/17付)で、 本書の巻頭解説「日本の桜、吉野の桜」を公開された(先日は「吉野山巡礼」を公開された)。詳しくてとても分かりやすい文章なので、以下に紹介させていただく。ぜひ熟読玩味していただきたい。

「日本の桜、吉野の桜」
昨日お知らせしましたように、写真家桑原英文さんの写真と私や春日大社元権宮司岡本彰夫先生などの随筆がコラボして出版された『奈良大和路の桜 』(淡交社刊)が絶版となります。 もうAmazonも在庫切れになっているようです。もし、お求めの方は私の手持ちがまだありますので、メール(フェイスブックのメッセンジャーでOK)でご連絡いただければお送りします(サイン付きですよ〜ん)。

その「奈良大和路の桜」で、巻頭解説の文章を書かせていただきました。少し長くなったので元原稿ははしょられていますが、その元原稿を掲載します。よろしければご覧下さい。

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「日本の桜、吉野の桜」
桜について考えてみたいと思います。桜は菊と並んで、日本の国花といいます。はてさて、いつ頃からそういうことになったのでしょうか。万葉集に出る桜の数は44首。梅は118首。ご存知のように、当時は梅の花の方が多く詠まれています。

どうやら平安時代、古今和歌集の頃から、花といえば桜が定着して来たようです。とはいえ、今ではやはり桜が日本を代表する花であることは間違いないでしょう。いや、花見といえば、菊でもボタンでもはたまた椿でもチューリップでもなく、桜に決まっています。日本人の花見は桜見なのです。

ところで、この桜が問題なのです。明治以前までは桜といえば、ヤマザクラを代表に、オオヤマザクラ、カスミザクラ、オオシマザクラなど、もともと日本に自生した自然種のサクラでした。ヒガンザクラなどもそうです。それが明治以降、日本各地に咲く多くの桜は「ソメイヨシノ」になっていったのでした。

この「ソメイヨシノ」。実は幕末から明治の初期にかけて、江戸染井村の植木職人達が作った、エドヒガンとオオシマザクラの掛け合わせのコピー種(クローン)なのです。品種改良の完成当初、サクラといえば吉野だからというので、「吉野桜」の名前で売り出したそうですが、本家吉野山の山桜と混同されるのを避けて、誕生地染井村の名前によって「ソメイヨシノ」となったということです。

ソメイヨシノはヤマザクラやオオシマザクラなどの固有種と違い、たとえば、山桜の寿命が100~120年に対して、80~100年と短いのですが、一方で繁殖力が大きく、また苗木から開花までの年数が短いという多くのメリットがありました。しかし日本各地の桜の名所がソメイヨシノで飾られるようになるのは、世間ではあまり知られていませんが、深い歴史のワケがありました。

19世紀半ばから20世紀初頭にかけて、日本は大きな変革期を迎えます。260年続いた江戸期の泰平の世が終わって、幕末から明治維新へ、近世から近代への大変革が行われます。近代社会は18世紀にヨーロッパで興った産業革命以降、世界各地を席巻していきます。その波に飲み込まれるように日本にも近代化の波が押し寄せたのでした。

近代社会は「国民国家」と「市民社会」と「資本主義」の三点セットでやってくると言われていますが、その一番最初に来るものは「国民国家」です。国民国家とは国民のための国家ということではなく、それまであった共同体を解体して国民をばらばらにしたあと、改めて新しい国家観のもとに国民を統合管理する、いわば管理社会のことを言います。

日本の近代は明治の神仏分離以降、天皇制の確立と共に成立していきますが、当初は長く続いた元々の共同体組織の解体が進まず、うまくいきませんでした。人々は国家の下ではなく、それぞれの土地の神や仏、先祖たちから受け継いだ地域社会のもとに暮らしていたのでした。

それが壊れ、一気に国民国家に進むのは日清・日露戦争の勝利だったのです。そしてその戦勝記念にソメイヨシノの植樹運動が全国で行われ、学校をはじめ多くの公園に植えられて、広がったから、日本の桜の代表が山桜からソメイヨシノに変わっていくのでした。コピー種ですから一斉に咲きます。そしてパッと咲いてパッと散るというソメイヨシノの美しさは、日本人の精神にもなぞらえられたのです(内山節著『共同体の基礎理論』農文協刊)。

少々難しい話になりました。だからといって、筆者は決してソメイヨシノがダメだというのではありません。ソメイヨシノはソメイヨシノなりの美しさがあります。ただ、古今集の紀友則や紀貫之にはじまり、西行法師や俳聖芭蕉が賛嘆した日本の桜はソメイヨシノではなく、山桜を代表とする日本に自生した桜花であり、そこには近代以前の日本の美しさを伝えている世界が広がっています。

「敷島の大和心を人問えば 朝日に匂ふ山桜花」と本居宣長が詠んだのは、決してソメイヨシノの花ではなく、匂い立つように咲いた山桜花だったのです。日本一の桜の名所と謳われる奈良県吉野山の桜は山桜です。しかも、この桜は、近代以降の、人が愛でるために植えられた桜ではなく、吉野の主尊・蔵王権現のご神木として、代々にわたり大切に守り伝えられてきた桜なのです。

権現信仰とともに千年の歴史を刻んできたのが吉野山の桜であり、ソメイヨシノが近代の象徴であるとするなら、山桜は国民国家以前の、神と人とがよりそってきた古い形の日本の象徴と言っていいでしょう。

実は奈良県内に点在する多くの桜の名所・名木もまた吉野山同様に、元はその土地に自生し、長年にわたって土地の人々と共に歴史を刻んできた桜であります。そこに深さとすごみ、そしてゆかしさを感じるのは地元の人だけではないでしょう。訪れる人にこその味わいが生まれることと思います。

ただ、日本の素晴らしさは縄魂弥才、和魂洋才という、日本古来のものと外来のものが喧嘩することなく、互いに影響し合いながら、重層的に棲み分けをし、混同するという独特の文化性といえるでしょう。桜花も同様であります。

日本の桜の名所は、吉野山のように千年以上前から蔵王権現のご神木として全山を山桜が覆い尽したような景観を持つところと、明治以降、大量に植樹されて見事な桜公園を作ってきた各地の花見所が、あたかも競演し合うように、春の日本列島を彩ります。日本ならではの風景であり、四季の情緒を作り出しているのではないでしょうか。

そしてその美しさは奈良県内に咲き競う多くの桜名所でも見て取れます。ぜひ、その、それぞれの桜名所の由来を訪ねてみて、近代以前の日本人の深い美観と、近現代が作り得た美しい桜風景の数々を見比べながら、存分に愛でていただければと思います。

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昨日も書きましたが、本書を片手に、奈良県内の桜の名所をお訪ねになってはいかがでしょうか。もうそろそろ各地で開花宣言が聞かれますねえ…。
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