「矢田寺のアジサイを楽しむ」ツアー(2024.6.12)を紹介する第2弾は、アジサイ写真の紹介である。満開より少し前の時期で、朝から日光に照りつけられ、少し萎(しお)れた花もあったが、午後からは薄曇りに転じたので、キレイに撮ることができた。
この日は奈良市の最高気温が30.8℃という真夏日で、さすがにカタツムリを見つけることは出来なかった。世界大百科事典「アジサイ」の文章とともに、楽しんでいただきたい。
観賞用として広く庭園などに栽植されているユキノシタ科の落葉低木。梅雨時の象徴的な花である。漢字では慣用として紫陽花を当てることが多い。
園芸種と歴史
アジサイは日本で育成された園芸品であり,太平洋側の海岸近くに自生するガクアジサイがその原種であるとされる。アジサイは鎌倉時代に園芸化され,江戸時代にはごく一般的な庭園植物となっていた。それとともに古く中国に渡り,中国でも庭園に植えられていた。
アジサイがイギリスに導入されたのは1789年であるが,これは中国から持ち込んだものである。この品種は導入したJ.バンクスを記念したサー・ジョセフ・バンクスの品種名で現在も呼ばれている。また,マリエシイMariesiiは,日本のモモイロアジサイがフランス人によって導入されたものである。
これにベニガクなどが交雑親となって,現在のように多色の品種群がヨーロッパで育成され,セイヨウアジサイ(ハイドランジア)と呼ばれ,日本に再導入され,花屋で鉢物として多く売られるようになった。
花色の変化
アジサイの花色は土壌の酸性度によって変化する。酸性度が高くなると鉄およびアルミニウムが多く溶け出し,ことにアルミニウムが吸収されると花色は青色が強くなる。逆の場合は桃色が強くでる。このほか肥料要素,すなわち土壌中の硝酸態窒素とアンモニア態窒素の割合なども,花色を変える原因であることが知られている。
野生種
アジサイの原種とされるガクアジサイH.macrophylla f.normalis(Wilson)Haraは,散房状集散花序の周りだけに,少数の青紫色,淡紅色または白色の装飾花をつける。多数の正常な両性花は小型で,ごく小さな5枚の萼片と5枚の楕円形鋭頭の花弁,10本のおしべをもつ。房総半島,三浦半島,伊豆半島,伊豆七島,紀伊半島南部,四国南部などに自生するが,観賞用に庭園にもよく植えられている。
ヤマアジサイ(サワアジサイ)H.macrophylla ssp.serratum(Thunb.)Makinoは,アジサイと同じ種類に属し,日本の山地に広く野生している。またエゾアジサイH.macrophylla ssp.yezoensis(Koidz.)Kitam.は前者に似ているが,葉や花,果実が大型で,北海道と本州日本海側の多雪地域に分布する。葉に甘味成分を有する系統がヤマアジサイ類のなかにあり,アマチャと呼ばれる。このほかアジサイ属には,ノリウツギ,タマアジサイ,ツルアジサイ,コアジサイ,ガクウツギなど数種が日本の山地に自生する。
栽培
これら日本産のアジサイ類のいずれの種類も耐寒性が強く,北海道から沖縄まで栽培できる。水が停滞しないところならばやや土壌湿度の高いところでも土を選ばずによく生育する。また半日陰からひなたまで植栽できる。アジサイのように種子がほとんどできない種もあり,繁殖は挿木によって行うことが多い。挿木は簡単に根づく。
名称の由来
アジサイは日本固有の花で,《万葉集》にも名が見えるほど古くから知られ,鎌倉時代以降は園芸品種としても栽培された。しかしこれらは素朴なヤマアジサイないしガクアジサイが主であったためか,これを特別に観賞する名所といったものは江戸時代を通じても現れず,鎌倉の紫陽花(あじさい)寺(明月院)などが観光の対象となったのは第2次大戦後である。
愛犬家の女性たちが、アジサイの横に犬を並べて写真を撮っていた、これは面白い構図である。「鎌倉の紫陽花寺などが観光の対象になったのは第2次大戦後である」とあるが、矢田寺のアジサイも「本尊様であるお地蔵さんにちなんで、昭和40年頃から植え始めました」とお寺のHPにあった。なお「さまざまに色が移ろいながら、 私たちに仏教の「諸行無常」の心を伝えてくれています。 また、あじさいの丸い花は、お地蔵さんの手に持っておられる宝珠の形でもあります」とあった。
水分をよく吸うので,日当りの悪い裏庭や古寺に植えられることが多く,ガクアジサイの自生する伊豆諸島では,この葉を便所の落し紙として利用したという。日本で〈草冠に便〉の漢字を当てるのはこのためだとする説もある。
シーボルトはアジサイをHydrangea otaksaと名づけたが,この〈オタクサ〉は彼の愛人だった長崎丸山の遊女〈お滝さん〉(本名楠本滝)に由来する。なおアジサイの語源には諸説あるが,《大言海》にある〈集(あづ)真(さ)藍(あい)の意〉という説が有力視されている。花ことばは〈高慢〉〈美しいが香も実もない〉。女性への贈物にはふさわしくない。
「女性への贈り物にはふさわしくない」とあるのでドキッとした。私は以前、母の日のプレゼントとして、鉢植えを贈ったことがあるのだ。
途中から、女子校生と女子大生風の若い女性(姉妹かも)が来て、「めちゃ映(ば)える~♪」と言って、スマホで写真を撮りまくっていた。あとで撮っていたアジサイを見ると、上記のようなもので、おじさんには、全く映えるとは思えなかった。そこで一首。「この花が映えるとキミが言ったから 6月12日はアジサイ記念日」、お粗末!
これら2枚は、奈良テレビ放送「ゆうドキッ!」のサイトから拝借した
翌日(6/13)の奈良テレビ放送「ゆうドキッ!」の「推しナラ」コーナーでは、奈良まほろばソムリエの会の本田倫子(みちこ)さん(中央)が矢田寺を紹介していた。さすがにソムリエらしく、カッチリとした紹介だった。なお皆さんの手の形(OKポーズ)は、「矢田型地蔵」の手の形(印)である。
たっぷりと歩いたので足はパンパンになったが、気持ちよく疲れたので、この日はぐっすりと熟睡することが出来た。ああ、楽しい一日だった。矢田寺のアジサイはまだまだ見ごろが続きます。皆さん、ぜひ、お参りください!
この日は奈良市の最高気温が30.8℃という真夏日で、さすがにカタツムリを見つけることは出来なかった。世界大百科事典「アジサイ」の文章とともに、楽しんでいただきたい。
観賞用として広く庭園などに栽植されているユキノシタ科の落葉低木。梅雨時の象徴的な花である。漢字では慣用として紫陽花を当てることが多い。
園芸種と歴史
アジサイは日本で育成された園芸品であり,太平洋側の海岸近くに自生するガクアジサイがその原種であるとされる。アジサイは鎌倉時代に園芸化され,江戸時代にはごく一般的な庭園植物となっていた。それとともに古く中国に渡り,中国でも庭園に植えられていた。
アジサイがイギリスに導入されたのは1789年であるが,これは中国から持ち込んだものである。この品種は導入したJ.バンクスを記念したサー・ジョセフ・バンクスの品種名で現在も呼ばれている。また,マリエシイMariesiiは,日本のモモイロアジサイがフランス人によって導入されたものである。
これにベニガクなどが交雑親となって,現在のように多色の品種群がヨーロッパで育成され,セイヨウアジサイ(ハイドランジア)と呼ばれ,日本に再導入され,花屋で鉢物として多く売られるようになった。
花色の変化
アジサイの花色は土壌の酸性度によって変化する。酸性度が高くなると鉄およびアルミニウムが多く溶け出し,ことにアルミニウムが吸収されると花色は青色が強くなる。逆の場合は桃色が強くでる。このほか肥料要素,すなわち土壌中の硝酸態窒素とアンモニア態窒素の割合なども,花色を変える原因であることが知られている。
野生種
アジサイの原種とされるガクアジサイH.macrophylla f.normalis(Wilson)Haraは,散房状集散花序の周りだけに,少数の青紫色,淡紅色または白色の装飾花をつける。多数の正常な両性花は小型で,ごく小さな5枚の萼片と5枚の楕円形鋭頭の花弁,10本のおしべをもつ。房総半島,三浦半島,伊豆半島,伊豆七島,紀伊半島南部,四国南部などに自生するが,観賞用に庭園にもよく植えられている。
ヤマアジサイ(サワアジサイ)H.macrophylla ssp.serratum(Thunb.)Makinoは,アジサイと同じ種類に属し,日本の山地に広く野生している。またエゾアジサイH.macrophylla ssp.yezoensis(Koidz.)Kitam.は前者に似ているが,葉や花,果実が大型で,北海道と本州日本海側の多雪地域に分布する。葉に甘味成分を有する系統がヤマアジサイ類のなかにあり,アマチャと呼ばれる。このほかアジサイ属には,ノリウツギ,タマアジサイ,ツルアジサイ,コアジサイ,ガクウツギなど数種が日本の山地に自生する。
栽培
これら日本産のアジサイ類のいずれの種類も耐寒性が強く,北海道から沖縄まで栽培できる。水が停滞しないところならばやや土壌湿度の高いところでも土を選ばずによく生育する。また半日陰からひなたまで植栽できる。アジサイのように種子がほとんどできない種もあり,繁殖は挿木によって行うことが多い。挿木は簡単に根づく。
名称の由来
アジサイは日本固有の花で,《万葉集》にも名が見えるほど古くから知られ,鎌倉時代以降は園芸品種としても栽培された。しかしこれらは素朴なヤマアジサイないしガクアジサイが主であったためか,これを特別に観賞する名所といったものは江戸時代を通じても現れず,鎌倉の紫陽花(あじさい)寺(明月院)などが観光の対象となったのは第2次大戦後である。
愛犬家の女性たちが、アジサイの横に犬を並べて写真を撮っていた、これは面白い構図である。「鎌倉の紫陽花寺などが観光の対象になったのは第2次大戦後である」とあるが、矢田寺のアジサイも「本尊様であるお地蔵さんにちなんで、昭和40年頃から植え始めました」とお寺のHPにあった。なお「さまざまに色が移ろいながら、 私たちに仏教の「諸行無常」の心を伝えてくれています。 また、あじさいの丸い花は、お地蔵さんの手に持っておられる宝珠の形でもあります」とあった。
水分をよく吸うので,日当りの悪い裏庭や古寺に植えられることが多く,ガクアジサイの自生する伊豆諸島では,この葉を便所の落し紙として利用したという。日本で〈草冠に便〉の漢字を当てるのはこのためだとする説もある。
シーボルトはアジサイをHydrangea otaksaと名づけたが,この〈オタクサ〉は彼の愛人だった長崎丸山の遊女〈お滝さん〉(本名楠本滝)に由来する。なおアジサイの語源には諸説あるが,《大言海》にある〈集(あづ)真(さ)藍(あい)の意〉という説が有力視されている。花ことばは〈高慢〉〈美しいが香も実もない〉。女性への贈物にはふさわしくない。
「女性への贈り物にはふさわしくない」とあるのでドキッとした。私は以前、母の日のプレゼントとして、鉢植えを贈ったことがあるのだ。
途中から、女子校生と女子大生風の若い女性(姉妹かも)が来て、「めちゃ映(ば)える~♪」と言って、スマホで写真を撮りまくっていた。あとで撮っていたアジサイを見ると、上記のようなもので、おじさんには、全く映えるとは思えなかった。そこで一首。「この花が映えるとキミが言ったから 6月12日はアジサイ記念日」、お粗末!
これら2枚は、奈良テレビ放送「ゆうドキッ!」のサイトから拝借した
翌日(6/13)の奈良テレビ放送「ゆうドキッ!」の「推しナラ」コーナーでは、奈良まほろばソムリエの会の本田倫子(みちこ)さん(中央)が矢田寺を紹介していた。さすがにソムリエらしく、カッチリとした紹介だった。なお皆さんの手の形(OKポーズ)は、「矢田型地蔵」の手の形(印)である。
たっぷりと歩いたので足はパンパンになったが、気持ちよく疲れたので、この日はぐっすりと熟睡することが出来た。ああ、楽しい一日だった。矢田寺のアジサイはまだまだ見ごろが続きます。皆さん、ぜひ、お参りください!