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田中利典師の「蔵王供正行/第44日 悟りに至る道筋」

2024年06月24日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈蔵王供正行44日目「楽して悟る!」〉(師のブログ 2015.6.13 付)。「楽して悟る」とは、死を賭した荒行ではなく「山の行より里の行」、〈日常の中に生きて、なお高い悟りのような心情に行くならば、誰にとっても、身近に仏法が生きていることになる〉ということであり、師は何度か他のところでも書いておられる。では、全文を以下に紹介する。
※トップ写真は、吉野山の桜(2024.4.5 撮影)

「楽して悟る!」
蔵王供正行44日目(6月13日)。曇り時々晴れ、のち雨。今日の一日。
5時に起床。
5時40分、第87座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時、本堂法楽・法華懺法         於本堂
9時10分、第88座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
10時30分、本堂法楽・例時作法     於本堂
12時半、水行              於風呂場
13時、法楽護摩供修法          於脳天堂
14時、法楽勤行             於本堂

参拝者5名。奈良からMさんが母上と妹さんを伴って二度目の来山。前回の護摩が素晴らしかったからと言っていただく。小浜からは蓮華入峰で長年お世話になっている若狭講の下仲さんも来山。88座目を終え、残すところあと6日。

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「楽して悟る!」
実は何年か前から、「もうそろそろ吉野を降りて里に出たら…」と何人かの人から言われてきた。吉野大峯の世界遺産登録もなり、蔵王権現信仰もご開帳事業を通じて順調に進捗し、役行者霊場会や弘法大師の道プロジェクトなど、関わった仕事が佳境ともいえる段階で、そういったようなことを、何人かの人に、言われ続けてきたのである。

正直、「いま降りて、どうするの?」という気持ちだったが、実際にこの3月末で自坊に戻り、さてどうするかという課題を抱えて、本行に入った。その修行もあと6日。仕上げの段階である。しかしながら、ここ数日になって、逆にかなり惑いが深まってきた感じだ。今頃になって、ようやく、本行の本題に直面したといえようか。

自分の原点を思い出そうとしている。昨日、ご縁をいただいたみなさまの、追善の日とさせていただいたのもそのひとつ。行き越してきた歳月を振り返りつつ、前を向かなければならない。蔵王権現様は過去世・現在世・未来世の三世にわたり守護をいただくご本尊。行き越してきた過去を思い、いま、権現様の前で額づく行を生き、そして明日からの未来を思念する。

「軽々しくそれを言うな!」と恩師にたしなめられたことがある。なにかというと、私は前から「楽して悟りたい」という願心が昔からあった。「楽して悟れるか」と恩師にはたしなめられたのである。

ただ、「楽をして…」というから誤解を招く元だが、千日回峰や、即身仏のような木喰(木喰戒)をして悟ったとしても、一般の人からきわめて遠い存在である。それが、日常の中に生きて、なお高い悟りのような心情に行くならば、誰にとっても、身近に仏法が生きていることになる。「あのりてんさんでも悟れたのだから、私もやってみようかしら」というような、存在になる、というのが私の前々からの理想だった。

「山の行より里の行」といい、「70のたなかりてんに会いたい」というのは、そういう原点から、仕切り直すことなのかも知れないと少し気づいた。せっかく吉野を降ったのだから、仕切り直す大きなチャンスなのである。まだ腑に落ちきらないし、どうやらこの修行の中で確信するところまでは届きそうにないが、糸口になる場所に来たように思う。

今日おいでになった参拝の方に「前のお顔とぜんぜん違いますね…」と口を揃えて言われたが、それもこれからの私のあり方を示唆していただいた言葉だったと思う。でもまあ、やはりまだまだである。一日の日程を終えて、今日は久しぶりに氏神さんにお参りし、しばらく里山を散策した。
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