本年(2021年)3月、奈良市の中心市街地にある陶器店と古道具屋で、蓋つきの茶碗をいくつか買い求めた。江戸時代に「奈良茶飯(ちゃめし)」をよそった蓋つきの飯茶碗を「奈良茶碗」と言ったという話を知り、興味を持って買いに走ったのである。「蓋つきの茶碗=奈良茶碗」ということではないらしいが、『日本国語大辞典』の「なら‐ちゃわん 【奈良茶碗・奈良茶椀】」には「(奈良茶飯に用いたところからいう)蓋つきの飯茶碗」とあって、私には区別がつかない。魚佐旅館の専務だった金(かね)やんこと金田充史(みつふみ)さんからは「奈良茶碗は、高台(こうだい=茶碗の胴を支えている丸い輪)が通常の茶碗よりも大きくて、少し大ぶりです」という話もうかがった。
※トップ写真は、奈良市内の陶器店で買い求めた蓋つきの茶碗(3/8撮影)
蓋つき茶碗を買った陶器店の女将さんから「昔は、蓋つきの茶碗を嫁入り道具にしていました」とお聞きし、これを私のFacebookに書いたのだが、「いつの時代」の「どの地方の風習だったのか」というところまでは聞かなかったので昨日再訪して、もう少し詳しい話をお聞きした(7月7日 13:30~14:00)。なおこのお店は、戦後まもなく初代(明日香村ご出身で大阪市内で商売をされていたが空襲に遭い奈良に引き上げて来られた方=三代目の祖父)がこの場所で陶器店を始め、今のご主人で三代目になる。女将さん(私とほぼ同年代の昭和29年生まれ)は三代目に嫁入りした方だが、ご主人が教職についているので実質的にお店を切り盛りされている。
陶器店と古道具屋で買い求めた茶碗のコレクション(4/4撮影)
「蓋つきの茶碗を嫁入り道具にするという習慣は、もちろん奈良市でもありましたが、もとは山添村など山間部の風習だったと思います。私が嫁いできた時(昭和50年頃)はとても盛んでした。蓋つきの茶碗ばかりを何組かセットにして木箱に入れたものを『睦(むつみ)セット』、湯飲み茶碗やお皿もセットしたものを『ファミリーセット』としてお嫁入り道具用に販売していました。1箱5,000円~10,000円ほどのファミリーセットがよく売れていました。やはり山添村などの山間部から、わざわざ買いに来てくださいました」。
実は女将さん(奈良市赤膚山ご出身)のお母さまのご実家が山添村なので、山添村の風習はよく覚えているという。「山添村では冠婚葬祭に伴う宴は自宅でやりましたし、食器はできるだけ同じ柄で揃えましたから、このような道具は重宝しました」。これは私の実家(紀州九度山)と同じだ。今も実家の蔵の中には、たくさんの食器が眠っている。お皿、茶碗から徳利(とっくり)、盃(さかずき)まで同じ柄で揃えたものもあった。「蓋つきの茶碗を奈良茶碗とは言いませんでしたか?」とお聞きすると「言いませんね、何しろ有田焼きでしたから」。
「昔は蓋つきの茶碗、蓋つきの湯飲み、蓋つきの丼鉢が一般的でした。田舎の農家などではご飯は1日に1~2回しか作らず、残ったものには蓋をしてお膳のまま水屋などに収納していました。ホコリやハエなどがたからないようにする工夫です。そのような生活習慣があったので蓋つきの食器が一般的だったのでしょうが、今は1回ずつ作りますし、残ったものもラップして冷蔵庫に収納しますので、蓋つきの食器が廃れたのだと思います」。確かに私も外食していて、蓋つきでいただくのは鰻丼、鰻重か茶碗蒸し、吸い物くらいのものである。そういえば昔はカツ丼に蓋をして、その高台にタクアンを載せていた店もあったなぁ。今、当ブログでは「昭和レトロ食堂」を連載しているので、取材のときには食器にも気をつけよう。今回のヒアリングはお1人だけの証言であるが、何しろ陶器店の女将さんのお話なので、十分信頼するに足りる。
なお、あとでGoogleで「嫁入り道具」「蓋つき茶碗」として検索すると、福岡県の女性がメルカリに「蓋つきお茶碗」を出品され「母の嫁入り道具だったそうで、大切にしすぎてほぼ使用していないようです。とても薄くて軽いです」とコメントされていた。願わくは、お母さまが奈良ご出身者でありますように!
ともあれ女将さん、貴重な情報をありがとうございました。またお邪魔してお話をお伺いしたいです!
※2021.7.14(水)追記
知人のOさんから情報提供をいただき(7/9)、昨日(7/13)奈良市の中心市街地にあるまた別の陶器店(上記の陶器店からは徒歩2~3分圏内)を訪ね、女将さん(昭和20年のお生まれで、今までずっとここに住んでいる)にお話をうかがいました。
「蓋つきの茶碗や蓋つきの湯飲みは、嫁入り道具にすると言ってよく買っていただきました。私も子どもの頃、よくそれを遠目に眺めていました。奈良市というより、郡部(農村)の風習のようでした、冠婚葬祭に使うとのことで。いつの間にかその風習も廃れましたが。蓋つきの茶碗は『奈良茶碗』とは言いませんでした。今も棚に置いていますが、もう新しく仕入れることはないですね。紺色の茶碗がありますが、紺の釉薬(ゆうやく)は貴重品なので、とても珍しいと思います」。写真は2点ともOさんのご提供。
※トップ写真は、奈良市内の陶器店で買い求めた蓋つきの茶碗(3/8撮影)
蓋つき茶碗を買った陶器店の女将さんから「昔は、蓋つきの茶碗を嫁入り道具にしていました」とお聞きし、これを私のFacebookに書いたのだが、「いつの時代」の「どの地方の風習だったのか」というところまでは聞かなかったので昨日再訪して、もう少し詳しい話をお聞きした(7月7日 13:30~14:00)。なおこのお店は、戦後まもなく初代(明日香村ご出身で大阪市内で商売をされていたが空襲に遭い奈良に引き上げて来られた方=三代目の祖父)がこの場所で陶器店を始め、今のご主人で三代目になる。女将さん(私とほぼ同年代の昭和29年生まれ)は三代目に嫁入りした方だが、ご主人が教職についているので実質的にお店を切り盛りされている。
陶器店と古道具屋で買い求めた茶碗のコレクション(4/4撮影)
「蓋つきの茶碗を嫁入り道具にするという習慣は、もちろん奈良市でもありましたが、もとは山添村など山間部の風習だったと思います。私が嫁いできた時(昭和50年頃)はとても盛んでした。蓋つきの茶碗ばかりを何組かセットにして木箱に入れたものを『睦(むつみ)セット』、湯飲み茶碗やお皿もセットしたものを『ファミリーセット』としてお嫁入り道具用に販売していました。1箱5,000円~10,000円ほどのファミリーセットがよく売れていました。やはり山添村などの山間部から、わざわざ買いに来てくださいました」。
実は女将さん(奈良市赤膚山ご出身)のお母さまのご実家が山添村なので、山添村の風習はよく覚えているという。「山添村では冠婚葬祭に伴う宴は自宅でやりましたし、食器はできるだけ同じ柄で揃えましたから、このような道具は重宝しました」。これは私の実家(紀州九度山)と同じだ。今も実家の蔵の中には、たくさんの食器が眠っている。お皿、茶碗から徳利(とっくり)、盃(さかずき)まで同じ柄で揃えたものもあった。「蓋つきの茶碗を奈良茶碗とは言いませんでしたか?」とお聞きすると「言いませんね、何しろ有田焼きでしたから」。
「昔は蓋つきの茶碗、蓋つきの湯飲み、蓋つきの丼鉢が一般的でした。田舎の農家などではご飯は1日に1~2回しか作らず、残ったものには蓋をしてお膳のまま水屋などに収納していました。ホコリやハエなどがたからないようにする工夫です。そのような生活習慣があったので蓋つきの食器が一般的だったのでしょうが、今は1回ずつ作りますし、残ったものもラップして冷蔵庫に収納しますので、蓋つきの食器が廃れたのだと思います」。確かに私も外食していて、蓋つきでいただくのは鰻丼、鰻重か茶碗蒸し、吸い物くらいのものである。そういえば昔はカツ丼に蓋をして、その高台にタクアンを載せていた店もあったなぁ。今、当ブログでは「昭和レトロ食堂」を連載しているので、取材のときには食器にも気をつけよう。今回のヒアリングはお1人だけの証言であるが、何しろ陶器店の女将さんのお話なので、十分信頼するに足りる。
なお、あとでGoogleで「嫁入り道具」「蓋つき茶碗」として検索すると、福岡県の女性がメルカリに「蓋つきお茶碗」を出品され「母の嫁入り道具だったそうで、大切にしすぎてほぼ使用していないようです。とても薄くて軽いです」とコメントされていた。願わくは、お母さまが奈良ご出身者でありますように!
ともあれ女将さん、貴重な情報をありがとうございました。またお邪魔してお話をお伺いしたいです!
※2021.7.14(水)追記
知人のOさんから情報提供をいただき(7/9)、昨日(7/13)奈良市の中心市街地にあるまた別の陶器店(上記の陶器店からは徒歩2~3分圏内)を訪ね、女将さん(昭和20年のお生まれで、今までずっとここに住んでいる)にお話をうかがいました。
「蓋つきの茶碗や蓋つきの湯飲みは、嫁入り道具にすると言ってよく買っていただきました。私も子どもの頃、よくそれを遠目に眺めていました。奈良市というより、郡部(農村)の風習のようでした、冠婚葬祭に使うとのことで。いつの間にかその風習も廃れましたが。蓋つきの茶碗は『奈良茶碗』とは言いませんでした。今も棚に置いていますが、もう新しく仕入れることはないですね。紺色の茶碗がありますが、紺の釉薬(ゆうやく)は貴重品なので、とても珍しいと思います」。写真は2点ともOさんのご提供。