藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

世界最古の技術が世界最新の技術へ

2018-08-27 14:34:06 | 日記・エッセイ・コラム

戸田工業を語る

人類最古の顔料、ベンガラの工業的製造からはじまる。

ベンガラとは酸素と鉄が結び付いたもの、いわゆる酸化鉄です。ベンガラは大昔から絵の具などとして使われてきた人類最古の顔料です。例えばスペインのアルタミラの洞窟の壁画や日本の高松塚古墳の美人画の彩色にも使われていたようです。白磁の焼物に鮮やかな赤色を出すのに成功した初代柿右衛門の絵つけにもベンガラが使われています。また、女性用の口紅の色として使われていました。
戸田工業の歴史は、このように古くから人類に利用されてきたベンガラを、岡山県井原市で家業として工業的に製造することから始まりました。

昭和8年、戸田工業株式会社を設立。

その後、明治・大正時代を経て、家内工業から徐々に近代工業化していましたが、日本が戦時体制に急速に変化していくさなかの昭和8年、広島市横川町にベンガラの製造販売を事業目的とする戸田工業株式会社が設立されました。そして昭和16年には、従来の生産方法に代えて硫酸鉄を利用する方法を開発し、生産力を高めることに成功しました。

コアコンピタンスとして、酸化鉄の湿式合成法を開発。

酸化鉄は、当時硫酸鉄を焼いてつくっていましたが、そのときに発生する亜硫酸ガスが、戦後大きな問題となりました。当社は、この問題を根本から解決するために、京都大学の故高田利夫教授とともに、酸化鉄を水溶液から化学反応によって合成させる湿式合成法の開発に挑戦し、昭和40年見事に成功しました。この製法では、硫酸鉄を焼かないために亜硫酸ガスの発生がありません。しかも、鉄鋼製品の製造プロセスから出てくる硫酸鉄を原料として使えるため、産業廃棄物の削減、資源の有効利用に貢献することまでできたのです。
さらに、湿式合成法では、製造のパラメーターをコントロールすることにより、形状、特性のバラエティ豊富で安定する品質の材料を生み出すことができるようになりました。

オーディオテープ、ビデオテープで一時代を画す。

当時の当社の中心となる製品は、顔料やフェライト材料でしたが、湿式合成法の開発により、高純度で形状も均整にコントロールできる粒子の生産が可能となりました。この技術的基盤の上に、昭和51年頃から大きく発展し一時代を画したオーディオ・ビデオテープ用磁気記録材料が開発されることになります。そして、戸田工業のオーディオ・ビデオテープ用の磁性酸化鉄は高品質で世界市場で揺るぎない地位と時代を築いたのでした。

デジタル情報化社会への、戸田工業の新しい挑戦。

しかし、1990年代にはいると、時代はアナログからデジタルへの大きな転換期を迎えます。
圧倒的なシェアを持ち、事業基盤となっていたオーディオテープが、次いでビデオテープまでが、デジタル化の波の中でどんどん消えて行ったのです。
こうした中で、当社は湿式合成から始まるナノテクノロジーをコアコンピタンスに、新しい事業領域への挑戦をスタートさせました。
酸化鉄を軸にしながらも、それ以外のさまざまな無機材料への経験と知識を集積するとともに、IT化や環境問題などに伴う新たな社会・産業の課題に挑戦。新しい戸田工業の創造に向けた着実な歩みをスタートさせたのです。
そして今、電子印刷材料や電池材料、さらに先端のナノテクノロジー技術分野で、飽くなき挑戦がスタートしています。

とまーこんな歴史の中で、横川駅は不思議と企業を育ててきました。


あまりの暑さで・・・・「ぼーーーー」

2018-08-26 15:18:16 | 日記・エッセイ・コラム

現在 37.5度。 頭の中は「ぼーーー」。 扇風機はフル回転だが体温より高いと効き目がないようだ。 かといって、クーラーは体にきつく当たるので「ノー」の私は我慢する以外にない。 今日は横川駅から150mの所から世界に飛び立った今一つの会社、「戸田工業」を紹介しようと思っていたが、資料がなかなか見つからない。 今少しお時間を戴くことにする。 この会社聞いたら「!」されること間違いない。奥様は午前中「避難訓練」にお出かけであった。私は自分の物を洗濯。 何年ぶりの洗濯だ。 外は洗濯日和「快晴」。 避難訓練には最悪の天気ではあるが。 消防車が走って行く。 どうやら近くが火事のようだ。・・・・・

消防の情報を確認すると、駐車場にしている土地から歩くこと5分、良く知っている商店が延焼中らしい。 いったい出火の原因は何だろうか・・・・・・。


不思議な土地柄

2018-08-25 13:41:38 | 日記・エッセイ・コラム

 先日紹介した「萬国製針」や、今回紹介する「モルテン」、「ミカサ」は何れも山陽本線横川駅を中心に半径300mの中にある。 「モルテン」は元々自動車部品や、船の部品を作っていた。 「三菱造船」や自動車の「マツダ」の下請けとして頑張っていた。 「ミカサ」は大正時代から、造船のスクリューの軸を作る「明星ゴム」として名を成していたが、戦後復興の過程で「ボール」を作ることに成った。 その要因は、「競技用ボール」は、總て革製であり、その皮を扱う集団が身近に存在したことだ。 南に下る事500mに、西日本最大の被差別が存在し、皮のなめしから加工まで一貫して出来る技術がそこにあったからだ。

ミカサのボール  モルテンのボール  

現在ではこんなデザインだが、昔々のドッジボールを思い出して頂くと、外皮が皮で、中にゴム製の風船が入っていたのをご存じだろうと思う。 現在では工場は郊外に引っ越したが・・・・・・。

世界の球技をこの2社が支えている。 

   これはビーチバレー用 

オリンピック公式ボールも「ミカサ」と「モルテン」が分け合っている。 今や両社とも世界の企業だ。

 


突然の雨

2018-08-25 05:11:42 | 日記・エッセイ・コラム

深夜2時、「パラ、パラ・・・・」夕立が降り始めた。? 深夜に降っても夕立と言うのだろうか。 夕方に降るから夕立と子供の頃には思っていたが。  雨は20分ほど降って止んだ。 それまで酷かった頭痛が嘘のように軽くなってきた。 背中の痛みも軽くなった様だ。 加えて効かなかった痛み止めが効きはじめ、やっとブログを書く気力は出て来た。 今日こそ本題の、「ミカサ対モルテン」のボール市場の対決を、午後には書こうと思う。 こうご期待。


台風は来なかったけれど

2018-08-24 15:35:26 | 日記・エッセイ・コラム

 台風は私を避けていったようだ。 それでも私の頭は、脳みそが膨れ上がり、目玉が飛び出しそうで、うー・・・・、頭痛で文字を見ると引付が来そうであった。 今もその余波が続いている。 じっとしていても、汗が吹き出し、大きな音でも頭痛がする。 本来ならば、広島が誇る二つのボール製造会社の事を書きたいのだが、耐えれそうにないので、・・・・・・。 明日こそは、「ミカサ」 と 「モルテン」 二つのボール会社を是非とも書きたいと思っている。