藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

骨休め、気休め

2018-08-28 10:24:23 | 日記・エッセイ・コラム

なんとなくスーパーの売り場で、買ってしまった。 葉っぱの付いた「パイナップル」。 なんだか私に連れてってと、お願いされたような気がしたのだ。 二週間前の事である。 先には葉っぱがついているし、・・・・何てたって168円なのだ。 まだ青いが、しばらく鑑賞して、いやいやこの先ちょを挿し木にしたらつくかもしれないと、ただなんとなく思ったのだ。 帰宅後、先端の葉っぱをひねると、簡単に取れた。 よく洗って、葉っぱを間引いて鉢に植えてみた。

 

  今日で二週間 たった。なんだか順調に根付いているような・・・・・無い様な 。

今後一週間に一度、どう変化するのかお知らせします。 ひょっとして、来夏には「パイナップル」が実のたりして・・・・・・。 こうご期待。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戸田工業(2)

2018-08-28 07:53:41 | 日記・エッセイ・コラム

昭和40年、新技術を勝ち取った戸田工業は、45年に大竹に工場を移しました。 それまで工場はこの写真の谷筋の奥まったとこでした。

背後の山は、亜硫酸ガスで禿げ上がり、木が一本んも生えていませんでした。 今でも赤い屋根の向こう、木の生えていないところがあります。 工場移転から45年、やっと植林された木々が生えそろってきました。

ところで、皆さんは「乗合自動車」、いわゆる「バス」が、日本で初めて運航されたのが、山陽本線横川駅と可部の町を結んでいたことはご存じ無かろうと思う。 それは明治38年の事で、その状況は、井伏鱒二の小説で紹介されているので、一度お読みいただきたいものです。 当時こんなバスが走っていました。

 二十年前、横川の町の有志がそのバスを再現しました。 当時は道は悪く、バスは度々故障して、修理代が高くつき、加えて太田川を挟んで左岸側でもバスが運行され、六か月後に共倒れしました。 井伏鱒二はその状況を、面白おかしく書いています。

さて明日は、そのバスの終点、可部町に工場を構えて、世界に羽ばたいた「東宝グラスビーズ」をお送りしたいと思っていますが・・・・・。 資料が見つかるかどうか   頑張ってみます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする