藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

やめられない とまらない

2018-08-19 10:08:06 | 日記・エッセイ・コラム

皆さんは、こんなフレーズ覚えていますか。 「やめられない とまらない かっぱえびせん ぱくぱく」・・・・。 

 昭和30年代大ヒットした「かっぱえびせん」のCM。 TVの時代がやって来た昭和39年、広島から全国区に躍り出たのが「カルビー」です。 最初は松尾食品?そんな名前の会社が、戦後昭和24年頃から「カバヤ」の(ハヤシバラ)水あめの提供を受けて、「かっぱキャラメル」と言う商品を売り出しました。 戦後の焼け野原の中で甘い物を求めていた子供に受け入れられて・・・・・。 ところで、なぜ 「かっぱ」 が商品名にくっついているかというと、国鉄(当時)広島駅前を流れている川が、猿猴川と呼ばれていたので、猿猴 = 河童からきています。 当時、ハヤシバラの水あめを提供してもらう条件が、子供に愛されるマスコットを必ず付けることが条件でした。 「不二家のペコちゃん」や「森永のエンジェル」等がそれです。 そこで付けたのが、「河童」でした。 以前社長さんに聞いた話では、当時河童の漫画で大ヒットしていた 「清水 崑(しみず こん)」さんに、その漫画を使用させて欲しいとお願いしたら、広島の復興に役立つのならと快諾してくれたそうです。 それからすべての製品に「かっぱ」と名を付けて売り出しました。 「かっぱえびせん」の大ヒットで、大手メーカーになった会社は、社名を「カルビー」と変えました。 戦後の栄養不足の時代、子供達に少しでも、「カルシューム」や「ビタミン」を摂取してほしいとの願いからでした。 実は、「かっぱえびせん」のまえに、

「かっぱあられ」と言う商品があり、その商品のヒットの延長線上に「かっぱえびせん」があります。 先日「かっぱえびせん」はどうなったかカルビーに聞いてみました。 今でもあるそうです。 有るそうですが、今では高級な商品になり値段も・・・・・。 そんなこんなで、本社は東京に引っ越しましたが、世界中に工場を持ち、今でも 猿猴 = 河童 の縁をを大切にして活動しているようです。 昭和40年から43年にかけて、「かっぱえびせん」のネオンサイン工事で西日本を飛び回ったことがありました。 各県の県庁所在地の、駅前のビルの屋上は、「かっぱえびせん」のネオンサインが輝いていた時代がありました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする