藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

萬国製針に思う・・・・

2018-08-21 16:37:21 | 日記・エッセイ・コラム

 この記事は 非常に書くことが難しい。 昭和21年、萬国製針の工場が再興した時から、広島市内の闇市で始まった事を記憶したいと思い書くことを思いついた。 昭和20年4月生まれの私の記憶は23年頃からはっきりしている。 工場が再建されたのは、現広島市西区楠木町。 山陽本線横川駅の北東、汽車の窓からは、

現在こんな景色が見える。 皆さんご存知の「クローバーぬい針」は、遡る事大正時代、萬国製針が作った物を、販売「クローバーぬい針」として、世に出ました。 原爆で工場は崩壊。 21年再建されて、再び世に出ました。こんな物覚えていますか・・・・

  この袋の中は、鉛の箔で包まれた針が入っていました。 この包みを作っていたのが、戦後職や、家をを失った「原爆スラム」に住んでいた人たちや、近郊の延焼を免れた人たちでした。 工場で作られた針は、方向が一定ではなく、先ずはこれを整えるために、竹の節と節の間の空間を利用します。 二つに割られた竹筒の中に、工場で出来た針を入れて揺すります。 そうすると、その竹筒の底に、2方向に向いて並んだ針の山が出来ます。 それを取り出して、二枚の暑いゴムの間に挟み、木づちで叩くと、針先のとがった方がゴムに刺さります。 こうして方向を整えると、次に鉛の箔の上に針を並べ、順次その外側を印刷された紙で包んで完成です。 この仕事は役割分担が有って、前半の誰でも出来る所は、子供が担っていました。 こうして戦後の広島の生活を支えてのです。 萬国製針は今も全国一位の生産量を誇り、海外にも進出しています。 

書きたいのはこの後の物語。 あすこの続きを書きます。


本日の記事を上げる前に

2018-08-21 16:16:02 | 日記・エッセイ・コラム

 午前中、地元スーパーに買い物行って来た。 盆前に行ってから久しぶりの訪問だったが、店に入るなり従業員から「えびせん入りましたよ」と、声を懸けられた。 そう言えば、店長さんと「えびせんについて話したっけ」・・・。 「カルビー」の子供向けコナーが出来て、お盆で里が入りした親子で賑わったそうだ。 有りました、「えびせん」 子供向け36円の物。 「匠海」の付く、高級品ではありません。 消費税込40円です。

 右肩に 賞味期限、製造年月日が入っています。 これ、「カルビー」が、最初に入れました。 大昔に近い話を昨日したのでした。 言いだしっぺとしては、「買わずばなるまい」の心境で購入。 孫が来れば喜ぶだろうが・・・・・・。  外は35度を超えました。 真夏に後戻り・・・・・・。 「あついーーーー」・・・・