藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

深山 霞の「霞的心」  ある建設現場監督の死

2013-02-22 00:01:17 | 社会・経済

Photo  建設現場監督が一昨年亡くなられた。 石綿による中皮腫である。 何故に早期発見が出来なかったのであろうか。 不思議でならない。 会社が社員の安全を十分に考えていれば、早期発見で、今少し命を長らえることが出来たであろうと思う。 五十六歳のあまりにも早い死であった。

 現在遺族により、会社を相手取り裁判を行っている。 (私もこの裁判の支援をすることになり、資料の作成等に、関わっています。)

理由は、会社の安全確保義務違反による損害賠償請求である。 労働安全衛生法の中に、現従事者への石綿健康診断の実施義務(石綿規則第40条第1項)というのがある。 事業者は、石綿等の取り扱い、又は試験研究のための製造に伴い石綿の粉じんを発散する場所における業務に常時する労働者に対して、雇入れの際、その業務への配置替えの際、その後6ヶ月以内ごとに1回、定期に、「(2) 現従事者への石綿健康診断の項目」について、医師による健康診断を行わなければなたらない。 と規定している。行わなければ50万円以下の罰金である。 しかし建設業の大半の経営者が、石綿取り扱い事業所という、認識がない。 石綿と言えば「吹付け耐火被覆」のみで、常時使用している認識がないのである。

現代建築においては、コンクリートと、鉄筋、鉄骨を除き全ての建材に石綿が含有されていると思って間違いない。

コンクリートでさえ一部の業者は、強度を上げるため混入させた例が存在する。

石綿の全面的使用禁止は、2012年であり、2005年の0.1%規制、2000年の5%規制と国の対応は、石綿業者の言い分を取り入れたために後手に回り被害を拡大させた。 加えて、建設業者などへの働きかけは文章の配布という緩やかのもので、 健康診断の有無で、責任を追及されて罰金を払わされたなど聞いたことがない。 加えて、日本の石綿検出方法が稚拙で国際的に批判されても「JIS」規格で頑なにその検出方法を守り続けたために犠牲者が増大してきた。 「JIS」規格検査では、5%以下の含有検査が不可能なのである。

私が一日一回訪れる「ブログ」の主催者、「志村建世」氏の住居は鉄骨造りだそうである。 耐火被覆が吹き付けられているので、石綿が心配になり施工業者に問い合わせをされたそうであるが、「岩綿」の耐火吹付材を使用しているとの返事をもらい安心したと以前語っておられた。

その時「岩綿」の中には時期により「白石綿」が含まれていますよと、忠告申し上げようかと思ったが、ためらってしまった。なぜなら検査費用がかさむからである。

なぜ「白石綿」を疑ったかと言うと、「岩綿」より。「白石綿」が安価であり、鉄骨への活着力が良いために、業者が勝手に混入させ施工するからである。つまり現場での作業は、「岩綿材」と「白石綿」は別々に搬入される。それを人間が施工しやすいように混ぜ合わせ吹き付けるからである。 納品書はどのようにでも作文できる。建築工事を監督する役所は、書面で吹き付けられた自称「岩綿」の厚みのみ現場で確認する。「岩綿」の中に、石綿が含有されているかどうかは、施工した人間にしか判別できない。その現場での厚みの確認作業で、広島市の建築課の監督官が、石綿による中皮腫で亡くなった。一昨年のことである。

2005年以前に建設現場で仕事をされた方、申請の仕方で「健康管理手帳」石綿が交付され、一年に二回、無償で「特殊健康診断」が受けることができます。

労働基準監督署では、十年以上の経験を条件にしますがそれは建設現場での作業内容により大きく変わり、事務職などの条件であり、直接石綿に触れる作業を行っていれば、一年以上で十分に条件を満たしています。

労働基準監督署の窓口業務の人間の勉強不足は、驚くばかりです。

思い当たる方や、知人の方で該当される方は、私にご相談ください。

   電話 080-6318-4554  もしくは issin.ko@iris.ocn.ne.jp まで連絡いただければ、ご相談に乗ります。

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深山 霞の「霞的心」  男のロマン「結婚するなら、マドンナと」

2013-02-21 04:20:08 | 社会・経済

Photo_2  私の親友といえば、小学校四年生から同じクラスなった、「N」君である。「N」くんの「マドンナ」は「由美かおる」である

 彼の一家は、敬虔なクリスチャンで、家族と親しく交流がある。 彼のお姉さんの結婚式の司会を、私がしたくらいである。 彼のお姉さんは絶世の美女で、町内で評判であった。 頭も良くて、広島有数の女学校に進学した。 友人の「N」も美男子である。 美男子であるから、女性からの誘惑が降るほどあったが、見向きもしなかった。 中には私を仲介役に、彼を仕留めようとした女性は片手に余る。 中には、私と彼との前で数時間泣かれたときはいささか閉口した。

 どのように女性がアッタクしても、彼には理想の「マドンナ」が存在し、 そのイメージに沿った女性でないと「結婚」が、考えられないらしかった。 私が「駆け落ち結婚」宣言を彼にしたら、応援するという。

私が新婚生活を始めた頃、 毎週日曜日彼は、私達の新婚生活の邪魔をしにやってきた。 教会からの帰り道に住んでいたから、暇潰しに丁度良かったのであろう。 私は彼に理想の女性について聞いてみた。 即座に返事が帰ってきた。「由美かおる」のような感じの女性がいいというのである。 「贅沢はほどほどにしろ」と言ってはみたが、 私の理想の女性が「小百合様」であることを知っていた彼は、「お前は、自分が理想に近い結婚をしたからいいよな」という。 返事に困った。 彼の母親は、耳鼻咽喉科の病院の受付をしていた。 その病院は、小学校の同級生の女の子の従兄で、歳は我々より十歳は年配であったが、評判の良い病院であった。

ある日、現場での作業中突然にめまいに襲われた。 現場近くの内科に駆け込むと、耳鼻咽喉科へ行って診察を受けなさいという。 過労からくる、「メヌエル氏病と思われるので「耳鼻科の方が専門ですよ」と教えられ、タクシーでかの耳鼻科に直行した。 受付を見てびっくりした。「N」くんのお母さんの隣に、「由美かおる」のそっくりさんがいるではないか。 もはや我病気より、その女性が気になり始めた。 診察の結果は、「メヌエル氏病」。 「毎日二週間点滴に来なさい。」と申し渡された。 幾度か目の点滴が済んだ後で、「N」くんのお母さんに事務員さんのことを話をして、彼女ならきっと彼が気にいると思うので、一度「教会」に彼女を誘って見て欲しいと話してみた。お母さんはすぐに実行された。 予測は的中した。 半年後二人は結婚した。

仲人は、「耳鼻咽喉科の先生ご夫妻」、式の司会を是非ともと頼まれたが、祝辞は引き受けるが司会は断った。 代わりに昭和二十年生まれの会で一緒に活動していた、プロのアナウンサー「Y」さんに私からお願いした。

私は祝辞の中で、過去の「女性を振りつずけてきた彼の歴史」を語り場内、笑いの渦となった。 彼もまた、二人の「マドンナ」を持ち続けている。

 

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深山 霞の「霞的心」  ヤマダニで発病て、昔からあったはず

2013-02-20 04:23:34 | 社会・経済

Photo 「屋外に生息するダニが媒介する新しいウイルス感染症「重症熱性血小板減少症候群(SFTS)」が先月末、国内で初めて確認された問題で、厚生労働省は19日、新たに広島県の成人男性の感染と死亡が確認されたと発表した。感染による国内の死者は4人目となった。

 厚労省によると、広島県の男性は昨夏、死亡。その後、SFTSを疑われる症状だったことが報告され、国立感染症研究所が血液を調べたところ、SFTSと確認された。」

これは新聞に報道された記事の一部である。 今更なぜこのような記事が出るのか、はたまた過去には、このような感染症がなかったような記述に驚いている。 私が子供のころから 「山でダニ」 に噛まれたら、噛まれたところを思い切り吸って、できるだけ早く家に帰って、「アスピリン」と、抗生物質の「クロロマイセチン」を飲めと教わってきた。 一度噛まれて平気だったら、そのあと噛まれても大丈夫だと、ガキ大将から教わった記憶がある。 当時「クロロマイセチン」は薬局で自由に買えた。 覚せい剤も買えた。 名前を「ヒロポン」と呼ばれ、疲労がポンと取れるから、ひろぽんと名付けられたと聞いたことがある。 確か「大正製薬」が製造元ではなかっただろうか。 間違っていれば、正しい製薬会社名を教えてください。

 里山近くで生活する人達は、「日本住血虫」と「ヤマダニ熱」が一番恐ろしい病気であったはずである。 「日本住血虫」は、別名「ツツガムシ病」ともよんだのではなかったか。 「恙無い」とは「ツツガムシ病」に罹っていない事を言うのだ。 この病気は「ミヤイリガイ」という小さな田んぼの巻貝が病原虫の「宿主」になり人に感染させていく。 広島県にも分布地が有り、 撲滅のための圃場消毒が行われていたが、その後「強力な農薬」が使われはじめたために、その力で自然と撲滅してしまった。 北の大地北海道では、「エキノコックス」が、「キタキツネ」を宿主にして、やはり病原虫をばらまき、谷水などはそのまま飲まない方が良いそうである。

「ヤマダニ熱」と呼ばれていた病気は、一体何だったのだろう。 今回国が発表した病気とどこがどう違うのだろか。 現在のような詳細な検査方法のない時代、この手の病気はすべて「敗血症」と片付けられたのではなかろうかと思い始めた。

このような「病」が存在するから、私は野放しで猫を飼う人を信用できないのである。私の住む団地に出る「狸」や「鹿」、「猪」等が、山から「マダニ」を団地に持って出てくる。 それを猫が団地中にばらまく。

傍迷惑とはこのことだ。 放牧された牛の生肉など食べないに限る。 馬は基礎体温が高く、病虫害に強い。 と言うより、侵入した病原菌や、寄生虫が体温の高さに耐えれないのだそうである。 馬刺しは食っても、牛刺し、トン刺しは食べるなと昔から言われた事は、先人の知恵なのだと感心する。 

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深山 霞の「霞的心」  顔の左右はこんなにも違うのか

2013-02-19 00:00:52 | 社会・経済

Photo_2  「小百合様」の写真をじっと見ていて気が付いた。 顔の左右が大きく違うのである。 左、右半分だけ見ると、 「小百合様」 に見えない。 左右合わせて 「小百合様」 なのである。 写真を左右半分ずつ見ていて、はたと気付いた。 結婚する前、正しくは「駆け落ち」する前、 「あかね様」の従姉妹と一緒に食事をしたことがある。 二人共に共通して面長で、俗に言う「馬面」であった。

二人を前に食事をしていると、馬二頭と食事をしている感じがした。 我が家の家系には、面長な人間がいない。 だからそう感じたのである。 ついそれを口に出してしまった。

 二人にこっぴどく怒られて、その夜は「食事を奮発」させられた。 

「小百合様」の写真を、右と左と別々に見ていて気付いた。 左半分が、妻の従姉妹の顔である。 右半分が、我妻 「あかね様」の顔である。 似て非なるところがある。 全く別人になる。

 「小百合様」の「憂いと優しさ」の表情は、実にこの左右非対称なところから生まれていると気付いた。 

 世に云う「サユリスト」は、この左右非対称の顔に魅せられて、五十数年の長きにわたり 「恋い慕ってきた」 のではなかろうか。 「小百合様」も、もうすぐ六十八歳になる。

しかし、それで終わりではない。 それは通過点なのである。 私と「あかね様」の関係もまた。

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深山 霞の「霞的心」   少しは春めいてきた

2013-02-18 04:23:43 | 社会・経済

Photo 「小百合様」の写真を新しく見つけた。 この顔が若き日の我が妻に一番似ている。 ただし、我が妻は「小百合様」より小顔で、少し口が大きく、背が2センチ程低い。ただし年取るごとに、美貌の差は明らかになり始めた。 数週間前から、「ヒアルロン酸」入り化粧品に目覚めて、いろいろ試しているが、あまり効果はないようだ。

 午前二時、息苦しく目が覚めた。 雨がふっている音がする。 低気圧に体が反応したらしく、咳が出て頭の芯が痛い。 酸欠状態である。 昨夜しきりに頭痛がして、鎮痛剤を普段の倍飲んでやっと収まった。 気象庁の予報より、私の体調のほうが天気の予報がよく当たる。

 朝夕の冷え込みが少しずつ変化し始めた。 確実に春が近づいている感がある。

 太田川の川岸に、「つくし」が芽を出し始めた。

土曜日の午前中、電車で広島まで出かけた。十一時四十五分発広島駅行きの電車の中で、声をかけられた。 

「藤森さんではありませんか」 「そうですが」 「私、××です。覚えておいでですか。」 しばらくして思い出した。 彼女の実家は、可部街の街の中心にあった。 五十年ぶりの再会であった。 金曜日から父親の法事で、実家に帰っていたそうである。 それにしては一人なので不審に思ったが、山陽本線 「横川駅」 が近づくと、「お茶でも飲みませんか」 と誘われた。 彼女に誘われるのは、五十一年ぶりである。高校一年生の、九月の文化祭で誘われて、八丁堀の「門」という喫茶店で話したことがある。 その時は、私の小学校の同級生の女の子が一緒であった。 「門」という喫茶店は、後に「吉永小百合」 主演の映画、 「愛と死の記録」の撮影に使われた喫茶店である。

その後、二人だけで数回会った事があるが、それは小学校の同級生が、「会ってあげて欲しい」 と言ってきたので会っただけで、特段の感情があったわけではない。

 彼女は今、独身だそうである。 四十三歳で主人を「癌」で亡くし、その後再婚しようと思ったが、子供に反対され独身を続けたそうだ。 近頃になり子供が、「お母さんには悪いことをした」 と言う様になったそうである。 老後の一人暮らしは、淋しいそうである。 しみじみと語られると、私の妻も将来同じ思いをするのだろうかと思い、 帰宅後「老後」のことを話してみた。 我が妻は、あまり寂しくなるとは思っていないらしい。 家を散らかす人間が減ると、掃除の時間が少なくて済む。 その分本が読める。 そういった思考のようである。 

 話が、文学論になってしまった。 話していて我妻「あかね」様は、ギリシャ神話を読んだことがないらしい事が解った。 いわんや、「ホメロス物語」 等は、 存在も知らなかった。「イリア」と「オデッセウス」の物語を知らなかった。 大学の国文科に行って、一体何を勉強したの?と聞いてみた。 国文には「ギリシャ文学」 など出てこなかったとそう語る。 現代文学が、「ホメロス物語」 から始まり、考古学もまた、この物語が原点である事を語って聞かせた。 「トロイの木馬」は知っていてもその話の内容や、原点が何処にあるのか知らなかった。 ましてや、「アキレス」の「アキレス腱」の逸話など全く知らなかった。 

 オマケに、広島市立図書館のホームページにアクセスして、この本を取り寄せる手はずまで整えた。 これで私は、当分死ぬわけには行かないようだ。 彼女の理想の老後生活の、「読書三昧」 を満喫させるためには、当分生き恥を晒さねばならないらしい。 食事の世話だけではなく、読書の世話までしなくてはならないらしい。

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