世の中は、つくづく恐ろしいものだと感じている。
先日、椴法華の「かわぐち えいこう」氏のブログに、コメントを送った。どうも「かわぐち えいこう」氏は、美輪明宏さんより、予知能力がお有りなようである。
コメントの返事で忠告をいただいた。生まれ変わっても、今の妻と必ず結婚せよとのお達しである。重ねて、「さゆり様」と結婚しようなどと夢々考えるなとの忠告である。
どうも私の本心が、北海道の椴法華まで筒抜けのようである。嘗て私は、「さゆり様」との結婚は不可能と自覚した時、妥協の末に今の妻との結婚を決心した。妻は、「貴方が不憫だから結婚してあげたのだ」と言っている。
どちらにしても、「さゆり様」との結婚は無理であったことだけは事実である。そこで私は考えた。「さゆり様」との三度目のお目見えはあの世でも良いではないかと。
しかし、ここに大きな問題があることに気付き、悩んでいろいろ考えてみた。
「かの君」は、必ずや天国に逝かれるであろう。方や私には、天国に行ける保証はない。ではどうするか。答えは案外簡単であった。私のお棺の中には、三途の川の渡り賃を入れないように遺言しておけば良い。三途の川が渡れなければ其処で、「さゆり様」を待ち伏せできる。待ち伏せできれば、少なくとも私の気持ちを、伝えることが出来る。
お釈迦様と同じ日に生を受けた私である。お釈迦様は、私の味方をして頂けるのではないだろうかと、少しだけ期待をしていたが、北の地にお住まいの予知能力者に見透かされるようでは、この作戦は再考の必要がありそうである。
「うーむ」・・・・・。