藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

旅立ち

2020-08-03 09:33:41 | 日記・エッセイ・コラム

 早朝電話、妻の義理の姉が亡くなったそうだ。 三年半前、蜘蛛膜下出血で倒れたが、一命を取り留めたが、一年半前大腸癌が発覚、末期で手の施しようもなく、放射線のみで対応していたが、今朝早くに息を引き取ったそうである。 妻の身内もあとは兄一人となった。 覚悟はしていたようで、淡々と通夜の支度を始めた。 明日葬儀であるが、私は明日、広島市の災害対策の会議が予定されており、出席できそうにない。 今夜だけは万難を排して訪問する予定である。 この年に成ったら良い知らせは少ない。 電話が鳴るたびに気が滅入る。 特に今年はこの騒ぎの所為で余計に、そう気が回ってしまうようだ。 同窓会も皆が少しでも元気な時にと思えども、コロナ騒ぎでそれどころではない。 加えて、六十を過ぎた頃より、学歴や職業歴で纏まりが難しくなってきたのだ。 私は不思議と女性軍に取り囲まれるので、他の男性軍から嫌味を言われることが多いい。 別に胡麻すりや、おべっかを使った事も無いが、小学校時代の思い出の中に、どうも不思議な存在として位置づけられているらしい。 校長室に呼びつけられるのも一番多かったし、とは言ってもなんだかんだと、表彰されることも多かった。 学芸会のスター的存在だったし、(美男子ではなく、何時も悪者役)それが妙に受けたことは確かである。 卒業時の同じクラスの45人の仲間は、すでに5人先だって行った。 脳腫瘍が二人、子宮癌が一人、事故が一人、今一人は死因は判らない。 高校一年生で、再生不良貧血で倒れた私が、不思議としぶとく生きているのも、皆が不思議なのだ。 それと、忘れた頃突然に、TVに出演したりして、皆がびっくりするのだ。 指名手配されたりではない。 広島市の行事や、ハタマタ「なんでも鑑定団」などに出演したりと、忘れた頃に顔見世することが多いいのだ。 先に旅立った一人の女性とは、一度ゆっくり話がしたかった。 映画「キューポラのある町」の中に出ていても不思議ではない様な女の子だったのだが。 

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