藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

深山 霞の「霞的心」    「出雲路珍道中記3」

2013-09-22 16:07:25 | 社会・経済

私には持って生まれた幸運の神様が憑いているらしい。 不思議と良い人にめぐり合える。 今回の旅もそんな旅の連続であった。

始めは、「出雲大社」の本殿前から発掘された「宇豆柱」の写真はこのブログでは紹介しない心算であったが、話の加減で乗せることにした。(この柱の保存方法については別に説明したいと思っている)

Photo この巨大な三本の柱は樹齢200年を超えるものだそうである。 古代建築の工法「掘っ立て柱」で立てられている。 その柱の周辺は。、人間の両拳大の石が詰められていた。 この柱の前で私は、六年前のTV放送を思い出していた。 この出雲から南西に位置する「三瓶山」の山ろくから樹齢300年の古代杉林のままが発掘された。この杉林は「三瓶山」の噴火による火山灰の中に封じ込まれたのだ。

この出雲の周辺には、こんな杉の大木が幾らでも有ったであることを想像しながら独り言をつぶやいていると、一人の女性学芸員からお声を掛けて頂いた。 彼女曰く、「どちらからお越しですか?」。

話は自然とこの杉の柱に始まり、彼女の友人の話になってしまった。

この柱は、三瓶山の様な自然環境が厳しい所ではなく、対馬海流に近い出雲では温暖な所で育った杉で樹齢二百年前後だそうである。

「佐田神社」周辺から切り出した物でなかろうかと推測されているそうで、来年夏には実際に杉の木を切り出し、川を使って出雲の「稲佐の浜」から引き上げ「出雲大社」まで運んでみると言う事だそうである。

話は弾み、彼女の友人の話になってびっくり。

その女性は、私のすむ所から北に十八キロの所に、昨年嫁いできたそうである。今年三月、里帰りして出産。 

その後ご主人の所に帰った所、「来年は蛙祭りを手伝うように」と言われてびっくりしていると言う。 

「蛙の祭り」など聞いたことが無いので悩んでいたそうである。 私は思わず笑ってしまった。 と言うのも、その町は旧「加計町」と呼ばれる町で、其処の町に「加計家」が存在する。 

その「加計家」の別宅が「吉水園」と呼ばれて、広島県下一の名園と呼ばれ、その庭園に住む「モリアオガエル」が、天然記念物に指定されている。

この家は只者ではない。 嘗て「カンナ流し」と「タタラ製鉄」で、巨万の富を築いた家なのである。 かの「夏目漱石」はこの屋の三代前と東京で親交があり、家業の継承の為広島に帰る時、「漱石」の肉声を「蝋管録音機」で録音していたほどである。当時「蝋管録音機」を持っていた事が如何にこの家の富を示しているか想像していただきたい。 その「蝋管」から「夏目漱石」の声を、NHKが総力を挙げて再生させたことはTVでも放映された。 

この名園が一年に一度、一週間一般に開放される。 その日が「モリアオガエル」の産卵時期と重なるので、町をあげてお祭りするのが「蛙祭り」なのである。

その説明をすると彼女は、「来週友人が里帰りするので私から教えてあげる」と張り切っていた。 その時、来年の杉の柱の川流しに、是非とも参加してくださいとお誘いいただいた。 「んー・・・・行かずば成るまい」。

とうとう閉館まで、彼女の案内で古代出雲文化を満喫した。 

「出雲大社」の参拝は、夕闇迫る薄暗き中でせざるを得なくなってしまった。Pic_0546

いささか疲れ果て、「運転手」でがんばってくれた奥様の写真も、ピンボケになってしなった。

夕闇迫る「出雲大社」は何時もより「ご利益」がありそうであった。

参道は人影も少なくかえって私の心をやさしく包んでくれた。

Pic_0551 この「出雲の神様」には、大変感謝している。 良い縁を何時も私に授けて頂いている。

「二礼、四拍手、一礼」

心の中で、「奥様との縁」をいただけた事を感謝しておいた。 と、いうことにしておく。

今日も又良い出会いがあった。

明日の旅が楽しみである。

コメント
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