藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

深山 霞の「霞的心」   ことしの8月15日

2013-09-06 00:38:23 | 社会・経済

815_001 墓石の裏面に故人の来歴が記載されている。 妻「茜」のおじに当たる人なので、あえてここに掲示し、帝国社会が「日本国民」にどの様な苦しみを与えたのか皆さんに感じていただきたい。

文面

故数人事(字際は和漢字使用)玉五郎長男也

昭和十五年一月應詔北支那派遣甲第一八五〇部隊入隊

再應召ニテ広島憲兵隊入隊

昭和廿年八月六日戦士ス

時三十二歳

第五師団憲兵隊本部で原爆による死であった。

三次の山奥に住む、妻と二歳の子供は四日の日に、芸備線で広島へ面会に出かけ、四日は親戚で過ごし、五日の日面会したが、帰郷のための列車が無く、一夜を千田町の親戚のうちで過ごし、八月六日早朝広島駅のプラットホームのベンチで被爆した。二歳の子供共々顔面など衣服から出ている部分を熱傷したが、芸備線で三次まで送られ、その後、家族の手で看病され、一命を取りとめたが、娘は戦後、幾度と無くケロイドの手術を受け、後に婿養子を向かえ現在も健やかに過ごしている。母親は三年前九十二歳でこの世を去った。

広島から車で一時間四十分の田舎までも、原爆の犠牲者は存在している。

一度命の続く限り戦い兵長になり、生き残って北支から生還した人間を、本土決戦用に再招集した、軍国主義者の心根が見えてくる。

第五師団の上層部は、本部から北二十キロにある可部高等女学校に避難し、一人の犠牲者もいない。 その避難先の本部から、第五師団の司令部に一人の高等科の女性とを伝令として送った。 彼女は山陽本線横川駅から、師団本部に向かう途上で被爆死し、今日まで遺骨さえ発見されていない。 電話の盗聴や、無線の盗聴を恐れた軍幹部が、伝令として女学校の生徒や、高等科の生徒を日常的に使用していたそうである。

当時私の父は、ゼロ戦のエンジンを一日に八台組み上げて「倉敷航空機製造所」の記録であったそうである。

父の話では、当時幾らエンジンを作っても、機体を作る、材料が不足し出来上がったエンジンが倉庫に山積み状態であったそうである。

いずれにしても、過去にも現在のようないい加減さにより泣かされたのは国民だったことは確かである。

ちなみに「第五師団幹部」が避難して来たのは、今私が住んでいる旧高宮郡可部町であった。 師団本部幹部が、 避難する一週間前に、「広島から退去すべし」との「ビラ」が広島の町に蒔かれたそうであるが、軍が全て回収したそうである。

こうして常に一般人が犠牲となり、一パーセントの資本家の肥やしにされて来たのが、現実なのだ。

話は変わるが、福島の汚染水タンクだが全て私が指摘した、前溶接型に取り替えるそうだ。 

いまのタンクを鋼板で溶接し補強すればすむことだ。 現在の組み立てボルトも全て溶接処理すれば済む事である。どうも幼稚園内閣アベチャン総理のやることは検討が足りない。 アピール先行で「バーゲンセール内閣」とでも銘々したいくらいである。

後は、タンクとタンクを結ぶパイプの歪を取るU字型パイプを装着すれば事が足りる。

基礎コンクリとの補強も簡単に出来る。 今のお役人の頭では出来ない。 現在の基礎コンクリートの下に高圧ポンプでセメントミルクを同時にタンクの交差点から注入してやれば出来るはずである。

余りにもお役所の技術基準でやると、大きな失敗に繋がる。 官僚が持っている技術資料は廿年遅れている。

アイデアと工法を民間から吸い上げる窓口を作るべきである。

因みに前記述の工法は、ダム工事で行われる。 ダムが出来上がっても周辺部の山の中の地層から、水が漏れる。 ダムに水が貯まらない現象が生じる。 この事は予定の範囲なのだが、予定の範囲が大幅に広い範囲になったときに、ダム工事の工事費が爆発的に膨らむのである。

当初予算の十倍かかった例があるくらいである。 一滴の水も無駄には出来ないと同時に、水ほど恐ろしく御しにくい物は無い。 福島原発が良い例である。

コメント
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