一夜明けると、空が一変した。 「ツバメ」の姿も、声もない。 南に旅立って行った様だ。
いよいよ秋本番である。 定期健診に出かけようとして庭先の「津和蕗」に目が留まった。
華芯が伸び始めている。「石州津和野」に多く自生するので、「津和蕗」と呼ばれるように成ったそうであるが、別段「津和野」に多いとは思わない。
「津和野」と言えば、「森 鴎外」の名が直ぐに浮かぶが、文豪の鴎外は陸軍軍医であった。
脚気の原因が、何であるかについての彼の説は、後に否定され医者としての名声は残せなかった。
海軍は早くから、その原因はビタミンの欠乏から来ると考えてその対策を採っていたようだ。北前舟の船頭たちからの情報が正しかった。 北前舟の船頭が時化で遭難し、最初に罹るのが「脚気」である事を知っていた。だから彼らは出来るだけ玄米を食べたそうである。先人の知恵は恐ろしい。
海軍軍医「高木 兼弘」は、先人の知恵を生かし、海軍食の改良に尽くし、海軍から「脚気」を一掃した。 そういえば「カレーライス」を日本中に広めたのも海軍である。「カレーライス」が出る日が決まっていたそうで、船での生活は曜日が解らなくなるので、その予防の為に決めた曜日のみに「カレーライス」を食したそうだ。 海軍の一大基地「呉」と「舞鶴」とで、「カレーライス」元祖争いを今でもしているが、案外に「横須賀」辺りのほうが元祖ではないかと、私自身は思っている。 思っているが、「呉」は広島県であるから、大きな声では言うことが出来ない。 こうして、ブログでこっそりと「つぶやく」程度にしておかないと、「呉」の人たちにそっぽを向かれてしまう。
「脚気」で思い出した事がある。 永平寺に入門すると必ず「脚気」に罹ると言う。 精進料理だけの生活になると、一度は「脚気」になるそうだ。 其の内、体が必要な栄養素を吸収するように、変わってくると言う。 人間の生きる力は凄いと思うが、精進料理の凄さだそうだ。 ダイエットには精進料理が一番理に適っているという。私も少し精進料理の研究を始めることにする。 ただし、明日からだ。
「脚気」で思い出した事がいま一つある。 江戸中期、経済的余裕の出来た「江戸」で流行った病気が、「脚気」であった。貧乏人はかからない。原因は白米を食べ始めたせいであったそうである。 貧乏人は、「糠漬け」を食べた。此れが「脚気」を予防したそうだ。 金持ちの「お坊ちゃま」が此れに係り、短命だったそうである。 何処で貧乏が役立つか知れない。
私も「脚気」には成った事が無い。如何せん「麦飯」で育ったからである。