遠州弁は信州や甲州の方言の影響を受けているが、当然ながら三州・尾州の方言の影響も大きい。私の小学校時代には「みこ」という言葉をよく耳にした。目上の人の庇護が篤いという意味である。ひと言で云えば依怙贔屓である。「誰それは先生の『みこ』が好い(悪い)」という形で使われていた。「みこ取りが上手い(下手)」とも使う。歓心を買うに長けているということである。「みこ」は調べてみると、尾張方言であったらしい。ネ . . . 本文を読む
短歌・俳句という短い詩型は、海外の人には珍しく受け取られるらしい。何故そのような詩型が生まれたかは、いろいろ説明されているが、主語がない言語とまでいわれる日本語に、その鍵があるようだ。主観と客観を明確に意識しない言語であることが素因ということか?主語を曖昧化できる言語であるからこそ、短歌・俳句という詩は生まれた?・・・もう一つの要因は、埒の内に囲われていないと、発想を気ままに楽しめない民族的気質。 . . . 本文を読む
私は自分の人生を顧みると、熱心に快適性を追い求めて生きてきたと思う。別の言い方をすると、不快なことを可能な限り避けて来たということになる。こう書くと、独善的で利己的な人間と想像されてしまいそうだが、快適性を追求し不快なことを避けるのは、全ての生物に共通する自然の原理であると思っている。人間は誰もが快適性を求めて生きている。それが積極的かどうかは、それぞれの人の個性によって違いがある。快適性と言って . . . 本文を読む
内輪のことで恐縮だが、老生と老妻とは、同じ町内で生まれ育ち、幼稚園も小中学校も同じの2歳違い。幼馴染みかというとそんな懐旧の縁は無く、学齢期には一緒に遊んだり口をきいたりしたこともなかった。その上二人の性格は正反対である。私はO型で万事大雑把な八方破れ。型を嫌い融通無碍を奉じている。変わったこと珍しいこと、変化を好むことが甚だしい。臨機応変がモットーである。一方家内はA型で、几帳面かつ律儀。日常は . . . 本文を読む
「万葉の森公園」を2ヶ月ぶりに訪れた。先ず「伎倍(きべ)の茶屋」で冷たい甘酒を飲み、身体を冷やしてから、ツクツクボーシが翔び交う園内に入った。まだ陽射しは強いが、ムクノキの大木の陰に入ると、冷房中の屋内に居るような心地がする。江戸時代、この木が街道の一里塚に植えられ、夏の炎熱に炙られた旅人たちを至福の日陰で憩わせていたことを実体験できた。ヒオウギ・オミナエシ・フジバカマ・ハギなど、秋の草花を確かめ . . . 本文を読む