道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

4時間ウォーキング

2018年09月25日 | 健康管理

車を已めてから、1日の生活時間のうちの歩行時間が飛躍的に増えた。人は歩けば否応なく外界からの刺激を受け、それに触発され感興も湧き起こる。車の運転が人からとりあげていたものの大きさに愕いた。

私たちは、速さ便利さで効率を上げた分、感動したり考える時間を失っていたのだった。江戸時代の人と現代人との思考量の違いに思いを馳せた。

車の運転廃止は不本意だったが、その結果、当ブログのエントリー歩行クロック」で触れたとおり、思考も、よりよく働くようになった。老人にとっての歩行は、運動機能の面ばかりでなく、精神機能の面で、無視できない効果があるようだ。

つい150年前までの日本人の大多数は、生活時間の大半を歩いていた。江戸時代の人々の心身は、現代人より均衡が取れていたに違いない。

当時の江戸は大雑把に10里(約40km)四方で、端から端までが1日の行程だった。参勤交代の大名行列が、平地を1日に進む距離が10里ほどと記録にあるから、当時の普通の日本人の1日の歩行限界は、40〜50km程度と見てよいだろう。現代の日本人は、備わった歩行能力の10分の1程度しか使っていないと考えられる。

そこで試みに、週に1日だけ、4時間のウォーキングを始めてみた。3年前から続けている月に1度の近江歴史探索行では、平均すると毎回ほぼこの時間を歩く。歩き詰めでなく、適宜観察したり休憩しての歩行である。

睡眠を8時間とすると、リタイア世代はその気になれば、生活時間のうち週1回最大4時間をウォーキングに充てることができるだろう。4時間は長過ぎると思うかもしれないが、週に1回だけであとの6日は歩かないのだから、健康のために毎日1時間歩く人より運動量は少ない。

毎日の短時間(1時間以内)ウォーキングを日課にしないと気が済まないのは、勤勉で実直な人に多い習性で、インターバルの効用を正しく理解していないと思われる。休養の時間は物事が実るときである。身体には、かけた負荷と休養のバランスが大切で、休養の間隔と時間は、合理的に決められなければならない。

歩行に伴う両脚の脛と太腿の筋肉の収縮には、身体の血液循環の補助ポンプ的な機能がある。それは血液の強制循環である。脚の筋肉が産生した熱は、血液循環によって身体全体を巡り、体を芯から温め体温を上げる。結果として、免疫力を上げる効果があるだろう。

できるだけ長くその状態を保つことが望ましい。歩き出したら2時間は停まらないで歩き通したい。

その理由は、ウオームアップすなわち筋肉が温まるまでに、ほぼ1時間を要することにある。汗が出てくる頃合いだ。筋肉が産生した熱が全身に伝わるまでにどうしても予熱の時間が必要である。

老人が歩行による疲労をその後に持ち越さないためには、週14時間の歩行が限度だろう。2時間歩いて1時間の食事休憩を挟みまた2間の歩行が望ましい。このうち歩き始め後の1時間と食事後の1時間は、ウオームアップに費やされるから、正味2時間が血行促進体温上昇を享受する歩行である。

一般に推奨されている毎日1時間6000の歩行では、温まった血液が臓器・組織を灌流し始める頃合いに、脚の筋肉によるポンプ機能が停止してしまう。これでは、毎日続けていても、免疫力アップの効果の点では疑問が残る。

オイルヒーターを想像すればわかりやすい。オイルヒーターのオイルが温まるまでは、オイルは循環していても部屋は暖まらない。いったん暖まったら、スイッチを切らないことだ。身体も同じように、温まった血液の循環をなるべく長く保つことが望ましい。毎日1時間のウォーキングは、オイルヒーターが暖気を発する前にスイッチを切ることに似る。部屋(身体)を暖める(温める)に至らない。

動脈硬化が指摘される世代は、血管の断面が若い頃より狭くなっているといわれる。脚の筋肉の連続的な収縮によって血液を強制循環させないと、血流は全身の臓器や組織の隅々にまでゆきわたり難い。

話は逸れるが、幕末に、歩行と認識の両面で卓越した能力を発揮した幕府の官吏が居た。日露和親条約の締結交渉を担当した川路聖謨(かわじとしあきら)がその人で、とにかくよく歩いた。乗馬身分の旗本であり、旅には駕籠も用意されたが、それを降りて徒歩で移動することが多かったという。駕籠を担ぐ人たちには、さぞかし好感されたことだろう。

彼らだけでなく、交渉相手のロシアの提督、プチャーチンをはじめとするロシア海軍の士官たちも、彼の人柄に惹かれその優れた外交能力に全幅の信頼を寄せたという。

だがそんな彼でも、並み外れた歩行習慣で健康を全うできたかというと、事はそう単純ではない。皮肉なことに循環器の病(脳卒中?)を発して歩行に支障を生じ、職を辞している。彼には毎日素振りを1000回する習慣もあったのだが・・・

彼が歩いたのは、健康維持のためよりも、歩くことそのものが好きだったのだろう。歩くことは視ることである。徒歩で世相や景色を直に思うさま視察できる自由を、大切にしていたのではないかと理解している。

歩くことは自由を享受することである。歩くことでしかモノは見えない歩行のテンポで見たり考えたりすることは、頭脳を最大限に働かせることである。

週1回だけでも、身体の隅々に血液を強制循環させてみると、老人に通弊のあちこちの痛みやだるさが減り、熟睡できるようになる。1ヶ月もすれば、脚が軽くなっていることに気づくだろう。

昼食を挟んで4時間歩いても、実質的に血流促進効果があるのは2時間でしかない。昼食時のクールダウンからは再び1時間のウォームアップが必要になる。筋肉による血液の強制循環は健康への効果が大きいが、起動に時間がかかるのが難点である。

健康の為に歩こうと思うと長続きできない。4時間ウォーキングには、好奇心・探究心が何よりも大きな原動力となる。物見遊山というが、自分の脚で物見(視察)をするのは、行楽気分では続かない。


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