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道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

神道と政治

2022年10月08日 | 人文考察
秋祭りが各地で盛んである。
保守党選挙事務所の雰囲気や光景は、神社の祭礼の際の会所と相似すること驚くばかりだ。選挙事務所が、会所に倣うところ大だったのだろう。

日本人にとって、選挙はある意味祭りの延長なのだ。私たちは其処に日本人の祭と政の錯綜を見出す。それをいち早く見抜いた日本の保守党は、私たちの深層に眠る氏神・氏子の連帯感を集票組織の構築に利用してきた。氏神・氏子と郷党主義は、現代日本の政治に強く関わっている。

日本の選挙組織では、祭り実行団体も無縁とは言えない。候補者も投票者たちと同じ神社の氏子である。皆が生まれながらの支持者となる。
理念も政策も利害も関係ない。日本の保守政治と神道との親和性は、仏教と較べると際立って神社の方が高い。仏と神とでは、後者が遥かに政治的潜在能力を持っている。それは神代の昔から連綿と引き継がれているいる力である。

大都会から数十戸の僻村にまで、神社の社殿がある。それらの神社に、社の数だけ祭りがある。氏子は神社の所在する地域の民である。氏子は生業・家業など職業とも厚く重なり合い、時空を超えて神社と繋がっている。神社は集票組織として最大の政治勢力を有し、神道政治連盟はその元締めである。

要するに、日本の保守政治は、既に2000年も前に、その基盤が調えられていたものである。その伝統の重みは、新来の民主主義など吹き飛ばす力を秘めている。本来なら、旧統一教会のようなカルト団体など、国内に浸透させる筈も無かったのである。カルトを駆逐するには、法律に依るのではなく、神代以来の氏神・氏子の再確認ではないかと思う。
私たちは、崇めるものを定められ生まれて来たのである。狒々のような怪しいモノを、再びお宮に入り込ませてはいけない。

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