年をとると温泉が何よりの楽しみになるのは、体の発熱量が不足し、疲労が抜け難く、脚腰に痛むところが増えてくるからだろう。
ご多分に漏れず、老生も温泉が好きになる一方で、湯治という語が現実味を帯びるようになってきた。だが、何事につけてもこだわる癖があるから、温泉にもあれこれ希望要件を課してしまう。
温泉として評価できるのは、次の3要件を満たすものに限ると考えている。したがって、なかなか好い処は見つからない。
1.源泉掛け流し。循環装置を経ない湯であること
2.源泉の温度は45度C以上。すなわち加水は可だが加温は不可
3.温泉成分の調整はしていない
上記要件に照らして、居住地から近い温泉地を探し出すと、箱根や伊豆に僅かながら存在する。僅かになってしまったのには理由がある。
地中から湧出する温泉は天然資源だが無限ではない。大規模経営で、いちどきに入湯する客の数が多いと、引湯している源泉の湯量が追いつかない。温泉ホテルや旅館が規模の利益を追うと、必然的に循環方式と加水加温を採用せざるを得なくなる。
日本に旅行ブームが訪れて以降に開業した大規模温泉ホテル・旅館というものは、旅客の収容能力が大きすぎる。本質的に老生の希望要件を満たせない。よほど湧出量の多い源泉を確保していれば別だろうが、それは稀だろう。
歴史の古い温泉地には、ささやかな希望要件を満たす古い宿が比較的多い。箱根にも伊豆にも小規模経営の故に、入湯客の要望に合致する名湯が散在する。
幾たびか箱根を訪れてはいても、高所恐怖症のせいで、高度感のある早雲山から大涌谷間のロープウェイに乗るのは成る可く避けて来た。昔から山など高い所は好きだったが、高度差を実感する断崖とか絶壁、飛行機、観覧車とかは大の苦手だ。
年を経ると人は感受性も鈍る。さしもの過敏な高所恐怖も鈍磨したらしく、上空から大涌谷の噴煙を見たい好奇心が恐怖心に打ち克ち、箱根ロープウェイに初めて乗る気になった。年を経ても好奇心だけは衰えないものらしく、我ながら自分を持て余す・・・。
乗り始めは恐怖で下を見ることができなかった。そのうちに、馴れが恐怖心を失わせたものか、大涌谷駅からさらに桃源台駅まで行程を延ばし、空中観覧を愉しんだ。やはり感受性は相当鈍磨しているようだ。
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