私はどちらかというと、正論を説く批評家より、過誤や失敗の多い実務家の方を信頼する。
実務というものは個人で完結できないから、どんなに有能な実務家でも間違いを排除できない。実務家は過ちを恐れない勇気をもっている人であることは慥かだろう。
それに対して批評家は知識の人、あくまでも個人で完結できる仕事だから、本人さえしっかりしてさえいれば、間違いは発生しない。
しかし批評家は、実行力をもたないので、批評がどんなに卓抜なものであっても、実務での成果を保証しない。
批評家というものは「創れない・実行力がない・実務を知らない」のナイナイ尽くしである。あるのはインテリジェンスのみ。実務に触れない批評家は、旧い言葉で謂うならある種「高等遊民」と言える。
誤解を招かないように理っておくが、私にとって「高等遊民」は尊称である。こういう種族は極めて稀で、俗物でないことだけは慥かだろう。
批評はインテリの手すさびであるから、ほとんど世の為人の為にならない。優秀な批評・評論と雖も、実行力のない批評家の自己満足に過ぎない。批評家は、社会には何ら実益実害をもたらさないから存在は許される。世人を煽動したり妄動に導く批評家・評論家は煽動家の範疇に入る。煽動家は反社会的存在である。
批評家よりも勇気で劣る人たちを評論家と謂う。批評は反論を招くので、闘う勇気が必要である。勇気をもたない人は評論家になるしかない。
現代のテレビや出版は、当たり障りのない無定見な評論家を濫造する。評論家とは、批評家より勇気を欠く人たちである。
身を削る仕事をしていない自称評論家や似非評論家の冗漫なコメントを聴くのが嫌で、私は屢々TVのワイドショーのスイッチを切る。特に常連で出演する老政治評論家の意見など、全く聴く耳をもたない。
政権政党べったりの評論家も、どっちつかずの正論風な評論家も、政治を良い方向に向かわせる人たちではないと思っている。
彼らのコメントを百万遍聴いても、政治意識を拓くことには繋がらない。テレビというものは、視聴者の意識改革には無力である。
テレビの報道バラェティ番組を仕事の場にしている政治評論家たちは、わが国の特殊な政治風土に咲く徒花と理解している。
今後も宜しくお願い申し上げます。