秋は名月で始まり、祭りで本番を迎え、紅葉で終わる。
「仲秋の名月」などと気取った小難しい名称より、子供の頃から慣れ親しんだ「お月見」の方が耳触りが好い。もっと耳触りの好いのは「十五夜お月さん」だ。
昨年は、友人のお宅で、玄関に活けてあった斑入りのススキを見て、お月見が懐かしいと言ったら、数日後に月見の宴への招待に与った。
夫人の手料理とお酒をご馳走になり、庭にしつらえたススキ、サトイモ、ミカンその他沢山を盛った供檀から、名月を心ゆくまで賞嘆させてもらった。
聞けば、この行事を絶やさず続けているとのこと。今時奇特なことと感服した。我が家では絶えて久しい。
お月見は、先史時代に始まる中国由来の行事だろうと言われている。確かに供え物から判断すると、この国に稲が到来した前後に行われるようになった行事かと思われる。
山、樹木、島に神の拠り処を想像するより以前の、太陽や月に神威を感じていた時代からのものだろうか?
そう思うと、月見は徒や疎かにできない民俗行事のように思える。ユネスコの世界文化遺産などの比ではない。
都会では、お月見をやるのは諸般の事情から難しくなっている。だからなおさら、地方ではこの行事を絶やさず伝えてほしい。
今年はささやかながら家で月見をした。ノスタルジーといえばそれまでだが、しみじみと秋の月に、自然の恩恵と祖先たちの努力への感謝の念を捧げ、柄にもなく安心を得た。

※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます