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AERA、「コロナ禍」でも変わらぬメディアの立ち位置。あははは!!

2020-07-08 09:28:20 | 政治


「知る権利」も「報道の自由」も、何時ごろの話か、思い出せない。
先の参議院選挙で、ポピュリズム政党が二つ誕生した。その動向に
既成政党は民意を聞くのを忘れて、安倍政権打倒にメデイアと共に
精進している。政府に反対するなら何でも良いと選択肢の狭まりから
「要らない子」とは、定着していると見える。

フェイク・ニュースで、本業たる情報を日本国民に届けるという、
崇高な使命感は、倒閣に大化けして、今日に至る。
日本国民はメデイアの姿を指して、涜職と嘲る。
本紙AERAは、過去の戦争を鑑みて、「言論の自由」を思い浮かべると
嘯くが、古今東西、戦争中は検閲が実行される。

隣国中共は、謀略が旨の情報統制国家であり、自国の国民の人権を
無視する事、外国であるチベット、内蒙古、満州、ウイグルなどを席巻して、
畢竟、周囲の21カ国と領土紛争の真っ最中である。
国家を守護する軍隊よりも、公安警察が大きいとも比較されている。

日本国民の不満感は、日本にとって死活的に重要な米国と中国に関して、
異様な沈黙をする日本メデイアに対する不信感である。
書籍から学べば、「情報鎖国」とは、必読の書籍と言えよう。
世界が流動化して、戦争への端緒は、中近東から、はるかに東アジアに
緊張の発火点が見られる。南シナ海の「自由の航行作戦」は連合国軍の
艦隊演習であり、これに、中国は3箇所で軍事演習を実施したと嘯く、
米国空母機動艦隊二隻が西太平洋に覇権を争う事態である。

米国機動艦隊の現れる所は、緊張関係の中心地とも見える。

「言論の自由」があっても、日本国弱体化に寄与する権利など
毛頭ない。ましてや、日本メデイアは中国の検閲下にあれば、
「報道の自由」とは、独裁国家中国の属国になる自由など認められない。
日本が海外に雄飛するとき、世界はまた、流動化の極致にあったと言い得る。
今、日本は日米同盟の元で、自由主義国家群の一員として、国際関係を
考える時期に至っている。

さて、もりかけ、桜に重箱の隅を穿りおって、日本国民の間に反発が起きるのが
メデイアの狙いと見えるのは、如何ばかりか、自由な言論で日本国民を惑わす
不届きな存在がメデイアの立ち位置であり、「木村花」氏のSNSの件でも
メデイアの商売の道具にされて、苦衷の中に死に至ったが、肝心のテラハ運営者達は
のうのうと生を謳歌している。やらせは、あったと週刊誌で報道されているが、
日本の五大紙と週刊誌との記事の区別がつかない。週刊誌、スポーツ紙が
精進の末に追い付いたのではなく、記者達が堕落したのが正解である。

武漢肺炎が暴き出したのは、”いらない”存在である。

国会での議論が尽くされていないとの指摘は、自民党国会議員に比べて
優位に立つ野党国会議員が、旧民主党政権の立役者から寸分違わぬ点である。
国会の劣化は、頭が腐る辻元清美や、恫喝の福山など、カミツキガメと毛嫌いされる
二重国籍国会議員が重く負うものである。質問事項で追い詰められる森ゆうこなど、
国会軽視は、野党に理由が見られるし、メデイア報道の「国会での論戦」、
「厳しく追求」など、実態とかけ離れた報道内容に見られる。
これらの門切り型の報道は、記者自身の耳目を曇らせる。
報道記事の受益者である日本国民は、はて、実際は違うと、戸惑う。



「コロナ禍」で問われるメディアの立ち位置…日本人が過去の戦争から学ぶべき「言論の自由」の本当の意味〈dot.〉
6/16(火) 9:00配信 127

https://news.yahoo.co.jp/articles/2202d8e1f044669d85a48d17b2b1e252da2779a3
日中戦争、徐州戦線での火野葦平(左)。この年芥川賞を受賞し、陸軍報道部員となる。右は報道部の馬淵逸雄中佐 (c)朝日新聞社
 新型コロナウイルス感染症を巡る政府の対応への不満や検察庁法改正案に対する抗議など、SNS上では、有名・無名を問わず多くの人のさまざまな意見が渦巻いている。 【検閲を受け、伏せ字で埋まっていた石川達三の「生きてゐる兵隊」はこちら】
 そんな中、改めて問われているのはメディアの立ち位置だ。  新型コロナウイルスとの闘いは、「戦争」に例えられることもあるが、75年前の太平洋戦争の只中、日本の作家は何を考え、表現しようとしたのだろうか。  戦時中は陸軍報道部に在籍し、国民的作家として知られ、戦後は激しいバッシングの中、それでも小説を書き続けた作家・火野葦平。  戦争に翻弄された火野の人生を追い続けた『戦場で書く 火野葦平のふたつの戦場』の著者、NHKエデュケーショナルプロデューサーの渡辺考氏が、コロナ禍における言論の立ち位置について寄稿する。 *  *  * ■さまざまの制約  戦争の時代、言論を担う新聞記者、作家たちは、軍や政府による検閲で厳しい表現規制を受けていた。かくして新聞・雑誌・出版物からは、自由な言論が奪われていった。日中戦争の戦場で執筆した「兵隊三部作」が大ベストセラーになり、国民的作家ともてはやされた火野葦平は、戦後になってこう綴っている。   <第一、日本軍が負けているところを書いてはならない。皇軍は忠勇義烈、勇敢無比であつて、けつして負けたり退却したりはしないのである。次に、戦争の暗黒面を書いてはならない。(中略)第三に、戦つている敵は憎々しくいやらしく書かねばならなかつた。>(『火野葦平選集』第二巻「解説」)  火野はこの他にも作戦の全貌や部隊の編成を書けなかったなどと書き並べ、「さまざまの制約」のもと「戦地で文学作品を書くことは不可能に近い状態であつた」と言い切る。  権力が報道や著作物を自分たちに都合がいいように作らせるように誘導し、プロパガンダとして利用する。それが権力の暴走を正当化してしまい、あの災禍の拡大を招いたのは間違いないところだろう。 ■反復される光景  コロナ禍の中で、これまで意識されずにいたものが、浮き彫りになっている。その最も大きなものが、言論の立ち位置であろう。軽々しい言葉が跋扈し、相互監視が進み「自粛警察」なる現象も巻き起こし、疑心暗鬼が生じて、根拠なき差別が広がっている。本著でも指南を仰いだ、メディアと権力の歴史的関連性を研究する早稲田大学の五味渕典嗣教授は、この状況をあえて「戦時体制」と呼称している。
「小説家・高見順の『敗戦日記』を読んでいると、『政府は本当のことを言わない』という記述が何度も出てきます。この高見の言葉は現在にもあてはまるのではないでしょうか。とにかく政府が、社会の人々を信用しない。自分たちの組織と体面を守ろうと、情報をコントロールするから、いま何が起きているのか、『本当のこと』がよくわからない。一方で、人々も従順なようでいて、心の底では政府を信用していないので、自分たちだけが損をしているのではないか、見捨てられてしまうのではないかという不安につき動かされて、頼まれてもいない相互監視を始めてしまう――。まるで、『先の大戦』の風景が反復されていると思わざるを得ません」  五味渕さんは、政府が敗戦直後にきちんと歴史に向き合わなかったことも大きく影響していると考えている。 「そもそも正しい情報やデータ、記録がなければ、政府の判断を検証することはできません。検証ができなければ、きちんと責任を問うこともできない。1945年の敗戦時に日本政府がたくさんの資料を焼却した結果、記録にもとづく戦争責任を問うこと自体が難しくなってしまったことはよく知られています。この国では、その経験が『習い性』になってしまったのではないか。結局のところ、敗戦のときにきちんと歴史の総括を行わなかったことが、まわりまわって現在の状況を作ってしまった、そんな気さえします」 ■あらためて守るべきものは  一方で、人々の言葉は、疑問に感じたものにも向けられているのも事実だ。未曾有の危機に直面して、あぶり出された歪みに対して、SNSを通じて、多くの意見が発せられている。そして、人々の小さな言葉が時として大きなうねりを引き起こしている。  著名人・芸能人たちが声をあげるケースも増えた。俳優の古舘寛治さんも、日々、心の中のつぶやきをSNSにあげている。古舘さんは、ETV特集「戦場で書く」で火野葦平本人の役として、火野の著作を朗読してくれた人だ。

「社会が立ち止まってる今、みんなで考え、みんなで語れば良い方向に変わるかもしれない。黙っていれば変わらない事だけは確かです」  戦後私たちが、戦争の反省とともに獲得したのが、自由な言論活動である。権力の暴走をしっかりと見つめていくというチェック機能は、言論の最大の役割だろう。まさに私たちメディアはその役割を担う最前線にいる。私は本著の取材時に作家・浅田次郎さんが語った言葉を思いかえしている。 「正当な言論が弾圧されるところから、ある一部の権力が暴走して戦争が始まる。それ以外に、戦争というものは始まりようがないというね。だから、どんなときでも報道の自由、言論表現の自由っていうのは保障されていなければならない」  浅田さんに話を聞いたのは、2013年のことだ。この頃、特定秘密保護法案が、国会での議論が十分に尽くされていないという声もある中、採決されていた。浅田さんの言葉はそのことにも重ねられていたものだった。  戦時中のように、再び多くの声が封殺されることがあるのか。そのことを想像して言葉に磨きをかけて大切に扱っていかなければならないと思う。  戦争が終わって75回目の夏が巡ってくる。コロナ禍の時代、玉石混淆の情報が飛び交い、何が真実かが見きわめにくくなっている今日、言葉の真の役割はこれまで以上に重い。今、私たち言論の場にいる者たちがあらためて命がけで守らないといけないのは、「表現の自由」とそこから構築される「正当な言論」であることは間違いない。火野葦平という人の人生がそのことを強く教えてくれている。
最終更新:6/16(火) 9:00
AERA dot.


言論の自由 は大切です

政府や特定の団体を 安全に批判できます

今のメディアはどうでしょう

社会派を気取っていながら、売り上げの為に捏造や偏向報道が横行しています

行き過ぎたと批判されれば謝罪しますが、すぐに同じ様なことを繰り返す

マスメディアとネットの広告費は逆転しました
マスメディアの広告費は下がり続けるでしょう

どうして そうなったのか、誰がそうしたのか
自浄能力が無ければ 衰退するしかないよね

言論の自由の本当の意味は、権力におもねることなく事実のみを書き続けることです。某新聞社のように会社が書きたいように事実を歪曲した記事を書いてよいという意味ではありません。

hib*****
| 6/16(火) 10:26
今のマスメディアは言論の自由に胡座をかいて好き勝手やっている。

よく今の政府は戦前戦時の日本政府によく似ているというが、自分達に都合よく情報を編集、歪曲などの操作をし、思い通りに国民を扇動しようとするこの国のマスメディアこそ戦前戦時の日本政府と同じではないか?

向いてる方向が違うだけでやってる事は同じ、戦争責任は国民を煽ったメディアにもあるはずなのに自分達はまるで関係ないかの様に振る舞いそこには反省も自戒の念もない。

大層な事を謳う前に、自浄作用の無くなった自らの業界を省みて民衆の信頼を取り戻すのが真のジャーナリズムじゃないのか?

kok*****
| 6/16(火) 9:56
日本のマスコミがどこの国のためにあるものか
自己紹介のようにわかりやすく報道してくださり
ありがとうございます。

信用すべきか 多くの人が 判断しやすくなったと思います。

報道しない自由も含めると
最近は特にわかりやすいですね。


dia*****
| 6/16(火) 9:25
日本国内の反日メディアの皆さんは、自分たちの捏造歪曲記事で日本国民が踊りまくるのを見てほくそ笑んでいるんでしょうね。
小池知事の学歴詐称問題一つとっても「大学が卒業を認め」「本人から卒業証書」がでてきても、特に謝罪の言葉はないですね。冤罪が確定したんですよ。
「なんでも言いっぱなしで、訂正も詫びも必要ない!これが言論の自由だ!!」
では、WEB掲示板の落書きと一緒じゃないですか。

文在猫

| 6/16(火) 21:54
AERAにもし「言論の自由」があるというなら、たとえば、尹美香氏の問題にもまともな議論があってしかるべきだと思います。日本にも慰安婦支援団体がありますよね。たとえば、「希望のたね」と「挺対協」(正義連)との関係性、その理事の一人である北原みのり氏は、AERAによく登場する方ですよね。こういうときにこそ、日本における慰安婦支援団体のあり方を検証すべきだと思いますが、そこに言及する「言論の自由」はAERAにあるのでしょうか?

zn7
| 6/16(火) 12:25
私権の制限に慎重な政府の動きに対して、恐怖で市民を煽り、戦時下だという雰囲気づくりに加担し、政府が強権を発動すべきという論をはったのはメディアだったのではないのか。自粛警察をあおったのは軽々しい言葉を消費財のごとくばらまいたメディアではなかったか。これらのメディアの動きは激変する世界の中で、来るべき事件の中で果たして戦争を止める方向に働けるのか、否、戦争開始を助長する側に回るのではないのか。

リベラルを標榜するメディアがリベラルでも何物でもなく、ただ反体制であることだけがその原理のこのような人々は、上から目線で日本人全体に説教をくれるよりも先に自分たちの存在意義、行動理念を自身で見つめなおして出直すことが肝要であろう。

bir*****
| 6/16(火) 19:13
知る権利とは「事実を知る権利」である。マスコミが誤った情報を発信し、それを信じてしまったが故に事実を知る事ができなければ「マスコミは知る権利を侵害した」と言える。

具体的な一例をあげよう。

マスコミを信じている人がいたとする。彼は政府が発表した法案に対して調べようと考えていたが、偶然にも、ニュースが取り上げていた。そのため、彼はニュースで知る事ができたので、調べる必要はないと判断した。

この時、ニュースが正しく報道できていたなら問題はない。しかし、間違っていたとしたらどうだろうか?

もちろん、自身で調べないのは良くないことだ。だが、現実として時間は有限であるし、知りたい事に対して少な過ぎる。故に、真実か確認しないで信用せざる得ない。

マスコミに限らないが、間違った情報を発信することは正しい情報を知る機会を奪うことに繋がる。この事をしっかりと意識していただきたい




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