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春闘賃上げ、最低賃金の引き上げを歓迎するメディアの「愚」 それは労働者の首を絞めるだけだ!

2015-11-26 04:26:36 | 政治
少子高齢化の原因の一つに、非正規労働がある。
最低賃金の引き上げが招く事態についてもっと考えるべきであろう。


春闘賃上げ、最低賃金の引き上げを歓迎するメディアの「愚」 それは労働者の首を絞めるだけだ!
山田順  | 作家、ジャーナリスト、出版プロデューサー 2015年11月26日 0時38分配信
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamadajun/20151126-00051829/


経済財政諮問会議をリードする安倍首相(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

■日本政府は「愚か者の考え」「幻想」に染まっている

11月21日、経団連が、政府要請に応じて2016年の春闘での賃上げを企業に呼び掛ける方針を固めたというニュースには、本当に失望した。賃上げは、安倍晋三首相が、5日の官民対話で経済界に要望していたのもで、経団連がこれをあっさりと受け入れてしまったからだ。
さらに、24日、安倍首相が経済財政諮問会議で、全国平均で現在798円の最低賃金を毎年3%程度増やし、「時給1000円」を達成すると表明したのには、もっと失望した。
報道によると、政府は、最低賃金の引き上げはパートやアルバイトの賃金増加や待遇改善につながり、足踏みが続く個人消費を底上げする。それにより、「GDP600兆円」の目標が達成できるとしている。
しかし、これは「愚か者の考え」「幻想」「ウソ」である。そんなことは、経済低迷を続けるこの日本では絶対に起こらないからだ。
しかもこのウソの性(たち)が悪いのは、政府が渋る企業に賃上げを要求することで、労働者の味方をしているように思わせていることだ。このペテンにメディアも簡単に引っかかって、政府のやり方を批判しない。
もはや、日本のメディアは経済の基本的な仕組みすら忘れてしまったかのようだ。

■最低賃金の引き上げは企業に対する増税と同じ

そもそも、資本主義においては、労働条件は政府が法律で決めるものではなく、労使の合意で決めるのが自然だ。モノの価格が需要と供給のバランスで決まるように、賃金も市場で決まるべきものである。
そうでなければ、好景気なら賃金が上がる、不景気なら賃金が下がるというメカニズムはなくなってしまう。好景気だろうと、不景気だろうと、政府が賃金を決めてしまえば、企業行動は大きく変わってしまい、最終的にそのツケは労働者に回ってくる。
経済学者の間で論争はあるものの、古典的な経済学では「最低賃金の引き上げは企業に対する課税と同じ」とされてきた。また、「最低賃金の引き上げは個々の労働者に恩恵をもたらすが、企業全体ではコストが増えるので結果的に労働者の解雇が進んで失業が増える」とされてきた。
労働者の賃金は固定費だから、それが上がれば、企業の業績は悪化する。その結果、企業は採用数を減らしたり、リストラをしたりする。一時的 に賃金が上がっても、その恩恵は全労働者に及ばない。とくにリストラにおいては、もっとも賃金が低い労働者から解雇されることになるので、政府の目論見と は逆の結果がもたらされる。

■地方の中小・零細企業のダメージは大きい

不思議なことに、日本では「最低賃金法」は労働者を守るためにあると信じられている。政治家もメディアもこれを疑わない。だから、景気が悪いのに、これを引き上げようとする。
日本では、最低賃金の水準は、毎年夏に、労使の代表が厚生労働省の中央最低賃金審議会で議論して、その「目安」を決めることになっている。それを基にして、地方の審議会が地域ごとの最低賃金を決める。したがって、歴代の政権はこれを尊重して、賃金には介入してこなかった。
ところが、安倍政権になってからは、政府が露骨に介入し、昨年は過去最大の18円増が決まった。春闘における賃上げも同じで、安倍政権は2年連続で大企業に「ベア」を要求してきた。
しかし、円安で業績を改善させた大企業はともかく、最低賃金の引き上げは、中小・零細企業の経営の圧迫につながる。とくに最低賃金が都市部 と比べて低い地方では、中小・零細企業は大きなダメージを受ける。その結果、中小・零細企業が人を雇うのを減らせば、その影響をモロにかぶるのは、ほかな らぬ労働者である。

■アメリカではすでに最低賃金の引き上げが始まった

安倍政権の最低賃金の引き上げ政策は、アメリカのパクリという見方がある。というのは、アメリカでは昨年から今年にかけて、多くの自治体で 最低賃金(時給)を15ドルに引き上げる条例が可決されてきたからだ。たとえば、サンフランシスコ市では、市民投票で、これまで12.25ドルだった最低 賃金を2018年7月までに段階的に15ドルに引き上げることが決まった。ロサンゼルス市も、議会が2020年までに引き上げる法案を可決した。
また、すでに、引き上げ案が可決され、引き上げが始まった自治体もある。シアトル市では、段階的な引き上げが決まった後から、先行して引き 上げを始めたレストラン、スーパーなどが出現した。また、郊外のシータックという町では、客室100以上のホテルや従業員数25人以上の会社、レストラン などの最低賃金が15ドルに引き上げられた。
アメリカにおける最低賃金の引き上げは、著名な経済学者のジョセフ・E・スティグリッツ氏、ポール・グルーグマン氏、ジェフェリー・サック ス氏などが提唱してきた。彼らは、最近の研究・調査により、「最低賃金を物価上昇とリンクさせて引き上げることによる経済的な恩恵は、最低賃金の引き上げ による経済的コストを上回る」「最低賃金の引き上げは労働者の離職・転職率を減少させ、企業の労働生産性を向上させる」と主張した。
今年の7月、次期大統領候補のヒラリー・クリントン氏は、経済に関するスピーチで、「連邦政府は賃金引上げに向けてさらに強く働きかけることができるし、またそうすべきだ」と主張した。
しかし、アメリカがやったから日本もやる。アメリカができたから日本もできると考えるのは、安易すぎる。なぜなら、アメリカ経済は曲がりな りにも成長しているが、日本経済はアベノミクスによっても長期停滞から抜け出せないばかりか、GDP成長率はマイナスに転じているからだ。

■能力の劣る労働者を排除するためにできた

アメリカで最低賃金制度ができたのは、19世紀後半から20世紀初めにかけてである。連邦法で定められたのは1930年代になってからだ。当時の経済学では、「最低賃金を定めれば雇用が減る」とされていたのに、なぜ、このような制度が生まれたのだろうか?
それは、経済学者や政治家たちが 最低賃金によって、能力の劣る労働者(つまり安い賃金でしか雇われない人々)を排除すれば、経済効率が高まり、社会は発展するだろうと考えたからだった。
また、当時はまだ人種差別があった。黒人に対する差別と偏見が存在していた。つまり、最低賃金制度は、黒人労働者を排除するという“裏目的”もあった。実際、これにより、黒人労働者の労働環境は改善されるどころか劣悪化した。
アメリカ史上、もっとも愚かな大統領の1人とされるフーバー大統領は、大恐慌になったにもかかわらず、企業に圧力をかけて賃下げをストツプさせた。これを、労働組合は大歓迎して拍手喝采を送ったが、結局は自分たち自身が首を切られ、失業者は街に溢れた。

■本当にブラックなのは政府のほうではないのか?

最低賃金が引き上げられたシアトル郊外の町では、あるホテルが、夜間のフロント係や保守係など15人の従業員を解雇した。また、人件費のかかる併設のレストランを閉鎖してカフェに切り替えた。
また、あるピザショップは閉店を従業員に通告した。現地の報道によると、その店の女性店主はこう話していた。
「4月に従業員を1人解雇し、勤務時間を1時間縮めて、その分は自分で働いてきました。自分には給料を払わなくてすむからです。少しですが値上げもしました。ほかにやりようがなかったからです」
原油安で経済危機に陥ったベネズエラでは、マドゥロ大統領が11月1日に最低賃金を30%引き上げた。これは今 年4回目の引き上げで、ベネズエラの最低賃金は1年間でなんと97.3%も増加することになった。ベネズエラでは、すでに販売業者に値上げを禁じる物価統 制令も引かれている。これは、明らかな共産主義的な政策で、自由市場を殺してしまうものである。
ところが、一般国民は大統領の経済政策を大歓迎し、労働者たちは大統領支持を叫んで街を練り歩いた。
いまやIT技術の進展で、単純労働は機械に置き換えられるようになった。スーパーを見ても、自動レジ化が進み、レジ係の店員が姿を消している。機械には賃金を払う必要がない。この流れは、もはや止められないだろう。
政府の強制による賃上げがなにを招くか、私たちはもっと真剣に考える必要がある。最低賃金の引き上げは、好景気ならともかく、不況が続く日本では、いまやるような政策ではない。
政府は、ブラック企業の規制も始めているが、規制を多くすれば、民間経済は活力を失う。本当にブラックなのは政府のほうではないのか?


移民「毎年20万人」受け入れ構想の怪しさ

2015-11-26 04:11:17 | 政治
転載記事です。

移民に対する様々な議論や構想には、首を傾げるものが多い。
少子高齢化に対して、移民で労働力をあげて、国民の増加を図ると言う話も、
そもそも移民で増加するのは、他国民ではないのか。
純粋な自国民の自然増加を叶える方策とは言えないのではないのか。
この点でも安易な移民促進政策には疑問点が多い。



移民「毎年20万人」受け入れ構想の怪しさ
『月刊正論』 2014年6月号
河合雅司
http://ironna.jp/article/439

このままでは人口は激減するが…


 「人口激減の世紀」―。このまま何の対策も講じなければ、未来の歴史学者たちは日本の21世紀をこう呼ぶことだろう。
 日本人が減り始めたのは2005年である。この年について、厚生労働省の人口動態統計は、出生数から死亡数を引いた自然増減数が初めて2万1266人のマイナスに転じたと伝えている。

 ところが、日本はその後の10年、惰眠をむさぼった。少子化に歯止めがかからず、人口の減少幅だけ年々拡大した。国立社会保障・人口問題研究所によれば、現在約1億2730万人の総人口が、2060年に8674万人に減り、2110年には4286万人にまで落ち込む。

 われわれは、こうした未来図を何としても変えなければならない。政府がたどりついた結論は「移民の大量受け入れ」の検討であった。

 2月24日の政府の経済財政諮問会議の専門調査会「『選択する未来』委員会」。内閣府が用意したペーパーには、大量に受け入れた場合の将来人口見通しがしたためられていたのだ。政府が移民受け入れに伴う人口試算を正面切って行ったことは記憶にない。

  まず、内閣府の試算がどんな内容だったかを、ご紹介しよう。2015年から毎年20万人ずつ受け入れ、2030年以降には合計特殊出生率が「2・07」に 回復していることを前提としている。かなり高めの設定だが、この2条件を達成すれば、日本の総人口は2060年に1億989万人、2110年には1億 1404万人となり、ほぼ1億1千万人水準を維持できるというシナリオだ。
 働き手たる20~74歳についても「新生産年齢人口」と呼んで推計を試みている。こちらは2012年の8973万人が、それぞれ6699万人、7227万人になるという。
 「移民さえ受け入れれば、日本は労働力不足に悩むことがなくなる」との意識を国民に植え付けるのが狙いなのだろう。こうして具体的な数字で語られると、移民も「有力な選択肢」になり得ると思えてくる。

  しかし、移民は本当に日本を救うのだろうか。耳に入ってくるのは「人口が何人減るから、外国人を何人入れて穴埋めしよう」という帳尻合わせの議論ばかり だ。政府からは、大量受け入れに伴う社会の混乱や、日本人が負担しなければならなくなるコストといった負の側面についての説明は聞こえてこない。

 うまい話には落とし穴があるものだ。少し冷静に考えれば、「毎年20万人」というのは、かなり怪しく、危険ですらあることが分かる。
 移民政策の怪しさを見ていく前に、整理しておきたい点がある。「移民」と「外国人労働者」の違いだ。両者を混同し、問題の本質から大きくずれた議論が実に多い。

  最初にお断りしておくが、「移民」という行政用語は存在しない。政府としての定義は明確でないが、政府関係者は永住を前提として受け入れる人を「移民」と してとらえてきた。多くはいずれ日本国籍を取得しようとする人々である。誇張した表現をすれば、青い目、黒い肌の日本人になる人たちだ。
 これに対し、「外国人労働者」とは出稼ぎ目的だ。企業の一時的な戦力として働き、仕事がなくなれば母国に帰る。好条件を求めて他国に職場を移すこともある。
  これまでの外国人受け入れ論は、企業の賃金抑制策の視点から後者を指すことが多かった。企業が想定するのは、低賃金で働いてくれる20、30代の若者だ。 「高齢になる前に母国に帰ってもらえばいい」といった都合のよい考え方である。だが、このような発想で若い外国人労働者を次々と入れ替えたのでは、人口減 少を食い止めるという量的問題は解決しない。つまり、企業が経営効率の視点で「外国人労働者」を活用するレベルの話と、労働力人口減少の・穴埋め要員・と しての移民を大量受け入れする話では次元が異なる。

人口維持試算が意味すること

 さて、話を本題に戻そう。移民政策の怪しさ、危うさである。まず、内閣府が示した「毎年20万人」という数字が意味するところだ。これは50年にすれば1千万人、100年では2千万人である。

  試算通り1億1千万人規模の総人口を維持できたとしても、2060年時点で10人に1人、2110年には約5人に1人が移民という計算になる。2012年 末現在の在留外国人数は203万人余で、総人口の1・59%に過ぎない。「2千万人」というのが、いかにインパクトある数字かお分かり頂けるであろう。

 しかも、1億1千万人というのは、先に紹介した通り、合計特殊出生率が現在の1・41から2・07にまで上昇することが前提となっている。出生率が回復せず、2110年の総人口が社人研の予測通り4286万人まで減れば、ほぼ2人に1人が移民ということになる。

  ところが、この計算には・まやかし・がある。内閣府の資料には見当たらないが、出生率2・07への回復は、子供をたくさん産むのが当たり前の「多産文化の 国」から来た移民が、日本に永住後も多くの子供を出産する出生率の・押し上げ効果・を織り込んでいると考えるのが自然だ。少産となったわれわれ日本人が、 突如として5人も、6人もの子供を産むようになるとは思えない。

 衝撃的なことだが、出生率が2・07にまでならなくとも、移民としてやってきた人と日本で誕生したその2世の合計人数のほうが、いつの日にか多くなるのだ。
  もちろん、移民やその2世と結婚する日本人もいるだろう。すごく長い時間軸でみれば、区別がなくなるかも知れない。しかし、個々人が理解し得る時間の長さ で考えれば、人口減少下で移民を大量に受け入れる政策とは、人口規模の維持と引き替えに、われわれ日本人が少数派になるのを許容することなのである。
 それは、日本という国を現在とは全く異なる「別の国家」にすることに他ならない。われわは、移民政策を考える時、日本人のほうがマイノリティーになる社会とはどんな社会なのかを想像する必要がある。
 例えば、天皇への尊敬の念や古来の文化や伝統の継承などは支障なく行われるだろうか。言葉の壁や文化の摩擦も生じる。それどころか、日本語以外の言葉が公用語となるかも知れない。

  人間というのは、母国への思いをそう簡単に断ち切れるものではない。彼らの2世や3世が、国会議員や官僚といった政策決定権を持つ要職や指導的地位に就く 時代もいつか到来するであろう。そんな時代に大量に移民を送り出した国と日本が外交的な緊張関係に陥りでもすれば、国論が割れて国家を危うくする。「反 日」国家が組織的に送り出してくることにでもなればどうなるのか、警戒を怠るわけにはいかない。移民政策とは、安全保障に直結する問題でもあることを知ら なければならない。

 住宅や社会保障、子供の教育などにも膨大なコストを要する。とりわけ問題なのが、長期の加入を要する年金だ。移民の年齢によっては支払期間が不足する。将来的な低年金者や無年金者の対策コストが増えれば、税負担増でまかなうしかない。
 やってくるのは若い年齢層だけとは限らない。彼らにだって家族はいる。年老いた両親を母国から呼び寄せる人もいるだろう。こうした人が増えれば、移民政策とは異なる問題の解決を迫られる。

  これまでも外国人労働者をめぐっては、ゴミ出しルールを守らないとか、騒音といった地域のトラブルが問題となってきた。大量に移民を受け入れるとなれば、 こうした問題の深刻さは想像を絶するものがある。移民を積極的に受け入れてきた国の多くで排斥事件が起こるなど、各国政府は対応に苦慮している。
  異国から来た人というのは、出身国の人同士で社会や集団を作りがちだ。日本がもし受け入れれば、やがて摩擦や衝突を生むだろうことは、ドイツが証明してい る。他国と国境を接するドイツですら、「移民政策は事実上、失敗に終わった」とされるのに、島国の日本がどうなるかは想像に難くない。治安コストや社会モ ラルの崩壊というのは決して過小評価してはならないのである。

 しかし、この問題の本当の怖さは別のところにある。忘れてはならないのが、移民の大量受け入れが新たな少子化要因となることだ。

  低賃金で働く移民が増えれば、日本人の賃金水準も下がるだろう。不安定な雇用を余儀なくされる日本の若者がさらに増え、結婚はますます遠のく悪循環を呼 ぶ。日本は婚外子の少なさが証明するように、結婚と出産はワンセットだ。結婚できる人が減れば、結果として将来的な労働力人口の減少に拍車がかかる。それ がさらなる移民必要論の根拠として使われたのでは、日本はまさに負のスパイラルに陥っていく。

大量移民がもたらす新たな社会的困難

 ここまで「年間20万人」を中心に問題点を見てきたわけだが、次は、移民が政策論としてそもそも成り立つのかを考えてみたい。これだけの規模の移民がコンスタントに来日するのかという疑問だ。
 結論を先に言えば、日本が移民政策に踏み切ったからといって、どんどん人が入ってくるという保証はどこにもない。
  「移民」と聞けば、その送り出し国としてアジアや南米諸国をイメージする人が多いだろう。確かに、インドや中国、ブラジル、インドネシア、フィリピン、タ イといった国々は当面、人口が増加基調にある。しかし、どの国も2040~2050年頃には急速に高齢化が進み始める。若い世代を他国に送り出せば、それ だけ高齢化のスピードは速まる。難民や出稼ぎの外国人労働者としてならばいざ知らず、100年もの間、「日本はお困りでしょう」と言って積極的に若者を送 り出す国がどれだけあるのだろうか。
 各国で高齢化が進めば、若い労働力の奪い合いになることも予想される。最速 で高齢化が進み、言葉の壁が立ち塞がる日本は必ずしも魅力的な移民先であるとは限らない。東南アジア諸国などの経済成長は著しい。わざわざ遠い島国まで行 かずとも、近隣国に・安住の地・を求める人も多いだろう。

 それでも、ある特定の国だけが送り出し続けるならば、それはある種の政治的意図をもって日本を狙い撃ちしていると考えたほうがよい。これらからも、移民は政策論として非常に困難だと言わざるを得ない。
  しかし、最悪なのは、「外国人を受け入れなければ、日本は終わってしまう」といったスローガンに踊らされて、一時的なムードで中途半端に受け入れを始めて しまうことだ。移民というのは、ひとたび大量に受け入れてしまったら、「数が増えすぎたから」などといって簡単に打ち切ることはできない。
  「毎年20万人」もの人が入り始めれば、そのことを前提として社会は出来上がるからだ。それを突然止めるとなれば、人為的に人口急減を起こすのと同じだ。 ただでさえ日本人が減っていくのに、増加を当て込んでいた移民までが減るダブルパンチとなったのでは、マーケットは混乱し、経済や社会保障制度への影響も 避けられない。

 それだけではない。突然打ち切れば、団塊世代のように「特定の年齢層」だけが極めて大きな人口の塊となる。その後の世代が本来ならば味わうはずのなかった急速な社会の縮小を経験することを意味する。
 政府がいたずらに人口政策に手を染めてうまくいった試しはない。・移民ありき・で議論を急ぐ進め方は厳に慎まなければならない。

東京五輪決定でリベンジに出た黒幕

  ところで、なぜ政府は移民政策の検討を急ぐのだろうか。政府だって、移民政策に問題点が多いことは分かっているはずだ。そこには、移民受け入れ推進派の 「外国人の受け入れ=開かれた先進的な国」という決めつけと、一度スイッチが入ったら方向転換がなかなかできない官僚の悪弊がある。

  安倍政権が移民政策に前のめりになっていることは、安倍晋三首相が議長を務める産業競争力会議が、1月20日にまとめた「成長戦略進化のための今後の検討 方針」に明らかだ。そこには「外国人材受入のための司令塔を設置し、高度人材の受入れはもとより、労働人口の減少等を踏まえ、持続可能な経済成長を達成し ていくために必要な外国人材活用の在り方について、必要分野・人数等も見据えながら、国民的議論を進める」とある。
  「移民」という直接的な表現こそ避けてはいるが、「労働人口の減少等を踏まえ」というのは、長期に日本で働く「移民」を念頭に置いているとしか読めない。 しかも「高度人材の受け入れはもとより」というのだから「高度人材」だけでなく「単純労働者」を激減する労働力人口の穴埋め要員にしようということであ る。
  しかし、移民政策は安倍政権になって急浮上したわけではない。あまり知られていないが、日本が人口減少局 面に突入した2005年の3月に法務省が策定した「第3次出入国管理基本計画」は、「人口減少時代における外国人労働者受入れの在り方を検討すべき時期に 来ていると考えられる」としている。「専門的、技術的分野に該当するとは評価されていない分野における外国人労働者の受入れについて着実に検討していく」 との文言も見つかるのだ。
 政府が非公式ながら、移民の大量受け入れを本格的に検討し始めたのは2000年頃とされる。そして、背後にちらつくのは財務省の影だ。ある中堅幹部が「省内でずっと検討を重ねてきた」と認めている。
  推進派官僚たちにとって移民政策は、悲願なのである。とはいえ、彼らも、国民のアレルギーが強く、一筋縄で行かないことは分かっている。その是非に白黒が 付くまで待っていたのでは時間がかかるということから、既存のルールに少しずつ例外を設けて、実質的に「単純労働」の拡大を図ってきたというわけだ。
  この間、推進派が勝負に出たことがある。2008年だ。6月に自民党の議員連盟が「日本型移民政策の提言」を発表し、50年間で1千万人の移民受け入れ構 想を提唱。10月には日本経団連が「人口減少に対応した経済社会のあり方」を発表し、外国人の定着推進の検討を投げかけた。

 これらの提言は、その後のリーマン・ショックを引き金とする景気後退により急速に萎んだが、推進派官僚はリベンジ戦の機会をうかがってきたのだろう。そして、ついに彼らにとってのチャンスが到来した。東京五輪の開催決定である。
 五輪は「世界に開かれた日本」をアピールする場であり、外国人受け入れ政策を言い出しやすい。そうでなくとも、成長戦略を至上命題とする安倍政権はビジネス面における外国人の活用に積極姿勢をみせていたことから、一気呵成に流れを作ろうという寸法だ。
 推進官僚たちは実に巧妙だ。内閣府の試算で「移民」を派手にぶち上げ国民の耳目を惹きつける一方、あたかも移民政策とは別物のように外国人労働者の受け入れ要件をなし崩しに緩和し、実質的に「単純労働」を認めてしまおうとの作戦のようである。

  安倍首相がわざわざ「移民政策と誤解されないように」と強調したところにこそポイントがある。こうした説明を聞けば、反対派も「移民政策ではなく外国人労 働者だから、そんなに過剰に反応することもない」となろう。しかし、気がついたら、単純労働を行う外国人が日本中にあふれ、移民受け入れに近い社会が実現 しかねないのだ。
 作戦はすでに実行に移されている。第1弾が4月4日の関係閣僚会議が建設業の受け入れ拡大を決 定したことだ。東日本大震災からの復興などに加え、東京五輪の開催準備で建設需要が急増し人手不足が深刻化しているとして、外国人技能実習制度を実質2年 延長し最長5年間働けるようにする措置を五輪までの臨時対応として認めたのだ。
 「五輪スタジアムの建設が間に合わない」との説明には反対しづらいものがあることを計算に入れてのことだろう。先の財務省中堅幹部は「今回は建設業側から『外国人を入れてほしい』と言ってきたので助かった。これは蟻の一穴となる」と明かしている。
  その言葉通り、推進派は建設業を突破口に畳み掛け始めた。関係閣僚会議が建設業の拡大を認めたのと同じ4月4日の経済財政諮問会議と産業競争力会議の合同 会議で、民間議員が家事補助と介護職の受け入れ拡大を提案し、安倍晋三首相も「女性の活躍推進の観点から推進してもらいたい」と指示を与えた。それ以外の 産業でも単純労働の容認を求める動きが強まっている。
 家事補助や介護職種は、高齢化が進む日本においてはますま す需要が大きくなる。介護の場合、現行では経済連携協定(EPA)に基づき介護福祉士の国家試験に合格しなければ日本で働き続けられないが、受け入れ拡大 となれば国家試験の受験意思のない低技術の外国人労働者が大量に来日する可能性がある。家事補助に至っては、誰の目にも「高度な仕事」とは映らないだろ う。まさに単純労働を事実上解禁する国策の大転換が、国民的な議論もなく静かに進められようとしている。

後世の日本人に顔向けできるのか

  外国人労働者をなし崩しに受け入れようとしていることについて、ある推進派官僚は「人口減少に対応するには、もはや外国人を入れるしかない。移民に反対す るのは敗北主義だ」と強調してみせた。しかし、本当に「もはや外国人を入れるしかない」のだろうか。移民を受け入れなくとも済む選択肢はあるはずだ。それ を探すことこそ優先されるべきであろう。今の政府の議論の進め方は、明らかに順番が間違っている。
 推進派の言い分をよく聞くと、その多くは「労働力人口が減少すれば経済成長しない。日本経済を縮小させないためには、外国人で穴埋めせざるを得ない」との理屈である。まず、この理屈が正しいのか、から確かめる必要がある。
 人口減少が日本社会や経済にとってマイナスであることは論をまたない。だが、人口動態は経済成長を左右する絶対的な条件ではない。その証拠に、高度経済成長期の労働力人口は年に1%程度しか伸びていない。
  労働力人口が増えたから高度経済成長が可能だったわけではなく、機械化や「全要素生産性」(TFP)と言われる生産要素の増加では説明し切れない技術進歩 などが寄与した結果とされる。人口の増減とは関係なく、イノベーション(技術革新)によって今後も経済成長は達成可能ということだ。
  高齢社会を迎える日本は経済成長のチャンスがいくらでも転がっている。医療や介護はもちろん、住宅から乗り物、市街地の在り方に至るまで、すべてを高齢者 にとって使い勝手のよいものに作り替えていかなければならない。エコノミストの中には1~2%ぐらいの成長は十分可能との見方も少なくない。
  そもそも、少子化に歯止めがかかれば、将来の人口予測は全く異なるものとなる。当面避けられない労働力人口の減少には、女性や高齢者の力を引き出すほうが 先決だろう。総務省の労働力調査の基本集計(2014年2月速報)によれば、生産年齢人口(15~64歳)の女性は3889万人だ。このうち就業者は 2439万人で62・7%に過ぎない。日本の女性や高齢者は高い教育水準にある。言葉や文化の壁もない。外国人を受け入れるよりもはるかにコストもトラブ ルも少なくて済むはずだ。移民受け入れに先走るのではなく、こうした方策についても検討するのが筋というものだ。
 労働人口の減少は避けられない現実であり、外国人との付き合い方に正面から向き合わなければならないときは来る。
 だからといって大量の移民を受け入れるかどうかという選択を、現在に生きるわれわれの利益だけで判断してよいわけではない。
 後世の日本人に顔向けできる「日本」をいかに残すのか。戦略もなく易きに走れば、国を大きく誤る。