CHESTNUTS's Living

Living・・・意味は「暮らし」
(なるべく)手作り、平穏で安心できる暮らしを目指しています・・・

「丸い」は幸せ

2010-01-29 13:09:01 | ひとりごと
今朝、ご飯をお茶碗によそっていて、突然自覚した。
「今私はとても幸せである」と。


まず、数日前からパソコンの文字が丸く やたらキレイに見えだした。
自分が今年はキルト展(東京ドーム)へ行けなかったから、キルト関係のブログへ情報を探しに行き、そこのコメントの足跡から飛んで、また別のキルトブログ行ってみた。
そしたら、すごーく文字が整って美しく見えて、あぁバランスが良くて ここはいいとこだな、って思った。

昨日も同じことがあって、そこも素敵なブログで作品もバランスも良くて、前のとこと同じ(エキサイト)だったんで、ここで作るから良くみえるのかな、とか思ったりした。
そしたらさ、自分ンとこの字も丸く見えるのよー!

「丸」く見えるっていうのは…んーどう表現したらいいのか。
↑上でも書いたけど、整ってバランスよく見える。
これはきっと心が穏やかで満たされてるっていうことなんだと思う。
悩みも不満もない。自分の思うように進んでいける。進みたい道筋も見えている。
生きるうえで、色んなことが上手く回っている状態…

そっか、「上手く回る」→「丸」なんだ。
いつしか自然に上手く回る。留まらず、せき止められず、自然に流れる。
この場合の「流れる」とは「どうしようもない何かに巻き込まれ、流れに身を任せるしかない」というのとは別の次元だ。


最近、ご飯の粒々が美味しいなーとずっと思ってた。もちろん粒も丸く感じる。
今朝時間がないのに適当にざざっと作ったおかずが美味しく出来た。
冷蔵庫の食材を料理して食べ、足りなくなったら補充して、また料理して…
そんな毎日ずっと続けてきたことでさえ、今は何ともいえず楽しい。
ただこの状態をずーっとキープ出来ないのが残念だけど。
春夏秋冬 季節や天候が変わるのと同じように人はそれに作用され、さらにバイオリズムも加わって気分も体調も変化する。仕方のないことだ。
「仕方ない」と受け止める心を持てるようになった今の自分も、なかなかいいと思う。


初めてこの「丸」い気持ちを自覚したのは、ぽんちゃんがまだ幼いころ。
どういう状況でこういう思いに至ったかは覚えていない。

2度目は りィちゃんがお腹にいた時だ。
もう後期で、じきに実家へ帰る状況だった。
おかずを盛ったお皿が丸く感じられた。
お皿は大抵見た目丸い形なんだから、当たり前だろ!と思われるかもしれないが。
その後、丸くたって四角たって、とにかく何だってかんだって丸くなってしまったのだ。

そのことを、ぽんちゃんが小さい頃から仲良くしてくれる人に打ち明けた。
「分かるよー」
「それって、幸せってことだよね」

そか。
幸せか。

お腹に赤ちゃんがいて、もうじき実家へ戻れて…それだけじゃないと思うけど、あの時の私は何もかもが満ち足りていた。
2人目だから、1人目の時のような不安もなかった。

その後仕事が忙しくなり疎遠になってしまったけど、私は今でも その人の考え方・子供の育て方が好きだ。



幸せの価値観というものは、人によって様々だと思う。
お金がたくさんある。旅行に行ける。キレイでお洒落な家に住む。
海外のホームドラマのような家族の風景。家でのんびり過ごす。贅を極めた美食。
最新ファッションを身につける。お姫様のような生活。王子様との出会い。
結婚。勝利。…


でも私は今がいい。そんな程度でと思われても。
それが今まで生きてきて、自分なりに到達した哲学だから。
3度目の「丸」。 
私は今幸せだ。




追記

もしかして、ぽん&りィがこれを読むかもしれない。
自分の考えを知られるのは、ちょっと恥ずかしい。
でも「親だから敬え」とか「子供だから言うことを聞け」とか、そういうことは思ったこともない。
あなたたちより長く生きてるから経験が多いだけで、何かあればそれを基に話すだけだ。

お母さんの話は長ったらしくてイヤだ、とも思ってるだろう。
私は「結果」よりも、そこへ行きつくまでの「経過」が大事だと考えている。
だから、それを話そうとするから、長くなってしまう。
いつもスマン。
でも、いつか、そんな話が出来るのを楽しみにしているよ。
今の私の状態で、やっと親(じいちゃん・ばあちゃん)と色々話せるようになったんだからね。

家を離れるぽんちゃんへ。
ここ(ブログ)はまだ続けるつもりだから、時々覗きにおいで。
たまにはコメント残してね。
ただし、誰が見てもいいような内容に留めること。
重要・急ぎは携帯にて。 
よろしく。


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