警察のドキュメント番組の中でストーカー事件を取り上げていた。そこで思った事を少しだけ述べておこうと思います。
女性から別れ話切り出されたが、男性がそれを認めず、再び関係を戻そうと脅迫まがいに詰め寄り恐怖感を与えたるというもの。
とても好きな人なのに、一方的に交際を断ち切られる心情はとても分かる。とても辛いものね。
別れを切り出す女性はいつも精神的に大人で別れ話を切り出される男性は狼狽する。
もちろんその逆もある。恋愛は惚れられた方が優位な立場であるが故に、別れ話の際には惚れた方が涙を飲まなくてはならない場合が多い。
その恋愛がストーカーやドメステックバイオレンスという犯罪を生じさせ、社会問題となった背景には何らかの問題が潜んでいるように思う。
男性が恐怖によって女性を拘束しようとする行為は、男性が女性の気持ちを酌めないからであるけれど、どうして相手の気持ちを無視してまで自身の気持ちを充足しようとするでしょうか。
人格形成の過程で何かが欠落していたのでしょうか。それともコミニュケーションが上手く取れないからでしょうか。
もしくはゲーム感覚の延長か、それとも、(女性=母)という概念が他者の女性にも適応されているからでしょうか。
それぞれに原因の要因はあるとは思うけれど、もし、女性=母、という概念がストーキングする男性の深層心理に根ざしていたら、彼女=母という代替え行為が働いていたのではないかと考えるのです。
精神的に母から自立できない男性は誰かに甘えていたいものであると仮定すると、恋愛関係に発展した彼女の立場は、母からの感情がそのまま移行したものと考えられる。 母は無条件に自身の子供を愛するけれど、恋愛から構築した関係は相思相愛でなければそれ以上の深さを築けない。 それが理解できていない男性は、一度付き合いだしたら「離れないだろう」と思うのは自然。彼女に対し理不尽な行為をしても母のように赦してくれるだろうと理解するのではと思う。
必ずしも結婚が恋愛の延長線上にあるとは言えないけれど、どこかしらで女性は新しい自分の人生を築こうと思っているのではないでしょうか。
方や延長。方や創造。そこがストーキングする男性側とされる側の女性の気持ちのずれであるのであろうと思うのです。
恋愛は辛いものでもあるし楽しいものでもある。明日を頑張れる活力源であるし、苦しみを分かち合ってくれる存在でもある。
時には周りが見えなくなるほど夢中になる。だから、人はいくつになっても恋愛に焦がれるのでしょう。だから、客観的、冷静になって恋愛する事は本当の恋愛ではないとも言えるでしょう。しかし・・・。
「こんなに君の事が好きなのに、どうして君は僕のもとを去ってゆこうとするの?」
悲痛な面持ちで彼が彼女に迫る。すると彼女は彼から目をそらし、
「この人とは未来を築く事ができないわ・・・。」
と、心の中で呟き軽くため息をつく。
別れたくないという気持ちが、単に甘えであることを女性に見透かされてしまうと、取り返しがつかない事を男性はなかなか気付かない。
だから、だだをこねたらなんとかなるんじゃないかなと、考えるのはないでしょうか。しかし、ストーキングが「だだをこねる」と言う行為と同じである事を本人は気付けていない。なぜならストーキングしている事を意識できないのだから。したがって、大人が駄々をこねれば犯罪になりうる可能性がある事も同様に意識できないのだと思う。
それが、ストーキングに発展する動機なのかなと考え付いたのです。
しかし、どうして現在なのか。そして年々増加傾向にあるのかという疑問は消えません。それはまた日を改めて考察してみたいと思います。
恋愛は火遊びと例えた人がいたけれど、こういう色恋沙汰が後を絶たないという事は、ある意味的を射ているなと思うのです。
女性から別れ話切り出されたが、男性がそれを認めず、再び関係を戻そうと脅迫まがいに詰め寄り恐怖感を与えたるというもの。
とても好きな人なのに、一方的に交際を断ち切られる心情はとても分かる。とても辛いものね。
別れを切り出す女性はいつも精神的に大人で別れ話を切り出される男性は狼狽する。
もちろんその逆もある。恋愛は惚れられた方が優位な立場であるが故に、別れ話の際には惚れた方が涙を飲まなくてはならない場合が多い。
その恋愛がストーカーやドメステックバイオレンスという犯罪を生じさせ、社会問題となった背景には何らかの問題が潜んでいるように思う。
男性が恐怖によって女性を拘束しようとする行為は、男性が女性の気持ちを酌めないからであるけれど、どうして相手の気持ちを無視してまで自身の気持ちを充足しようとするでしょうか。
人格形成の過程で何かが欠落していたのでしょうか。それともコミニュケーションが上手く取れないからでしょうか。
もしくはゲーム感覚の延長か、それとも、(女性=母)という概念が他者の女性にも適応されているからでしょうか。
それぞれに原因の要因はあるとは思うけれど、もし、女性=母、という概念がストーキングする男性の深層心理に根ざしていたら、彼女=母という代替え行為が働いていたのではないかと考えるのです。
精神的に母から自立できない男性は誰かに甘えていたいものであると仮定すると、恋愛関係に発展した彼女の立場は、母からの感情がそのまま移行したものと考えられる。 母は無条件に自身の子供を愛するけれど、恋愛から構築した関係は相思相愛でなければそれ以上の深さを築けない。 それが理解できていない男性は、一度付き合いだしたら「離れないだろう」と思うのは自然。彼女に対し理不尽な行為をしても母のように赦してくれるだろうと理解するのではと思う。
必ずしも結婚が恋愛の延長線上にあるとは言えないけれど、どこかしらで女性は新しい自分の人生を築こうと思っているのではないでしょうか。
方や延長。方や創造。そこがストーキングする男性側とされる側の女性の気持ちのずれであるのであろうと思うのです。
恋愛は辛いものでもあるし楽しいものでもある。明日を頑張れる活力源であるし、苦しみを分かち合ってくれる存在でもある。
時には周りが見えなくなるほど夢中になる。だから、人はいくつになっても恋愛に焦がれるのでしょう。だから、客観的、冷静になって恋愛する事は本当の恋愛ではないとも言えるでしょう。しかし・・・。
「こんなに君の事が好きなのに、どうして君は僕のもとを去ってゆこうとするの?」
悲痛な面持ちで彼が彼女に迫る。すると彼女は彼から目をそらし、
「この人とは未来を築く事ができないわ・・・。」
と、心の中で呟き軽くため息をつく。
別れたくないという気持ちが、単に甘えであることを女性に見透かされてしまうと、取り返しがつかない事を男性はなかなか気付かない。
だから、だだをこねたらなんとかなるんじゃないかなと、考えるのはないでしょうか。しかし、ストーキングが「だだをこねる」と言う行為と同じである事を本人は気付けていない。なぜならストーキングしている事を意識できないのだから。したがって、大人が駄々をこねれば犯罪になりうる可能性がある事も同様に意識できないのだと思う。
それが、ストーキングに発展する動機なのかなと考え付いたのです。
しかし、どうして現在なのか。そして年々増加傾向にあるのかという疑問は消えません。それはまた日を改めて考察してみたいと思います。
恋愛は火遊びと例えた人がいたけれど、こういう色恋沙汰が後を絶たないという事は、ある意味的を射ているなと思うのです。
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