「きらら。どうかしたの? 」
私の右斜め前で昼食を摂っていた彼が、優しい微笑みを湛えながら、尋ねてきた。
「あっ、ごめんなさい。」
「時々、遠くを見るような目をして、ぼんやりしてるよね。何か考えているのは分かるけど、僕で良かったら力になるよ。」
「ありがとう。ちょっと過去の事を想い出していただけだから、大丈夫だよ。」
「そう。よかった。」
そう言うと、食べかけのカツサンドを、むしゃむしゃと頬張りだした。
コロナウィルス・パンデミック下の大学は、週2回の登校と、オンラインで授業を進めていたが、感染者数の増減の度に出される政府の方針に追われていた為か、大学側も手探り状態が続いており、課題を提出するにも、煩雑さがあり、学びのモチベーションを保つのが難しかった。しかし、環境に順応してゆく事はそれほど難しくなく、オンライン授業が中心の環境は、時間管理を個人個人に委ねられている状態でもあったから、消費活動には、あまり興味のなかった私にとって、コロナストレスという言葉が世に出回っていた三年弱の期間は、川島君と共に過ごせる時間と、読書する時間が確保でき、とても充実した楽しい日々であった。
しかし、多くの犠牲を払ったコロナウィルス・パンデミックは、様々な問題を抱えたまま、症状を抑える新薬の登場と、ワクチン接種と、自然による抗体、免疫獲得によって、発症者が緩やかに減少し、科学力と政治力の勝利というアナウンスで、終息宣言がなされると、私達大学生は、初めて、学校が中心となる生活を送る事となり、街行く人々の生活様式が変わり始めると、彼も海外留学を行うために、アルバイトを始め、私も、ゼミに入り浸る日々が続き、すれ違いも増え、互いに進むべき方向が異なることに気付き始めた。
恋愛と素晴らしさと煩わしさに窮した私は、母に助けを乞うたが、実に母らしい、「恋の痛みって言うのはな、恋している時だけにしか分からん痛みなんやから、一度は経験しときっ。」という、抽象的な答えを前に、戸惑いを隠せず問いを求めたが「自分で考えやな、成長できひんよ。」と念を押され、突き放されてしまった。
当時は、今でもと言うべきか、恋愛初心者だった私は、距離や時間は問題にならないと考え、互いに抱える違和感を解消するべく、何度も話し合ったが、お互いに、肝心なところで妥協できず、ついには、交際3年目の春、彼のイギリス留学を機に、離れることになった。
校舎裏で川島君に告白した時の気持ちは、嘘偽りのない感情であったが、悩み抜いて離れる事を選んだのは、今思い返すと、確かではない「愛」は、「愛」というより、依存に近いという考えを払拭できなかった事と、ハムレットの劇中で発せられる、
「己に誠実であれ」
と、言う、シェークスピアの言葉が、私の中心に、しっかりと根を張っていたからだと思う。
AIの研究をしていると、異性と交際する術は、私よりAIの方が人間らしいのではないかと錯覚する時もあるが、人はAIとは違い、自我の選択によって、失敗をしながら、未来を切り開いてゆくものであると理解できるようになった昨今では、悩む事も成長を遂げる為の大切なプロセスなのだと思えるようになってきた。
「優しいね。ディビッド。」
イスラエル国籍を持つ、イスラエル人の父親と日本人の母親のもとに生まれたディビッドは、残りのカツサンドを口に入れると、左手の親指を突き立てて微笑んだ。