南九州の片隅から
Nicha Milzanessのひとりごと日記
 



のち

 日テレの日曜深夜(月曜未明)に放送されているドキュメンタリー番組。
 翌日は仕事だから早く寝ないといけないのに、つい、毎回視てしまう…。



 今回は、宮城県名取市で、東日本大震災で中学生の息子を亡くし、語り部として活動している母親の話だった。

 あの日、息子も近くにいたはずなのに、娘(妹)の手を引いて逃げるのがやっとだった。
 息子も避難所へ向かっていた。しかし、大勢の人混みに紛れて、息子の姿を見失ってしまう。
 数日後、避難所の少し手前で、息子は変わり果てた姿で発見された。
 私が生き残ってしまった。どうして助けられなかったのか。後悔してもしきれない…。


 ある時、近くで夜にオバケが出るという、心無い噂が立った。
 なんでも、見える人には見えるし、感じる人は逃げさまよう犠牲者と肩が当たるんだそうだ。
 死者にムチ打つような噂が立ったことに憤りつつも、「オバケでもいいから息子に会いたい」と真っ暗闇の中、一晩中立っていたが、会えなかったそうだ。


 中学校の玄関前に、有志で石碑を建てた。そこには、犠牲になった息子をはじめ、12名の名前が刻んである。
 「雪が降ってきたよ。寒いよね。お家に帰ろうね…」 雪の舞う中、石碑を撫で続ける母親。


 自宅跡地。
 何もかもが流されてしまい、結局、遺品らしいものは何も残っていない。アルバムもなく、壊れたデジカメの中に残っていたデータが、息子の唯一の写真だ。
 景色がすっかり変わってしまい、いまは何もない更地となってしまったが、どこそこに思い出が詰まっている。
 しかし、津波対策のため、住宅地はかさ上げ工事が行われることになった。つまり、思い出の土地は冷たい土の中に埋まってしまうのだ。

 かさ上げ工事が行われた後、現地を訪れた母親。目印がなくなったが、見覚えのある「こいのぼり」が置かれていたので、ここではないかと立ち尽くす。
 「何もかもなくなってしまった。ごめんね」と泣きじゃくる母親。



 番組中、私も涙が止まらなかった…。
 

 もうすぐ震災から4年が経つが、何も終わっていない。何も解決していない。復興なんてしていない。
 もし、震災が東京で起きていたら…、ここまで復興は遅れていないのではないだろうか? 地方だからと、見捨てられていないだろうか?

 いま、私達に出来ることは何だろう? 東京オリンピックなんかやろうとしている場合か??
 とても考えさせられる番組だった…。

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■今日の行動
 仕事

■今日の買い物
 なし

■今日の献立
 朝:なし
 昼:お手製弁当
 夕:ステーキ、豚ヒレ肉のバルサミコ酢焼き、野菜の酢炒め、シラスとブロッコリーのサラダ、味噌汁

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