孫文記念館:移情閣:呉錦堂

2008年05月11日 | 人生は旅である。
孫文記念館は、中国革命(辛亥革命)の父と仰がれる孫文(孫中山)を顕彰する日本で唯一の博物館として1984年に開設された。Wikipediaから

今日は朝から少し寒い風が吹いていましたが、久しぶりに舞子公園に行ってまいりました。通称"六角堂"とよばれる、移情閣は阪神間に暮らしている私にとっては随分昔から見てきた"神戸的異人館"の建物の一つです。しかしながら2000年に今の場所に移設されて(っていっても、前も舞子のあたりにありましたが)記念館として公開されていても、中に入ったのは今日が初めてなのでした。

移情閣という名前は、窓々から見える景色(風情)が変わっているのを楽しむ楼閣という意味でつけられたのだといいます。

この建物を建てられた呉錦堂さんに一番見せたい景色は、窓越しの明石海峡大橋です。でも、世界史に記録される革命家である孫文さんは、同じ窓からはるか未来のこんな景色を見据えていたのかもしれません。

呉錦堂さんの精神は、今の日本にも健在でお孫さんに当たられる呉伯瑄さんが中日にわたる事業をされているようです。






誰が日本の広告を変えていくのか?【Yahoo!:ネット広告再考】

2008年05月10日 | 誰が日本の広告を変えていくのか
ネット広告って、基本的に、"希少性で価格維持をする"ビジネスモデルでは無いのはご存知の通り。
ネット広告は、必ず在庫を維持しながらでないと商売にならないというのは、明日も今日と同じPVが稼げるという保証が無いというwebサイトの特性から来るというのも、皆様ご存知の通りですね。
でもって、見通しの甘いサイトに引っかかった日にゃ"なんで想定PVの半分?"なんてトラブルに巻き込まれてしまいます。
逆に、旧来メディアから参入したどこかみたいに、値引き販売に走るとあっという間に在庫切れで、在庫は無いは予算にはいかない、と苦しんでいるのも私達は見ています。

新聞・ラジオ・テレビといった、広告スペースが有限なメディアの場合は、余ったら安くして叩き売る、といった "夕方の八百屋"的ビジネスモデルが成り立ちますが、上記のようにもともと"余った状態"で商売するのが当たり前ですから、"売れ残りを安く売る"という概念が希薄なように思います。件のメディアは旧メディアの広告販売モデルから抜け出てないという意味で特殊な例だと思います。
IT系の専門webメディアはとうに、値上げに走ってるし。Yahoo!も同様に徐々に値上げ方向に持っていってますね。

一方で、受けて側の状況をチェックしてみます。総務省の平成19年通信利用動向調査による、18年から19年にかけて、日本のインターネット利用者動向は
http://www.johotsusintokei.soumu.go.jp/...

国民全体でインターネット利用した事のある人は
8,754万人⇒ 57万人増⇒8,811万人 (0.65%増だっせ)

個人がインターネットを利用する際に使用する端末について
・携帯電話
7,086万人⇒207万人増⇒7,287万人 (2.9%増)

・PC
8,055万人⇒242万人減⇒7,813万人 (3.0%減でっせ)

と・・。PCやめて携帯でインターネット接続、、って人が増えてるじゃないか、と思えるようなデータが出ています。(ま、インターネット=メール という人も多いでしょうが。 )

で・・・

ああ、それみろ

VR-webreportでYahoo.co.jpのアクセス状況を調べました。
2007年3月と2008年3月の推定視聴ページ比較はなんと 108%(少なっ!)
で、目標売上って、聞くところによると、110%を下ることはない、ということですね。値下げなんかやってる余裕はないね。

そんなこんなで、Yahoo!JAPANは、単価値上げとネットワーク化ということで総売上を上げていこうという方向なのではないかと推測します。

ただし、今までの考察はバナー広告などのいわゆる"ディスプレー広告"の場合。
リスティング広告のこれからについては、まったく別の議論になるのだろうと思います。リスティング広告における広告の価格は市場の動向によって決定されることが基本ですからもとから定価というものが無いので、広告流通側(Adwords、Overture側)に価格統制力はほとんど無い(まったく無いとはいえませんが。)

希少性もなく、かといって既存メディアのビジネスモデルを基本としているディスプレイ広告の今後の動向も、これからの日本の広告が変わっていくときの大きなポイントになってくるように感じます。

中途半端な考察で失礼しました。

薬師如来と阿弥陀如来の関係性についての一考察

2008年05月06日 | 人生はメンタルだよな
実家のある和歌山の村のお寺は、本尊が阿弥陀如来です。そして、山門の前に薬師堂があります。
そこに安置されている薬師如来は現在の本堂建立の折、旧本堂の屋根裏から見つかったとされます(いかにもでしょ)。薬師如来は人を病から救ってくれる現世利益の仏(ほとけ)として、広く篤い信仰を得ています。
毎年 5月5日はその薬師如来の法要が執り行われます。

で、阿弥陀如来と薬師如来の関係について少し調べてみました。

[阿弥陀信仰と薬師信仰について]

阿弥陀信仰:
最後の遣唐使でもある天台宗の円仁(794年-864年)が唐から帰朝し、修行元の五台山で行われていた法照流の念仏を比叡山に伝え、常行三昧堂を建てたのが日本の阿弥陀浄土信仰の起源といえる。(wikipediaから)

薬師信仰
わが国でも飛鳥時代においてすでに聖徳太子は、父用明天皇の御病気平癒を願って薬師像を造顕されており、白鳳・奈良時代を通じても薬師寺の創建、香薬師・峰薬師の造立など、その信仰はいっそう盛んであった。
(奈良薬師会サイトから)

[薬師如来の意外なお力]

薬師如来といえば、奈良の薬師寺のwebサイトにこのような記述がありました。

西に阿弥陀様の極楽世界、東にお薬師様の浄瑠璃世界[じょうるりせかい]があります。けれども薬師如来は東方浄瑠璃世界だけが願うべき世界ではなく、西方極楽世界[さいほうごくらくせかい]へ往生したいと願う人には、薬師の名号を聞くことによって極楽世界へ導いてあげますよとおっしゃっています。その人その人にふさわしい浄土を願わし引導して下さいます。

お薬師様はなかなかにふところの深いお方のようです。

[考察]

お薬師さんのほうが、阿弥陀さんより古くから有名だったようです。しかし、”信じる”ことしかできない貧困層にとっては、いくら薬師如来を信じたって病気は治らない(現世利益は金が要る)ので、結局のところ、来世の幸せを保証してくれる阿弥陀信仰に流れたのだと・・考えられます。

来世でだまされたとわかっても、もう手遅れだし、来世を信ずることで、現世の苦悩を乗り越えていくことができれば、これこそが現世利益である、とも言えるのであります。

ま、わかりにくいけど、よくできているなあと、そんなことを考えた今年のゴールデンウィークでした。